(後編)今週のMY OLYMPICは、フィギュアスケート選手の樋口新葉さんと荒川静香さんの対談をお送りしました。
(OA:2017年6月19日〜6月23日)
樋口新葉(わかば)選手は、2001年生まれの16歳。
東京都出身です。
◆現在スケートは、オフシーズンに入っていますが、この期間に来シーズンの準備が始まっていると思いますが、来シーズンの目標は何ですか?
来シーズンはオリンピックシーズンなので、シーズンの最初から最後の試合まで気を抜かずに全ていい結果がで出せるようにしたいです。
◆樋口選手の休日の過ごし方は?
寝ている事。食べることが大好きなので食べに出かける事が多いです。
◆これまでうまくいかなかった事もいろいろあったかと思いますが、それをどう乗り越えましたか?
一昨年と去年のジュニア時代は、全く試合の反省や復習をしていなかったのですが、今シーズンに入ってから、全ての試合の反省と復習をしっかりするようになった結果、次の試合や練習に活かすことができて、それが乗り越えられているきっかけだと感じています。
◆現在、オリンピックに向けてしている事はありますか?
四大陸選手権でオリンピックと同じリンクで滑って、結果が非常に悪く、悔しい気持ちが大きくなりました。もしオリンピックに選ばれて、行く事になったら、不安も出てくると思うので、どこのリンクでもうまい演技ができる練習をして、自分に合うプログラムを作ってもらいたいと思っています。
◆自分の強みは何ですか?
絶対にやってやると思って滑るとダメですが、どうにでもなれと思って滑ると意外とうまくいくことが強みです。
荒川さん:開き直りの気持ちが自分を救ってくれるという事ですか?
樋口さん:そうです。
◆今回、四大陸大会でピョンチャンオリンピックで滑るリンクを経験されましたが、オリンピックに向けてイメージを作る要因にもなりましたか?
会場の雰囲気が分かったので、オリンピックに行けるように頑張って、四大陸の経験を活かして滑りたいと思います。
※ここから樋口選手から荒川さんへ逆質問タイム!
◆私は、初めての全日本選手権で非常に緊張して足が震えていましたが、荒川さんが初めて出たオリンピックでは何を考えて過ごしていましたか?
荒川さん:私が長野オリンピックに出ていた時は、今のフィギュアとレベルが全く違っていたので、あまり参考にならないかもしれませんが、ジュニアがどんどん育成されている時代で、ミスしても良いからいってこいという時代でした。このオリンピックがダメなら次のオリンピックで頑張れというのが強みでしたね。
樋口さん:私も四大陸で失敗したので、世界選手権では失敗してもいいからと思って滑ったので、分かる気がします。
◆私は、四大陸選手権と世界選手権に出て、うまく滑る事ができませんでした。この二つの試合とオリンピックの違いは何ですか?
荒川さん:オリンピックはやはり、気持ちが構えてしまいます。
オリンピックは4年に一度しかないとどこかで思ってしまい、特別視するがゆえにいつもどおりが通用しないんです。舞い上がっちゃうんですよね。
選手村という環境で、他の競技の選手もいる大会、大きな祭典でもあり、心のどこかで舞い上がってしまうので、これをどう集中力に繋げるかが一つの大きな課題かもしれません。
楽しみつつも、抑えられるような部分も必要かなと思います。私はサバイバルな感じがしました。
樋口さん:私は当時小さかったですが、スルツカヤ選手がいて、すごい試合だったというのは覚えています。
◆私はまだオリンピックシーズンを経験していないので、この時期の気持ちを教えてください。
荒川さん:私がオリンピックシーズンを迎えたのはまだ、世界選手権も経験していない時で、オリンピックに行くことを目標にしてしまったので、いざオリンピックに行けると決まってから、なかなかオリンピックへの気持ちや課題もこなせないまま迎えてしまったなという印象があります。時間だけがどんどん流れてしまうというオリンピックシーズンでした。オリンピックのあとに次のオリンピックを目指したのが8年後でしたが、その間に経験した事を踏まえて思ったことは、オリンピックはシーズンを通して戦う事。
オリンピックだけに照準を合わせず、シーズンをどのように戦って、二月のオリンピックでピークに持っていけるのかをシーズンオフの時からプランニングしていく事を二回出場した事によって、ようやく感じました。
樋口さん:ありがとうございます。
1981年12月29日東京都生まれ
(幼少時代から仙台で過ごす)
プリンスホテル所属。06年トリノ五輪でアジア人初の金メダルを獲得。同年5月にプロ宣言をし、アイスショーを中心に活動し、オリンピックキャスター、フィギュアスケート解説、テレビやイベント出演、コラム連載も行う。現在は、イタリアのピエモンテ州の観光大使を務めるなど様々な分野にも精力的に挑戦している。
1972年5月6日生まれ/岐阜県出身
中学から本格的に陸上競技を始め、県立岐阜商業高校、大阪学院大学を経て実業団へ。98年名古屋国際女子マラソンで初優勝、以来マラソン6連勝。2000年シドニー五輪金メダルを獲得し、同年国民栄誉賞受賞。2001年ベルリンでは女性として初めて2時間20分を切る世界記録(当時)を樹立する。08年10月現役引退を発表。
公益財団法人日本陸上競技連盟 理事、公益財団法人日本オリンピック委員会 理事、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員会委員長。その他「高橋尚子のスマイル アフリカ プロジェクト」や環境活動、スポーツキャスター、JICAオフィシャルサポーターなどで活躍中。