8月7日〜8月9日は、飯塚翔太選手
8月10日〜11日は、伊調馨選手にお話を伺いました。
◇飯塚翔太選手
2016年リオデジャネイロオリンピック4×100mリレーメンバーで、日本に銀メダルをもたらした陸上男子代表の飯塚翔太さん。
1991年生まれ、現在26歳です。
◆昨年のオリンピックをどのように迎えましたか?
行く前は、ずっとイメージトレーニングをしていました。
自分が決勝の舞台で良い結果を出して、観客に挨拶をするところを想像していました。
そうすると、アドレナリンが出てきて、気持ちが上がってきました。
その気持ちを忘れずに試合に持っていきました。
◆個人種目の200mはいかがでしたか?
個人種目は本当に結果がひどくて、その日は眠れませんでした。
翌日からバトン練習があり、そこでなんとか気持ちを切り替えることができました。
自分の力を証明しないと帰れないという気持ちで走りました。
※個人種目は予選敗退でした。
◆リオデジャネイロオリンピックはいかがでしたか?
過去に先輩たちが、北京でメダルを取ったり、決勝で残ったりなど当たり前な結果を残してくれていて、リレーなら日本選手は戦えるという気持ちに持って行ってくれて、背中を押してくれたのは先輩方の力のおかげです。
リオでは、全員が自己ベストとシーズンベストを出した選手で組めました。
本当に最高のメンバーで走れて、自信を持って走れたのが結果につながりました。
◆飯塚選手の周囲は変わりましたか?
変わりました。周りも変わりましたし、陸上の認知度がすごく上がりました。
練習や試合を見に来てもらえる人数や、試合の結果などもニュースで見るようになりました。
◆2020年に向けて今の気持ちを伺いました。
リレーに関しては、走れると思っています。
あとは、個人種目で自信を付ける事です。
海外の選手に負けないという自信をつけることが、この3年間は大事だと思っています。
積極的に海外の試合に出て、格上の相手にチャレンジして、負けても勝ってもいいのでたくさんやっていくのが大事だと思います。
◆リオデジャネイロオリンピックのあと他国の選手の反応はいかがですか?
リオのオリンピックのあと、世界の人たちが少しずつ注目してくれています。
海外の試合に行っても、観客を含めて選手も日本人選手の事を気にしてくれています。
そのおかげで、誇りを持って走る事が出来ています。
背中を押してもらっているので、自信にもつながっています。
東京オリンピックに向けても励みになっています。
◇日本女子レスリング代表、伊調馨選手にお話を伺いました。
◆競技生活以外で、周りにサポートされている部分は何ですか?
やはり、食事の面や精神的ケアの面はサポートしてもらっています。
サポートがいなければ競技力向上にもつながらないので、日々サポートの大切さを実感しています。
◆家族(お兄さま、お姉さま)のサポートはいかがですか?
一番大きな支えになっています。
◆2020年東京オリンピックに向けて今のお気持ちを教えてください。
皆、次のステップに向かって進んでいる中、私は今いろんな事をチャレンジして、見て、聞いて、経験をさせてもらっているので、そこから次のステップに進んで行けたらいいなと思っています。
※伊調選手はまだ、次のステップを模索中だという事でした。
1981年12月29日東京都生まれ
(幼少時代から仙台で過ごす)
プリンスホテル所属。06年トリノ五輪でアジア人初の金メダルを獲得。同年5月にプロ宣言をし、アイスショーを中心に活動し、オリンピックキャスター、フィギュアスケート解説、テレビやイベント出演、コラム連載も行う。現在は、イタリアのピエモンテ州の観光大使を務めるなど様々な分野にも精力的に挑戦している。
1972年5月6日生まれ/岐阜県出身
中学から本格的に陸上競技を始め、県立岐阜商業高校、大阪学院大学を経て実業団へ。98年名古屋国際女子マラソンで初優勝、以来マラソン6連勝。2000年シドニー五輪金メダルを獲得し、同年国民栄誉賞受賞。2001年ベルリンでは女性として初めて2時間20分を切る世界記録(当時)を樹立する。08年10月現役引退を発表。
公益財団法人日本陸上競技連盟 理事、公益財団法人日本オリンピック委員会 理事、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員会委員長。その他「高橋尚子のスマイル アフリカ プロジェクト」や環境活動、スポーツキャスター、JICAオフィシャルサポーターなどで活躍中。