今週は、アスリートSPという事で2008年北京と2012年ロンドンオリンピックフェンシング男子日本代表千田健太さんと2012年ロンドンオリンピックフェンシング女子代表の平田京美さんにお話を伺いました。
?千田健太さん
◆フェンシングについて
昔は、フィッシングと間違えられるくらいマイナーなスポーツでした。
認知度を上げるにはトップ選手の活躍が不可欠なので、500日合宿を企画して国際舞台で勝てるチャンスを作ってもらった環境にすごく感謝しています。
大学生の頃、学業と両立して500日合宿に参加してました。
フェンシングを頑張って国内で浸透させました。
◆NTC(味の素ナショナルトレーニングセンター)ができてから、練習場を作っていただき、練習をしている。
協会全体として、かなり予算を使ってもらい環境を良くしてもらったことはプレッシャーにもなり、いい結果を出さなければと思いましたが、
オリンピックの大舞台で結果を出せたのは、協会全体のおかげです。
※2012年ロンドン大会で男子団体で銀メダルを獲得しました。
◆現在の千田さんは、競技生活を引退してフェンシング協会の理事をしている
アスリート目線で意見を言えるので、アスリートファーストの環境で2020年のオリンピックに向けて体制を作られるのではないかと思います。
◆2020年の意気込み
オリンピックでフェンシングの結果が出れば良いと思います。
2020年を起爆剤として、未来を見据えて、改革をどんどんしないといけないと思っています。
?平田京美さん
◆メダルを男子がとってくれたおかげで、私たちも取れると思いました。
コーチも変わり、イタリアの実績のあるコーチになり良い流れになりました。
オリンピックに出るからには、メダルを目標に頑張りました。
でも結果は、7位入賞でした。
初めての入賞でしたが、悔しかったです!
◆今のとりまく環境は?
テレビで放映される事により認知度が広がりました。
小学生以下から始める子たちは増えたんですが、これから社会人になる人たちの育成を頑張りたいです。
社会人になっても続けてもらいたいです。
◆2020年オリンピックについて
確実に環境は整っていて、今までで一番いいくらいです。
メダルを目指して選手たちには頑張ってもらいたいです。
私も、今はこどもたちを週1回教えているのですが、その子たちが東京だけでなく次のオリンピックに向けて頑張って欲しいなと思います。
1981年12月29日東京都生まれ
(幼少時代から仙台で過ごす)
プリンスホテル所属。06年トリノ五輪でアジア人初の金メダルを獲得。同年5月にプロ宣言をし、アイスショーを中心に活動し、オリンピックキャスター、フィギュアスケート解説、テレビやイベント出演、コラム連載も行う。現在は、イタリアのピエモンテ州の観光大使を務めるなど様々な分野にも精力的に挑戦している。
1972年5月6日生まれ/岐阜県出身
中学から本格的に陸上競技を始め、県立岐阜商業高校、大阪学院大学を経て実業団へ。98年名古屋国際女子マラソンで初優勝、以来マラソン6連勝。2000年シドニー五輪金メダルを獲得し、同年国民栄誉賞受賞。2001年ベルリンでは女性として初めて2時間20分を切る世界記録(当時)を樹立する。08年10月現役引退を発表。
公益財団法人日本陸上競技連盟 理事、公益財団法人日本オリンピック委員会 理事、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員会委員長。その他「高橋尚子のスマイル アフリカ プロジェクト」や環境活動、スポーツキャスター、JICAオフィシャルサポーターなどで活躍中。