今回は、スノーボード・ハーフパイプ男子日本代表の平野歩夢選手と片山來夢選手のインタビューをお届けしました。
?平野歩夢
今回は、2位という結果で終わったんですけど、素直に自分が2位だったと認められる滑りはできたのかなと思っています。
最後の選手も自分以上の滑りをしたと感じています。
自分が出せるすべての演技をやり終えて、皆さんに見せる事ができた事が一番大事な事だと思います。
最後の滑りは、二本目以上の事を自分の頭では考えていて、ただそこにたどり着く前に失速だったり技につながらない状態になってしまい、そこが最後まで滑りきれていればなという少しだけ悔しい思いはあります。
◆この4年間どう過ごされていましたか?
日常の生活でやりたくない事ってあると思うのですが、
それを自分でやろうと決めて、ジムでもストレッチでもできるだけ嫌な事、
普段やりたくない事をやって、それがスノーボードでも自分の弱点だと思い、
やり続けた事で強さに変わっていった4年間でした。
◆2年後の東京オリンピックではスケートボードに出る事について
まだ、終わったばかりなので、落ち着いて考えて、覚悟を決めてから発表したいと思います。
今はまだ全然分からない状況です。
?片山來夢選手
今までやってきたランの中で一番進化していましたが、やっぱり悔しいです。
単純に結果を見て、歩夢が上にいて、自分が下にいて、それを見ただけでも悔しいですし、やっぱり歩夢の良いランだったり、ショーンだったりスコッティだったり、皆が良いランをしていたので、自分はまだまだだなと思いました。
やっぱりこれまでやってこれたのは家族のおかげなので感謝はしています。
結果としては悔しいですけど、楽しめた自分はいます。
まだまだやりたいこともたくさんありますし、そこに向けてひたすらスノーボードを続けていくだけです。
1981年12月29日東京都生まれ
(幼少時代から仙台で過ごす)
プリンスホテル所属。06年トリノ五輪でアジア人初の金メダルを獲得。同年5月にプロ宣言をし、アイスショーを中心に活動し、オリンピックキャスター、フィギュアスケート解説、テレビやイベント出演、コラム連載も行う。現在は、イタリアのピエモンテ州の観光大使を務めるなど様々な分野にも精力的に挑戦している。
1972年5月6日生まれ/岐阜県出身
中学から本格的に陸上競技を始め、県立岐阜商業高校、大阪学院大学を経て実業団へ。98年名古屋国際女子マラソンで初優勝、以来マラソン6連勝。2000年シドニー五輪金メダルを獲得し、同年国民栄誉賞受賞。2001年ベルリンでは女性として初めて2時間20分を切る世界記録(当時)を樹立する。08年10月現役引退を発表。
公益財団法人日本陸上競技連盟 理事、公益財団法人日本オリンピック委員会 理事、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員会委員長。その他「高橋尚子のスマイル アフリカ プロジェクト」や環境活動、スポーツキャスター、JICAオフィシャルサポーターなどで活躍中。