2017年11月20日に開催された、マイオリンピック公開録音の内容を2週続けてお送りします。2014年ソチオリンピック、フィギュアスケート女子日本代表の村上 佳菜子さんをゲストにお迎えし、お話を伺いました。(後編)
◆フィギュアスケートは今、非常に人気で試合会場にはたくさんお客様が応援に来てくれていますが、村上さんはどこを心地よく感じながら滑っていますか?
私は、たくさんのお客さんがいると気合が入り、力になります。
まず最初に会場を見渡して、たくさんの方が見ている事を確認して、「あ〜頑張ろう!」って思います。
会場の雰囲気が大好きです。
◆(コーチから)全日本から頑張れっていう傾向がありますが、いかがですか?
そうなんですよ〜。
もっと前の試合から頑張ってはいるんですが、いつも全日本から頑張ればいいと言われて、本当に全日本以降良い感じで滑る事ができていました。
何故かはわからないんですけどね。
◆オリンピック選手村はどうでしたか?
選手村は本当に楽しくて、食堂にはいろんな国のお料理が置いてあって、ビリヤードやWiiがあったり、試合が終わった後に皆で遊びました。
◆オリンピックは、選手村に入ってしまうと練習時間が短くなってしまいますよね?
時間はどう使っていましたか?
私は、持て余してました。(笑)
普段つめつめに練習しているので、空いている時間があるときの使い方が全く分からず、ウォーキングをしたり、お部屋でビデオを見たり、先生たちと街を見たりとかしていました。
今だからいえる事なんですが、もう少し違う過ごし方ができていれば、結果も違っていたかもしれません。
少し悔いはあります。
◆一番オリンピック期間中にリラックスできた事はなんですか?
私はお笑いを見ていました。
何もしないでじっとしていると緊張や不安が大きくなってくるので、お笑いを見て笑い飛ばしていました。
あとは、鈴木明子さんと浅田真央さんがお姉さん的な存在だったので、一緒にごはんを食べる時が自分にとってのリラックスタイムでした。
(当時の選手は)皆優しい方ばかりで、皆がいてくれたから今の自分がいるという事を実感しています。
◆今は、プロとして活躍されていますが、これまでの選手生活との違いについて教えてください。
私はもともと人の心に残る演技をしたいという気持ちが強かったので、今はそれを思う存分できるのがプロになって一番変わったことだと思います。
荒川さん:そうですよね。やはり自分が見せたい物を制限なく見せられる。
ルールがあったからこそ磨きあがった技術もあるとは思いますが。。。
私が村上さんに感じた魅力は、クリエイティブなものを持っている人だなと思いました。
振付を作っていく部分でもセンスがあるスケーターだなって感じました。
村上さん:ありがたいです!
荒川さんには一度振付をさせて頂いたんですが、殆ど自分の振付しかやったことがないのですが、まだまだ自分でやっていてもバリエーションが少ないのでもう少し色々と吸収していきたいと思っています。
いずれは、他の選手にも振付ができたらいいなと思っています。
1981年12月29日東京都生まれ
(幼少時代から仙台で過ごす)
プリンスホテル所属。06年トリノ五輪でアジア人初の金メダルを獲得。同年5月にプロ宣言をし、アイスショーを中心に活動し、オリンピックキャスター、フィギュアスケート解説、テレビやイベント出演、コラム連載も行う。現在は、イタリアのピエモンテ州の観光大使を務めるなど様々な分野にも精力的に挑戦している。
1972年5月6日生まれ/岐阜県出身
中学から本格的に陸上競技を始め、県立岐阜商業高校、大阪学院大学を経て実業団へ。98年名古屋国際女子マラソンで初優勝、以来マラソン6連勝。2000年シドニー五輪金メダルを獲得し、同年国民栄誉賞受賞。2001年ベルリンでは女性として初めて2時間20分を切る世界記録(当時)を樹立する。08年10月現役引退を発表。
公益財団法人日本陸上競技連盟 理事、公益財団法人日本オリンピック委員会 理事、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員会委員長。その他「高橋尚子のスマイル アフリカ プロジェクト」や環境活動、スポーツキャスター、JICAオフィシャルサポーターなどで活躍中。