加藤澤男の、運命の一瞬
2020.08.15
【2020/8/15 O.A】
マイ オリンピック ストーリー。
アスリートたちが感じた運命の一瞬。
今週は、メキシコ、ミュンヘン、モントリオールとオリンピック3大会に出場して、
8個の金メダルを獲得した伝説のトップアスリート、体操の加藤澤男の一瞬に迫りました。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
1976年7月、モントリオールオリンピック。
体操男子、個人総合の表彰台。
いちばん高い場所に立つ、ソビエトのニコライ・アンドリアノフ
の横顔を仰ぎ見る日本人がいた。
加藤澤男。
個人総合3連覇の夢は破れ、銀メダルだった。
加藤は、思った。
「そうか・・・2番から眺める風景は、こんなふうなんだ」。
今まで、金メダルを獲る自分を、悔しい思いで見てきた選手のこと
を、思った。
勝つものの下には、必ず、負けるものがいる。
その事実が心に刻まれる。
加藤は個人総合にこだわってきた。
床、あん馬、つり輪、跳馬、平行棒、鉄棒、
6種目全て完璧にやってこその体操だと、思っていた。
黙々とただひたすらに練習して、メダルを目指したが、
初めて、いちばん高い場所、金メダルの意味がわかった。
ソ連の国旗に続き、日の丸が、ゆっくり揚がっていった。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
加藤澤男
1946年10月11日、新潟県生まれ。
中学生から体操を始める。高校のとき国体で優勝。
東京教育大学、現在の筑波大学に進学、国内4位になり、
注目される。
22歳で初出場したメキシコオリンピックで、
ダークホース的存在でありながら、団体3連勝に大きく貢献。
その演技は「世界一美しい」と評され、国内のみならず海外での
評価が高い。
後輩たちに、金メダルの自慢はいっさいしない。
しかし、1976年7月、モントリオールオリンピックの銀メダルの悔しさは、話した・・・
人間性においてもとても素晴らしい人物、加藤澤男。
ご存じなかった方は、これを機に、
ぜひ記憶に留めておいて頂ければと思います。
マイ オリンピック ストーリー。
アスリートたちが感じた運命の一瞬。
今週は、メキシコ、ミュンヘン、モントリオールとオリンピック3大会に出場して、
8個の金メダルを獲得した伝説のトップアスリート、体操の加藤澤男の一瞬に迫りました。
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1976年7月、モントリオールオリンピック。
体操男子、個人総合の表彰台。
いちばん高い場所に立つ、ソビエトのニコライ・アンドリアノフ
の横顔を仰ぎ見る日本人がいた。
加藤澤男。
個人総合3連覇の夢は破れ、銀メダルだった。
加藤は、思った。
「そうか・・・2番から眺める風景は、こんなふうなんだ」。
今まで、金メダルを獲る自分を、悔しい思いで見てきた選手のこと
を、思った。
勝つものの下には、必ず、負けるものがいる。
その事実が心に刻まれる。
加藤は個人総合にこだわってきた。
床、あん馬、つり輪、跳馬、平行棒、鉄棒、
6種目全て完璧にやってこその体操だと、思っていた。
黙々とただひたすらに練習して、メダルを目指したが、
初めて、いちばん高い場所、金メダルの意味がわかった。
ソ連の国旗に続き、日の丸が、ゆっくり揚がっていった。
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加藤澤男
1946年10月11日、新潟県生まれ。
中学生から体操を始める。高校のとき国体で優勝。
東京教育大学、現在の筑波大学に進学、国内4位になり、
注目される。
22歳で初出場したメキシコオリンピックで、
ダークホース的存在でありながら、団体3連勝に大きく貢献。
その演技は「世界一美しい」と評され、国内のみならず海外での
評価が高い。
後輩たちに、金メダルの自慢はいっさいしない。
しかし、1976年7月、モントリオールオリンピックの銀メダルの悔しさは、話した・・・
人間性においてもとても素晴らしい人物、加藤澤男。
ご存じなかった方は、これを機に、
ぜひ記憶に留めておいて頂ければと思います。