栗原恵の、運命の一瞬
2019.09.21
【2019/9/21 O.A】
マイ オリンピック ストーリー。
アスリートたちが感じた運命の一瞬。
バレーボール女子の栄光の軌跡を振り返る特別編。
後編の今週は、アテネ、北京と二度のオリンピックを経験。
日本バレーボール女子の躍進の原動力になった、
栗原恵の一瞬に迫りました。
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2004年8月24日、アテネオリンピック。現地時間、14時。
バレーボール女子、準々決勝。日本対中国。
エースアタッカー、栗原恵は、オリンピックのコートに立って、思っていた。
「もし、13歳のあのとき、あの決断をしなければ、私は、ここには、いない」
試合の結果は、ストレート負け。中国に歯が立たなかった。
日本は、アメリカ、韓国、イタリアと並んで5位に終わった。
日本バレーボール女子は、世界の第二グループの先頭、という印象
を拭えず、中国、ブラジル、キューバ、ロシアの壁は高かった。
第一グループに入らなければ、メダルの可能性はない。
でも、アテネオリンピックで、バレーボール女子の人気は、
大いに高まり、2000年にシドニーオリンピックでの出場権
を逃した過去は一気に払拭(ふっしょく)された。
その大きな要因になったのが、高校生で代表入りした、二人、
メグカナこと、栗原恵と大山加奈だった。
栗原は、悔しさを感じつつ、自分がやるべきことを、しっかり
頭に描いていた。
「ただのバレー少女だった私が、ここまで来られたんだ。
メダルだって、夢じゃない!」
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マイ オリンピック ストーリー。
アスリートたちが感じた運命の一瞬。
バレーボール女子の栄光の軌跡を振り返る特別編。
後編の今週は、アテネ、北京と二度のオリンピックを経験。
日本バレーボール女子の躍進の原動力になった、
栗原恵の一瞬に迫りました。
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2004年8月24日、アテネオリンピック。現地時間、14時。
バレーボール女子、準々決勝。日本対中国。
エースアタッカー、栗原恵は、オリンピックのコートに立って、思っていた。
「もし、13歳のあのとき、あの決断をしなければ、私は、ここには、いない」
試合の結果は、ストレート負け。中国に歯が立たなかった。
日本は、アメリカ、韓国、イタリアと並んで5位に終わった。
日本バレーボール女子は、世界の第二グループの先頭、という印象
を拭えず、中国、ブラジル、キューバ、ロシアの壁は高かった。
第一グループに入らなければ、メダルの可能性はない。
でも、アテネオリンピックで、バレーボール女子の人気は、
大いに高まり、2000年にシドニーオリンピックでの出場権
を逃した過去は一気に払拭(ふっしょく)された。
その大きな要因になったのが、高校生で代表入りした、二人、
メグカナこと、栗原恵と大山加奈だった。
栗原は、悔しさを感じつつ、自分がやるべきことを、しっかり
頭に描いていた。
「ただのバレー少女だった私が、ここまで来られたんだ。
メダルだって、夢じゃない!」
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