今回は、フェンシング日本代表 敷根 崇裕選手と旭化成柔道部監督中村謙三さんにお話を伺いました!
(OA:2017年7月10日〜7月15日)
?フェンシング日本代表
敷根 崇裕選手
リオ五輪後にフェンシング日本代表強化本部長に就任した敷根裕一さんを父に持つ敷根選手。
◆フェンシングの魅力について伺いました。
フェンシングには三種目があり、「フルーレ」、「エペ」、「サーブレ」というそうです。
世界的には「エペ」が主流の中、日本では「フルーレ」人口が圧倒的に多いという事で、敷根選手もこの「フルーレ」で頑張っています
自分の考えた技を出すために相手の選手を騙すんですけれど、それがうまくいったときの心地よさだったり、優勝した時の心地よさだったり、そういうところがフェンシングの魅力かなと思います。
また、うまく騙せて、しっかり権利をとって、ずるい技をしないように正しいフェンシングをやって、優勝した時に心地よく感じたいのがフェンシングの魅力です。
紳士のスポーツフェンシングで勝ち負けだけでなく、プレイの正しさにもこだわる敷根選手ですが、体力面でなく心理戦もフェンシングの醍醐味のようですね。
◆太田雄貴選手の後継者と言われている敷根選手にとってオリンピックとはどういう舞台なのか伺いました。
オリンピックは僕にとっての頂点です。
ロンドンとリオを見て、必ず僕が金メダルを取ろうという気持ちになりました。
昨年のジュニア選手権で優勝した敷根選手、太田選手からのバトンをしっかりと引き継いでいるみたいです!
◆東京オリンピックへの意気込みを伺いました。
リオに出場するつもりでいたが、叶わず、次回の東京オリンピックには出場できるようにずっと頑張っています。
◆アピール部分は?
あまり自分のスタイルは早くないのですが、アタックだけ早くて、華麗な技をするのが好きなのでそこを見ていただければと思います。
敷根選手だけのスタイルを是非見せていただきたいと思います。
?旭化成柔道部の監督
中村謙三さん
◆2020年に向けて今のお気持ちは?
国内でも柔道は期待が高まっているので、皆さんの期待に応えたいです。
2020年の時に皆さんが喜んでもらえるよう頑張っていこうと思っています。
中村さんも1996年アトランタオリンピックで柔道男子71キロ級で金メダルを取っており、2020年も中村さんが指導した選手たちに期待したいと思います。
◆自分の経験をどう生かしているのか?
2020年に選手のピークを合わせて、一言でも気づける部分があればサポートをしていきたい。
◆何を期待しているか?
若手選手もベテランの選手も頑張ってやっている。
スポーツ界全体がレベルアップ、底上げしている。
世界で活躍する選手がたくさん出てくればいいなと思っています。
2020年東京オリンピックでは、柔道混合が決定したので、選手のモチベーションが上がるかもしれないですね。
今週は、オリンピックを目指す選手とその選手をサポートしている方々にお話を伺いました。
1981年12月29日東京都生まれ
(幼少時代から仙台で過ごす)
プリンスホテル所属。06年トリノ五輪でアジア人初の金メダルを獲得。同年5月にプロ宣言をし、アイスショーを中心に活動し、オリンピックキャスター、フィギュアスケート解説、テレビやイベント出演、コラム連載も行う。現在は、イタリアのピエモンテ州の観光大使を務めるなど様々な分野にも精力的に挑戦している。
1972年5月6日生まれ/岐阜県出身
中学から本格的に陸上競技を始め、県立岐阜商業高校、大阪学院大学を経て実業団へ。98年名古屋国際女子マラソンで初優勝、以来マラソン6連勝。2000年シドニー五輪金メダルを獲得し、同年国民栄誉賞受賞。2001年ベルリンでは女性として初めて2時間20分を切る世界記録(当時)を樹立する。08年10月現役引退を発表。
公益財団法人日本陸上競技連盟 理事、公益財団法人日本オリンピック委員会 理事、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員会委員長。その他「高橋尚子のスマイル アフリカ プロジェクト」や環境活動、スポーツキャスター、JICAオフィシャルサポーターなどで活躍中。