今週は、フリースタイルスキーとスノーボード競技に出場した選手のインタビューです。
平昌オリンピック
フリースタイルスキー
スロープスタイル男子日本代表 山本泰成選手
日本の新星、16歳の山本泰成選手がオリンピック初挑戦!
”わっしょい”と言って、豪快な滑り出しでした!
山本選手:
今までにない大会の緊張感を味わえて最高です。
自分の自慢は笑顔なので、誰よりもずっと笑っていました。
「わっしょい!」は二回とも言って、最高な「わっしょい!」でした。
ちょっと緊張していたので、おとん(父)に電話をしてリラックスさせてもらいました。
ちょっと納得はいかなかったんですが、ちゃんとランを滑るという意味では、
父も母もホッとしていると思います。
次のオリンピックではガッチリ決勝に残って、
上を目指せるように頑張って行きます!
平昌オリンピック
スノーボード
ビッグエア女子日本代表 岩渕麗楽選手
岩渕選手:
やっぱり今まで練習してきた事が結果として出るわけではなくて、
やっぱり運とかもあると思いました。
私は今回、自分の実力を出す事ができずに4位という結果になってしまい、
本当に悔しい気持ちでいっぱいです。
私の競技人生はここで終わりでは無いのでやっぱり4年後に
またチャレンジしたいと思っています。
心技一体、今より強くなれるようこれから頑張ろうと思います。
平昌オリンピック
スノーボード
ビッグエア女子日本代表 藤森由香選手
※藤森選手は、種目を転向しての出場でした。
藤森選手:
1本目は、バックサイドナインをしっかり立つことができたので、2本目、
3本目は安心してドロップすることができたんですが、
練習してきた成果をしっかり出すことができなかったので、
少し残念な結果になってしまいました。
まずは、メダルよりも自分の滑りをしっかり出したいという事を一番に
思っていたので、一本目でしっかり出せました。
ただ、二本目、三本目でなかなか合わすことができずに残念でした。
やっぱりこの大きな舞台で戦う事の幸せな気持ちと
応援してくださった皆さんに自分の滑りをしっかりと
見せられたので嬉しかったです。
平昌オリンピック
スノーボード
ビッグエア女子日本代表 広野あさみ選手
広野選手:
本当に今までの集大成を出し切れたかなと思います。
緊張してガチガチになってドロップごけとかしちゃうんじゃないかなという
不安がすごくありました。
やっぱり、自分のアンパイなルーティンでは勝てないと分かっていたので、
攻めた結果です。
全力を尽くしたので後悔はないです。
ずっとワールドカップで恐怖とばかり戦っていたので、
何で楽しいがないんだろうと考えた結果、やっぱり挑戦したら楽しいが
やってくるんだなって思って、挑戦したら楽しいが見つかりました。
こういう結果になってしまったんですが、昨日、地元の子どもたちから
「あさみちゃんみたいになりたい。」という声が聞けて、
あぁ〜出て良かったと思いました!
平昌オリンピック
スノーボード
ビッグエア男子日本代表 大久保勇利選手
大久保選手:
ちょっとダメでした。思っていたより飛んでいて、合わせられませんでした。
飛び過ぎて回り過ぎるのを抑える感じでした。
ギリギリで決勝に上がるのは嫌だったので、ちょっとこけてしまったので
何も言えませんが、悔しいのが一番ですね。
また、練習します。
海外のライダーと一緒に滑る事ができて楽しかったです。
この刺激を持ち帰って日本で練習します。
技量が足りなかったので、世界の大会で成績残せるように頑張ります。
1981年12月29日東京都生まれ
(幼少時代から仙台で過ごす)
プリンスホテル所属。06年トリノ五輪でアジア人初の金メダルを獲得。同年5月にプロ宣言をし、アイスショーを中心に活動し、オリンピックキャスター、フィギュアスケート解説、テレビやイベント出演、コラム連載も行う。現在は、イタリアのピエモンテ州の観光大使を務めるなど様々な分野にも精力的に挑戦している。
1972年5月6日生まれ/岐阜県出身
中学から本格的に陸上競技を始め、県立岐阜商業高校、大阪学院大学を経て実業団へ。98年名古屋国際女子マラソンで初優勝、以来マラソン6連勝。2000年シドニー五輪金メダルを獲得し、同年国民栄誉賞受賞。2001年ベルリンでは女性として初めて2時間20分を切る世界記録(当時)を樹立する。08年10月現役引退を発表。
公益財団法人日本陸上競技連盟 理事、公益財団法人日本オリンピック委員会 理事、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員会委員長。その他「高橋尚子のスマイル アフリカ プロジェクト」や環境活動、スポーツキャスター、JICAオフィシャルサポーターなどで活躍中。