【前編】今週は、アテネ、北京とリオオリンピックに出場した日本代表男子棒高跳澤野大地選手にお話を伺いました。
◆澤野選手が棒高跳びを始めたきっかけは?
もともと小学校の時に走るのが大好きで中学に入ったら陸上部に入ろうと思っていました。
中学で陸上部に入って、長距離をやっていたんですが、横で友達が棒高跳びをやっているのを見て、少し楽しそうだなと思っていました。
だから、ときどき友達にポールを借りて遊び感覚でやっていたんです。
入部して2〜3カ月経ってから、顧問の先生に棒高跳びやってみろよと誘われまして、楽しそうだと思っていたので、やりますと言ったのがきっかけです。
◆棒高跳びの魅力は?
棒一本で身長の何倍もの高さを越える、自分の力でどこまでも飛べて、飛んでいると本当に空を飛んでいるような気持ちになるのが魅力です。
もともと自分は、短距離を走るのが遅く、走るのが早くなくても高く飛べたんです。
棒高跳びは道具を使う種目で、道具を使うからのむずかしさ、その分考える事がたくさんあるのが楽しく、魅力を感じています。
また、技術面も道具で影響してくるので、それをつきつめていったからこの年になってもまだ続けられているのがまた棒高跳びの魅力でもありますね。
◆棒高跳びを続けてこられた理由は?
実は、小学校の夢がオリンピック選手になる事でした。
しかし、当時は棒高跳びもやっていないので自分がどの競技に向いているかもわかっていませんでした。
ただ、オリンピックの凄さは幼くてもなんとなくわかっていました。
ソウルオリンピックを父から録画してくれと頼まれてなんとなく録っていたのですが、その時に陸上の棒高跳びを見て、楽しそうだと感じました。
そして、中学校3年生の時に全国大会まで行ったんです、しかし、トップ争いには及びませんでした。
ただ、高校に入ってからもこの競技を続けてもっと高く飛びたいという思いが強くなったんです。
そこで高校は棒高跳びが強くなれる学校に入ろうと思い、千葉の成田高校に進学しました。
◆高校での三年間はいかがでしたか?
中学校では、4メートル30センチを飛んでいたのが、高校で4月から入部して、走り方をしっかり教わったあと、夏には4メートル80センチは飛べるようになっていました。
インターハイにはいけなかったんですが、棒高跳びの楽しさを実感しはじめて、もっと飛べると思いこれで日本一を絶対に取ってやるという気持ちが芽生えました。
もっと練習して頑張ろうという気持ちにもなりました。
人よりも努力して頑張った結果、2年生では5メートル飛べていました。
そして、インターハイも優勝できました。
秋には高校記録も作れました。
高校の時は指導者の先生にも恵まれて、練習環境も本当に良かったです。
成田高校の陸上部の選手は、全員インターハイで優勝を目指しているので、練習のレベルも高くて、皆が本気になって練習をしていました。
◆世界を目指そうと思ったきっかけは?
高校生の時の目標は5メートル40センチでした。
私が記録を出すまでの高校記録は5メートル20センチでした。
それを高校2年生の時に5メートル25センチにしました。
3年になってどこを目指そうかと考えた時に当時の指導者であった滝田先生が、5メートル40センチを目指せ、世界を目指せと言ってくれました。
その時にその言葉が身体の中にすっと入ってきて、世界を目指さないとだめなんだという意識が自然と生まれました。
当時のインターハイと同じ時期に世界ジュニア選手権があったのですが、インターハイとかぶっていたので出場はできませんでした。
ただ、インターハイで5メートル40センチを飛んだんですが、それを世界ジュニアで飛んでいたとしても銅メダルに終わっていました。
逆に言うと5メートル40センチを飛んでも世界一にはなれなかった、だとしたらもっと頑張らなければいけないという気持ちになりました。
1981年12月29日東京都生まれ
(幼少時代から仙台で過ごす)
プリンスホテル所属。06年トリノ五輪でアジア人初の金メダルを獲得。同年5月にプロ宣言をし、アイスショーを中心に活動し、オリンピックキャスター、フィギュアスケート解説、テレビやイベント出演、コラム連載も行う。現在は、イタリアのピエモンテ州の観光大使を務めるなど様々な分野にも精力的に挑戦している。
1972年5月6日生まれ/岐阜県出身
中学から本格的に陸上競技を始め、県立岐阜商業高校、大阪学院大学を経て実業団へ。98年名古屋国際女子マラソンで初優勝、以来マラソン6連勝。2000年シドニー五輪金メダルを獲得し、同年国民栄誉賞受賞。2001年ベルリンでは女性として初めて2時間20分を切る世界記録(当時)を樹立する。08年10月現役引退を発表。
公益財団法人日本陸上競技連盟 理事、公益財団法人日本オリンピック委員会 理事、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員会委員長。その他「高橋尚子のスマイル アフリカ プロジェクト」や環境活動、スポーツキャスター、JICAオフィシャルサポーターなどで活躍中。