JOC企画スポーツラジオ番組 MY OLYMPIC

かつての名選手から将来有望な
オリンピック代表選手のタマゴまで、毎日選手を紹介。
スポーツの祭典「オリンピック」によって、
出場した選手が得たもの、出場を目指す選手たちが
日々感じること、
今だから話せるエピソードや
オリンピックの思い出、取り組んでいる競技の楽しさや
見どころ、
オリンピック出場にかける夢や
情熱を語っていただき、オリンピック候補選手たちと
同世代のヤングリスナーを中心に伝えていきます。

JAPAN FM NETWORK 全国NET 
毎週月-金曜日 6:55-7:00

 OnAir Report

  • 夢に向かって頑張った事は必ず自分の力になる!
  • 今週は、10月29日に行われたマイオリンピック公開録音イベントの模様をお伝えいたします。ゲストにバレーボール元日本代表の大山加奈さんをお迎えしました。

    バレーボール元日本代表の大山加奈さんにインタビューしました。

    ◆大山さんの子どものころについて教えてください。

    多分みなさん、信じてくれないと思うんですが、小さいころは身体が弱くて運動が嫌いで苦手でした。
    きっと何を言ってるんだろうって思いますよね、オリンピックにも出ていますし、大きいし、強そうだし・・・。
    でも、当時は喘息を持っていまして、夜中に発作を起こしては、病院に運ばれてしまう日々を過ごしていました。
    そして、吸入が手放せませんでした。
    学校も年間で50日くらいは休んでいました。
    本当に体の弱い子だったんです。
    運動する事は、お医者さんからも止められていましたし、ちょっと走っても息がゼーゼーいってました。
    苦しくなるから運動はしたくない、運動は嫌いと思っていました。
    家の中でお絵かきをしたり、本ばかり読んでいました。
    でも、小学校入学したときに私の身長は、138cmありました。
    (※ネット調べ1年生女子の平均117cm)
    ずば抜けて大きかったんですね、ですからすぐ先輩に見つかってしまい、大きいからバレーボールやらない?と誘われて、練習を見に行ったのがきっかけでバレーボールと出逢いました。

    ◆バレーを頑張ろうと思ったきっかけは?

    (1歳違い)の妹がいるんですが、彼女の存在が大きかったです。
    妹は私と正反対で、幼いころから体を動かすのが大好きで、じっとしていられませんでした。
    運動神経も抜群でした。
    また、妹なのでお姉ちゃんには負けたくないという負けず嫌いでした。
    スポーツをやる上で、とっても大事なものを全部兼ね備えている子でした。
    妹がバレーを始めたらめきめきと上達をしていって、妹が先に試合に出たりレギュラーメンバーになれたりとそれを目の当たりにしました。
    そこで初めて、妹に負けたくない、悔しいという気持ちが芽生えました。
    それまでは、私は身体が弱いから、私は運動が苦手だからって諦めていました。
    初めて悔しいと思い、その気持ちから目標というのが生まれました。
    妹に負けない!
    目標があると人間頑張れますね。

    ◆バレーボール日本代表について

    高校1年生の時にメンバーとして選ばれまして、高校3年生のときに初めて合宿に参加しました。
    ずっと小学校から夢であった全日本選手に選ばれた、日の丸が付いたジャージーを着た瞬間だったり、日の丸がついたユニフォームで試合に出る事が幸せでした。
    メンバ―入りを聞いたのは、春高バレーの開会式の日にメディアの方から「選ばれていますけど、どうですか?」と言われて「え〜??」ってなりました。
    その時は、春高の事が頭でいっぱいでメンバーに入ったことはあまり考えられなかったです。
    あとは、代表に行くと練習量がかなり増えます。
    朝から晩まで毎日練習をします。
    それまで休みがいっぱいある中でやってきていたので、そこについていくのが大変でした。
    ただ、私が入ったころは女子バレーどん底の時代でした。
    シドニーオリンピックに出られなかったんです。
    その直後に私が選ばれました。
    代表は相当な覚悟が必要だという事を感じさせられました。

    ◆大山加奈さんが出場した、2004年アテネオリンピックについて教えてください。

    オリンピックの空気は、世界選手権、W杯とは全く違いました。
    日本の選手たちはシドニーオリンピックを逃してしまったので、オリンピックに出るというのが最大の目標でした。
    オリンピックに出られたという安堵感があり、オリンピックの空気に完全に飲まれてしまいました。
    そして、何もできないまま終わってしまいました。
    そしてもう一つは、海外の選手の顔つきが違っていました。
    ロシアの選手たちはいつもは、感情を顔に出さないんですが、オリンピックの時は一本決まるごとに大喜びをして、一本とられるごとにすごく悔しがっていました。
    オリンピックとは、選手たちが全てを賭けて挑みに来ている場所なんだっていう事を知る事ができました。

    ◆皆さんへメッセージをお願いします。

    私自身、運動が嫌いで、苦手で、身体が弱くてとてもオリンピック選手に出られるような子どもではありませんでした。
    でも大きな夢を持って、その夢は叶うんだって信じて、一生懸命努力をしたらその夢が叶いました。
    自分には無理だろうな、私にはできないよって思わずにできるんだ、頑張ればなれるんだって信じる気持ちをもって、努力をしていってもらいたいなと思います。
    でも、夢はかなわない事も正直あります。

    私もオリンピック選手になるんだという夢は叶いましたけど、オリンピックでメダルを取ると言う夢はかないませんでした。
    でも叶わなかった夢に向かったことは今では、私の財産です。
    私が今、頑張れる力になっています。
    なので、夢は絶対に叶うとは言ってあげられませんが、頑張ったことは絶対に皆の力になる!
    これは絶対って言えます。
    是非大きな夢や目標に向かって頑張って欲しいと思います。

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    荒川静香
    荒川 静香

    1981年12月29日東京都生まれ
    (幼少時代から仙台で過ごす)
    プリンスホテル所属。06年トリノ五輪でアジア人初の金メダルを獲得。同年5月にプロ宣言をし、アイスショーを中心に活動し、オリンピックキャスター、フィギュアスケート解説、テレビやイベント出演、コラム連載も行う。現在は、イタリアのピエモンテ州の観光大使を務めるなど様々な分野にも精力的に挑戦している。

    高橋尚子
    高橋 尚子

    1972年5月6日生まれ/岐阜県出身
    中学から本格的に陸上競技を始め、県立岐阜商業高校、大阪学院大学を経て実業団へ。98年名古屋国際女子マラソンで初優勝、以来マラソン6連勝。2000年シドニー五輪金メダルを獲得し、同年国民栄誉賞受賞。2001年ベルリンでは女性として初めて2時間20分を切る世界記録(当時)を樹立する。08年10月現役引退を発表。
    公益財団法人日本陸上競技連盟 理事、公益財団法人日本オリンピック委員会 理事、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員会委員長。その他「高橋尚子のスマイル アフリカ プロジェクト」や環境活動、スポーツキャスター、JICAオフィシャルサポーターなどで活躍中。

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