今週は、2008年オリンピック北京大会サッカー日本代表コーチの井原正巳さんにお話を伺いました。
オリンピック北京大会
サッカー日本代表コーチ
井原正巳さん
◆2002年に現役を引退してからの目標はなんでしたか?
2002年に引退してから、Jリーグの指導者を目指しました。
2005年に試験を受け、2006年に承認していただくことができました。
そこで、2008年のオリンピック大会の指導者の話をいただくことができました。
選手としてはオリンピックに携われなかったけれど、指導者として携わることができて、期待と喜びを非常に感じることができました。
若い世代が活躍する2008年の北京オリンピック大会は、2010年のW杯につながると思っていたので本当に気を引き締めてコーチの仕事を引き受けました。
◆2008年北京オリンピック大会に出たサッカー選手は今どうされていますか?
2008年北京五輪の選手は今の日本代表をひっぱってくれています。
本田、岡崎、長友、吉田、選手名を上げればきりがありません。
ほとんどの選手が北京大会に出てからフル代表に入って活躍しています。
北京大会に選ばれなかった選手も今は、代表で活躍しています。
北京では3連敗という悔しい思いをしましたが、この経験が今につながっていると思います。
◆2008年のオリンピック大会後にどのような変化がありましたか?
私自身、コーチの立場で実際に結果を出すことができませんでしたが、大会後はフリーになり、2009年からはJリーグでコーチとして仕事をさせてもらい、今では、アビスパ福岡の監督として仕事をさせてもらっています。
将来的にはオリンピックやW杯の日本代表の監督を目標に頑張っています。
◆指導者として今のサッカー業界はいかがですか?
日本のサッカーは、私の現役時代から本当に進歩しています。
世界のサッカーも変化しています。
技術的には日本人選手も上がってきていると思います。
日本人にあった戦術を考えていけば世界で戦えると思います。
◆今後の夢
僕自身の夢はやはり、Jリーグの監督してしっかりと与えられたチームで結果を残すこと。
今年はJ1に昇格すること。将来的にはJ1優勝です。
しっかりと成績を残して、オリンピックやW杯の代表監督につきたいです。
1981年12月29日東京都生まれ
(幼少時代から仙台で過ごす)
プリンスホテル所属。06年トリノ五輪でアジア人初の金メダルを獲得。同年5月にプロ宣言をし、アイスショーを中心に活動し、オリンピックキャスター、フィギュアスケート解説、テレビやイベント出演、コラム連載も行う。現在は、イタリアのピエモンテ州の観光大使を務めるなど様々な分野にも精力的に挑戦している。
1972年5月6日生まれ/岐阜県出身
中学から本格的に陸上競技を始め、県立岐阜商業高校、大阪学院大学を経て実業団へ。98年名古屋国際女子マラソンで初優勝、以来マラソン6連勝。2000年シドニー五輪金メダルを獲得し、同年国民栄誉賞受賞。2001年ベルリンでは女性として初めて2時間20分を切る世界記録(当時)を樹立する。08年10月現役引退を発表。
公益財団法人日本陸上競技連盟 理事、公益財団法人日本オリンピック委員会 理事、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員会委員長。その他「高橋尚子のスマイル アフリカ プロジェクト」や環境活動、スポーツキャスター、JICAオフィシャルサポーターなどで活躍中。