今週は、元女子体操日本代表の信田美帆さんにお話を伺いました。
◆1988年のソウルオリンピックへ出場した時の事について教えてください。
皆、(オリンピック)を目標にはしていましたが、選手生活を続ける中での通過点の一つでしかありませんでした。
他の世界大会と同じくらいの気持ちだったと思います。
周りの方たちが、オリンピック、オリンピックだよと言っていました。
当時の日本代表は、メダルに届くまでの力がなかったので、
これまでやってきた事を頑張って試合で出す事でした。
それよりもその前の世界選手権でチームとして、オリンピックにいけるかどうかのほうがプレッシャーになっていました。
オリンピック本番では、もうやるだけだなという気持ちでした。
◆オリンピックの出場権を獲得した世界選手権の時は中学生でしたがいかがでしたか?
(その時の私は、)中学三年生でした。
(出場できて)ホッとした気持ちはありましたが、同じチームでオリンピックへ行けるわけではないので、翌年の予選会がまた新たなスタートでした。
自分だけの勝ち取りではなく、チームでの勝ち取りという気持ちでした。
◆昔と今の体操で変わったことは?
私たちの時代と違うのは、採点方法が変わりました。
器具も変わり、昔より跳ねるようになりました。
昔は、アクロバットができないと戦えませんでしたが、
今は、床でジャンプとターンができれば点数がしっかり取れるようになってきましたた。
選手にその武器があれば世界で戦えるようになりました。
そのおかげで選手生命も少しは伸びた気がします。
◆2020年の東京オリンピックにどういう期待を抱いていますか?
日本のレベルが確実に上がってきています。
あとは、実力のある子たちが3年後に標準を合わせて、最強になって、予選を通過してくれることが大事だと思います。
やはりそこに合わせるのが皆大変だと思います。
◆2020年の東京オリンピックで体操女子の注目ポイントを教えてください。
昔はここのクラブが強いからそのクラブばかり、選手が排出されることがあったが、
今は万遍なくいろんなクラブから代表が選出されるのがすごく良い事だと思います。
そういう意味でいろんな可能性が広がるので、まだナショナルチームに入っていない選手のトライアルを(先日)やったのですが、その子たちがこの3年間で強化されていきます。
その若い力と、先日金メダルを取った村上選手というベテラン選手が混ざるとすごく素敵になると思います。
◆2020年東京オリンピックへの目標はなんですか?
私は競技を教えるよりも、ダンスレッスンや床の振付などの芸術性を見ているので、「日本の女子って誰を見ても表現力があるよね、素敵だよね、もう一度みたいよ!」という演技ができるようなお仕事に携われたらいいなと思っています。
1981年12月29日東京都生まれ
(幼少時代から仙台で過ごす)
プリンスホテル所属。06年トリノ五輪でアジア人初の金メダルを獲得。同年5月にプロ宣言をし、アイスショーを中心に活動し、オリンピックキャスター、フィギュアスケート解説、テレビやイベント出演、コラム連載も行う。現在は、イタリアのピエモンテ州の観光大使を務めるなど様々な分野にも精力的に挑戦している。
1972年5月6日生まれ/岐阜県出身
中学から本格的に陸上競技を始め、県立岐阜商業高校、大阪学院大学を経て実業団へ。98年名古屋国際女子マラソンで初優勝、以来マラソン6連勝。2000年シドニー五輪金メダルを獲得し、同年国民栄誉賞受賞。2001年ベルリンでは女性として初めて2時間20分を切る世界記録(当時)を樹立する。08年10月現役引退を発表。
公益財団法人日本陸上競技連盟 理事、公益財団法人日本オリンピック委員会 理事、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員会委員長。その他「高橋尚子のスマイル アフリカ プロジェクト」や環境活動、スポーツキャスター、JICAオフィシャルサポーターなどで活躍中。