鈴木明子さん
愛知県出身
プロフィギュアスケーター
振付師
バンクーバーオリンピックとソチオリンピックに出場
◆スケートを始めたきっかけはなんでしたか?
家の近くにリンクがあったのがきっかけで始めました。
一年でそのリンクは閉鎖されましたが、既にスケートにのめりこんでいた為、プロ選手になりたいと思い、名古屋まで1時間かけて通いました。当時の名古屋はスケートが非常に盛んで、コーチもたくさんいたので、自然と続けられていました。
◆6歳で始められたスケートの魅力はなんでしたか?
あまり覚えていませんが、氷の上で滑っているのが好きでした。
上達は早くなかったです。
また、ずばぬけてうまくもなかったです。
才能はなかったと思います。
ただ、氷を滑っていると気持ちが良くて、歩くより早いので、風を感じられることや表現する事が芸術性があって好きでした。
自分の気持ちが出せる場所でした。
◆バンクーバー・ソチに出場されましたが、オリンピックを意識したのはいつ頃ですか?
一番のターニングポイントは全日本ジュニアで成績を残すことができて、全日本選手権に出られた時です。当時の全日本選手権はソルトレイクの代表選でもあり、先輩方と同じ試合に出て、間近で代表選を見ることができて、すごいと思いました。
そこでは予期せぬ失敗や、その怖さを感じることができて、自分もこういう戦いをするのは4年後なのかなと少し感じました。
◆あせりを感じましたか?
どんどんスケートの技術的のレベルが上がっていって、焦りを感じました。また、下から安藤美姫さんや浅田真央さんが来ていたので、高校時代が一番焦りを感じていました。
◆フィギュアスケートとオリンピックへの思いについて教えてください。
フィギュアスケートは好きで、辞めたいとは思いませんでした。
オリンピックに出たいというよりは、自分のスケートを多くの人に見てもらうにはどうしたらいいかを考え、やはり最高峰のオリンピックなのかなと思い、オリンピック出場を目標に目指しました。
最高でも3枠しかない枠の中にどうしたら入れるのかを日々考えて、自分は技術的な部分が弱かったので、その部分を強化してくれる先生につきました。
(※次週に続く)
1981年12月29日東京都生まれ
(幼少時代から仙台で過ごす)
プリンスホテル所属。06年トリノ五輪でアジア人初の金メダルを獲得。同年5月にプロ宣言をし、アイスショーを中心に活動し、オリンピックキャスター、フィギュアスケート解説、テレビやイベント出演、コラム連載も行う。現在は、イタリアのピエモンテ州の観光大使を務めるなど様々な分野にも精力的に挑戦している。
1972年5月6日生まれ/岐阜県出身
中学から本格的に陸上競技を始め、県立岐阜商業高校、大阪学院大学を経て実業団へ。98年名古屋国際女子マラソンで初優勝、以来マラソン6連勝。2000年シドニー五輪金メダルを獲得し、同年国民栄誉賞受賞。2001年ベルリンでは女性として初めて2時間20分を切る世界記録(当時)を樹立する。08年10月現役引退を発表。
公益財団法人日本陸上競技連盟 理事、公益財団法人日本オリンピック委員会 理事、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員会委員長。その他「高橋尚子のスマイル アフリカ プロジェクト」や環境活動、スポーツキャスター、JICAオフィシャルサポーターなどで活躍中。