5月7日〜5月11日OA
LS北見サードを務めた
吉田知那美選手インタビュー
◆私たちのチームは、オリンピックが全てではなく、シーズンを通して、これも一つの成長の通過点というふうに準備してきました。
いよいよというよりもようやくだなという感じです。
◆オリンピックについて
そうですね、私にとっては2回目。
初めて入場した時や氷に上がった時は、テレビで見ていたものとテレビの中に入って戦うのはこんなにも違うんだなという感覚がありました。
◆オリンピックと他の大会との違い
チームジャパンとして戦うので、他の大会以上にいろいろと感じることがあります。
カーリングは、どのチームが勝ってもおかしくないと言われていて、
強さを持っているチームがどれだけ良いパフォーマンスをできるかが勝敗につながると思います。
私たちもいつも通りの笑顔と成長していく気持ちを氷の上で表現していきたいです。
◆笑顔の理由
以前教えてもらったのですが、
自分の最高のパフォーマンス、限界を突破するときは、自分たちが夢中になっているときや成長を楽しんでいる時にそういう事が起こると聞きました。
自分たちで限界を決めず、自分たちのパフォーマンスを楽しんでいくことを心がけたいという思いから、そういう風になっているのかなと思います。
◆笑顔の目標
オリンピックに出る、全チーム。
3位で良いとか2位で良いとかではなく、必ず1位だったり、
表彰台の真ん中を目指して、取り組んでるチームが殆どだと思います。
私たちも、もちろんそうなのですが、それは目標ではなく結果なので、私たちの目標は、私たち史上最高のパフォーマンスをオリンピックで更新すること。それだけです。
◆プレイオフが見えて来るに近づいて、考えてはいけないと思いながらも、前回大会を超えなければいけないという自分へのプレッシャーだったりとか、色んなことを考えてしまいました。
私のパフォーマンスがあまりよくありませんでした。
自分の事を信じられなくなった時がありましたが、チームを信じるという気持ちがあり、ここに立っていることができました。
(本橋選手に誘われて、チームに参加させてもらい、)ここに来るまでの過程が本当に宝物です。
◆3位が決定した瞬間は、勝ったのが信じられず。
会場に来てくれていた人たちが、私たちと同じかそれ以上に涙をながしてくれていて、私たち、本当にメダルを取ったんだと思いました。
今シーズン、怪我だったり、そういう部分に悩まされた所もありました。
しかし、まりちゃん(本橋選手)がいたから、彼女も一緒に一投一投投げている気持ちでプレイをしていました。
このメダルは、4人ではなく5人で獲得した物です。
まりちゃん(本橋選手)の為に頑張ろうと思っていました。
1981年12月29日東京都生まれ
(幼少時代から仙台で過ごす)
プリンスホテル所属。06年トリノ五輪でアジア人初の金メダルを獲得。同年5月にプロ宣言をし、アイスショーを中心に活動し、オリンピックキャスター、フィギュアスケート解説、テレビやイベント出演、コラム連載も行う。現在は、イタリアのピエモンテ州の観光大使を務めるなど様々な分野にも精力的に挑戦している。
1972年5月6日生まれ/岐阜県出身
中学から本格的に陸上競技を始め、県立岐阜商業高校、大阪学院大学を経て実業団へ。98年名古屋国際女子マラソンで初優勝、以来マラソン6連勝。2000年シドニー五輪金メダルを獲得し、同年国民栄誉賞受賞。2001年ベルリンでは女性として初めて2時間20分を切る世界記録(当時)を樹立する。08年10月現役引退を発表。
公益財団法人日本陸上競技連盟 理事、公益財団法人日本オリンピック委員会 理事、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員会委員長。その他「高橋尚子のスマイル アフリカ プロジェクト」や環境活動、スポーツキャスター、JICAオフィシャルサポーターなどで活躍中。