2018年4月23日〜27日OA
LS北見キャプテン
本橋麻里選手インタビュー
?2010年バンクーバー五輪が終わり、
青森から、故郷である北海道北見市に拠点をうつさせていただいて、
北見市から世界へというスローガンでスタートさせました。
本当にゼロからのスタートで周りの期待はすごく感じていました。
(ただ)やはり4年という月日では準備が足りず、自分の力不足も痛感しました。
その後、2018年の平昌に向けてどう準備をすればいいのか、どこを強化すればいいのかを学ぶことができた良い機会でした。
?2014年を過ごして、私自身も結成時に私が好きだなと思っていた、カナダのカーリングチームのスタイルが、一つの大きな目標をクリアしていくスタイルがどうしても好きでした。
スポンサーも4年に1回のために応援しているのではないと言ってくれました。
長い目を見てクラブチームとして、LS北見をチームの土台をいろんな可能性のある選手を確保しないといけないなと痛感していました。
?オリンピックまでの日々について教えてください。
オリンピックに行けると思って、1年1年スタートしたわけではなく、
オリンピックには行きたいけど、その為に頑張った4年間、汗を流したり、悔しい思いをしたり、楽しい思いをしたり、こういう事が人生の宝になると思って、続けてこれた事が3度目のオリンピックにつながったのかなと思います。
(※本橋選手にとっては、3度目のオリンピック。)
ポジションもこれまでと違って、氷上に立って見える景色は十分見てきたので、コーチボックスからの目線も学ばなければいけないと思い、勉強できることは勉強して、選手としても、コーチボックスでの仕事もやりきったと思えるようなオリンピックにしたいです。
(※オリンピック前のインタビューです。)
?フィフスとは?
登録メンバーは5名、氷上は4名、コーチボックスにはナショナルコーチ1名、チームコーチ1名、5人目の選手が1名が座れます。
テレビに映るのは7名の人数で1試合を戦います。
コミュニケーションとしては、タイムアウトが取れるので、そこも勝負になってきます。
お互いに信頼をしつつ、そこでの心配は特にないかなと思っています。
?銅メダル獲得後のインタビュー:
まずは、皆にありがとうという気持ちと・・・(号泣)
こういう時って言葉が出なくて難しいです・・。
集まってくれた仲間とスタッフ、コーチと本当に全てに感謝したいです。
本当に支えてくれた皆さん、家族にも感謝したいです。
※チームメンバーから:
?言わなくても、まりちゃんはいつも辛い時を分かってくれて、一番欲しい言葉をくれた。
?そのチーム力は、まりちゃんがずっと最初から目指してきた土台の部分でもあったと思います。
?私のリードの2投というのは、まりちゃんのナイトプラクティスがないと私は良いショットができないです。
?まりちゃんは、チームの事を見ていて、チームの精神的な支柱になってくれていました。
1981年12月29日東京都生まれ
(幼少時代から仙台で過ごす)
プリンスホテル所属。06年トリノ五輪でアジア人初の金メダルを獲得。同年5月にプロ宣言をし、アイスショーを中心に活動し、オリンピックキャスター、フィギュアスケート解説、テレビやイベント出演、コラム連載も行う。現在は、イタリアのピエモンテ州の観光大使を務めるなど様々な分野にも精力的に挑戦している。
1972年5月6日生まれ/岐阜県出身
中学から本格的に陸上競技を始め、県立岐阜商業高校、大阪学院大学を経て実業団へ。98年名古屋国際女子マラソンで初優勝、以来マラソン6連勝。2000年シドニー五輪金メダルを獲得し、同年国民栄誉賞受賞。2001年ベルリンでは女性として初めて2時間20分を切る世界記録(当時)を樹立する。08年10月現役引退を発表。
公益財団法人日本陸上競技連盟 理事、公益財団法人日本オリンピック委員会 理事、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員会委員長。その他「高橋尚子のスマイル アフリカ プロジェクト」や環境活動、スポーツキャスター、JICAオフィシャルサポーターなどで活躍中。