2016年オリンピックリオデジャネイロサッカー日本代表
亀川諒史選手・24歳
アビスパ福岡在籍
◆サッカーを始めたのはいつ頃ですか?
小学校2年生から始めました。
◆いつごろからプロ入りを目指しましたか?
W杯をテレビで見るようになり、
中学からプロになりたいと思いました。
◆プロ入りを果たした経緯
高3の進路希望で料理人になりたいと思い、高校の監督とも話しました。
しかし、最後の夏休みの時にベルマーレの練習に誘われ、その時にプロ契約を結ぶことになりました。
当時の高校の監督がきっと自分にサッカーを続けさせたいと思い、ベルマーレに声をかけてくださったんだと思います。
その決断は、6年経った今も間違っていなかったと思っています。
◆プロ入り後について
ベルマーレからプロになり、1年目は、高校3年の選手権で怪我をしてしまい、1年間怪我人として別メニューで練習をしていました。そこで自信がどん底まで落ちました。
チーム自体は、僕が怪我をしている間、順調でJ2からJ1に上がって、自分も2年目になって怪我も治って頑張ろうとは思ったんですが、J1からのスタートに少し自信がなかったのですが、監督が開幕戦から起用してくれて、試合に出るにつれ自信を持てるようになりました。
オリンピック代表に選ばれた時は、この世界は試合に出ないと選ばれない事がはっきりと分かり、本当に嬉しかったです。
代表入り前は、年代別代表にも入ったことがなかったです。
ロンドンオリンピックもアテネオリンピックもテレビで見ていたので憧れでした。リオで実際に出場できるとは思ってもいませんでした。
手に届くとは思っていませんでした。
プロになってからもオリンピックは遠い存在のようでした。
◆世代別日本代表に選ばれたことについて
プロ入り二年目から呼ばれるようになり、非常に光栄でした。
代表に選ばれることによって、自分の幅が広がると思いました。
世界の舞台に立つこと自体が初めてだったので、このままずっと選ばれるように生き残らないといけないと思いました。
チームにいるときはチームのために頑張り、同時に代表入りも目指しました。
◆チームで戦っている時と代表で戦っている時の違いは?
チームの時は、アビスパのチームを背負って戦っていますが、代表になったときは国を背負って戦っています。
チームと代表では背負っている規模が違うので、重みも違います。
代表の試合は国も違い、普段は日本の整った環境でプレイをしていますが、海外に出ると全く環境が整っていないところもあり、そういう難しい条件の中でも試合をしなければいけないのでメンタル部分では強くなったと思います。
1981年12月29日東京都生まれ
(幼少時代から仙台で過ごす)
プリンスホテル所属。06年トリノ五輪でアジア人初の金メダルを獲得。同年5月にプロ宣言をし、アイスショーを中心に活動し、オリンピックキャスター、フィギュアスケート解説、テレビやイベント出演、コラム連載も行う。現在は、イタリアのピエモンテ州の観光大使を務めるなど様々な分野にも精力的に挑戦している。
1972年5月6日生まれ/岐阜県出身
中学から本格的に陸上競技を始め、県立岐阜商業高校、大阪学院大学を経て実業団へ。98年名古屋国際女子マラソンで初優勝、以来マラソン6連勝。2000年シドニー五輪金メダルを獲得し、同年国民栄誉賞受賞。2001年ベルリンでは女性として初めて2時間20分を切る世界記録(当時)を樹立する。08年10月現役引退を発表。
公益財団法人日本陸上競技連盟 理事、公益財団法人日本オリンピック委員会 理事、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員会委員長。その他「高橋尚子のスマイル アフリカ プロジェクト」や環境活動、スポーツキャスター、JICAオフィシャルサポーターなどで活躍中。