眞鍋政義の、運命の一瞬
2020.08.29
【2020/8/29 O.A】
マイ オリンピック ストーリー。
アスリートたちが感じた運命の一瞬。
今週は、日本女子バレーの復活に力を注いだ監督、
眞鍋政義の一瞬に迫りました。
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2012年8月11日、
ロンドンオリンピック、バレーボール女子、3位決定戦。
日本対韓国。
もし日本が勝てば、28年ぶりのメダルということになる。
全日本女子を率いる、名将・眞鍋政義(まなべ・まさよし)は、
前日の会見で、シンプルにこう語った。
「必死になって、やるだけです」
眞鍋は、決勝トーナメントの準々決勝で中国に勝ったことで、
メダルを確信していた。
オリンピックで勝つどころか、1セットも奪えなかった中国に
初めて勝てたのだ。
とにかく、中国対策に心血を注いできた。
なぜ、グループも違い、抽選で決まる準々決勝の対戦相手を、
中国と断定できたのか?
エース・スパイカーの木村沙織が尋ねると、眞鍋は、こう答えた。
「夢に、出てきたんだよ、中国が」
チームメンバーの誰もが口をそろえて言う。
「どんなに根拠がないようなことでも、結局いつも、
眞鍋さんの言うとおりになるんです」。
眞鍋は、メダルをかけた韓国戦、こんな言葉で選手を送り出した。
「自分を信じ、仲間を信じて戦おう」
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
眞鍋政義
1963年8月21日、兵庫県姫路市出身。
中学生になってから、教師のすすめでバレーを始める。
当初はエース・スパイカーだったが、高校でセッターに転向。
才能を開花させる。
ソウルオリンピックに出場。引退後、2009年、全日本女子代表
チームの監督に就任。
ひと昔前までは、普通だった「根性バレー」。
しかし眞鍋監督がイチバン大切にしたことが選手との対話。
選手ひとりひとりの自立を促し、ともに戦う。
とても素晴らしい指導者なんだと、改めて感じた今回のストーリーでした。
マイ オリンピック ストーリー。
アスリートたちが感じた運命の一瞬。
今週は、日本女子バレーの復活に力を注いだ監督、
眞鍋政義の一瞬に迫りました。
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2012年8月11日、
ロンドンオリンピック、バレーボール女子、3位決定戦。
日本対韓国。
もし日本が勝てば、28年ぶりのメダルということになる。
全日本女子を率いる、名将・眞鍋政義(まなべ・まさよし)は、
前日の会見で、シンプルにこう語った。
「必死になって、やるだけです」
眞鍋は、決勝トーナメントの準々決勝で中国に勝ったことで、
メダルを確信していた。
オリンピックで勝つどころか、1セットも奪えなかった中国に
初めて勝てたのだ。
とにかく、中国対策に心血を注いできた。
なぜ、グループも違い、抽選で決まる準々決勝の対戦相手を、
中国と断定できたのか?
エース・スパイカーの木村沙織が尋ねると、眞鍋は、こう答えた。
「夢に、出てきたんだよ、中国が」
チームメンバーの誰もが口をそろえて言う。
「どんなに根拠がないようなことでも、結局いつも、
眞鍋さんの言うとおりになるんです」。
眞鍋は、メダルをかけた韓国戦、こんな言葉で選手を送り出した。
「自分を信じ、仲間を信じて戦おう」
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眞鍋政義
1963年8月21日、兵庫県姫路市出身。
中学生になってから、教師のすすめでバレーを始める。
当初はエース・スパイカーだったが、高校でセッターに転向。
才能を開花させる。
ソウルオリンピックに出場。引退後、2009年、全日本女子代表
チームの監督に就任。
ひと昔前までは、普通だった「根性バレー」。
しかし眞鍋監督がイチバン大切にしたことが選手との対話。
選手ひとりひとりの自立を促し、ともに戦う。
とても素晴らしい指導者なんだと、改めて感じた今回のストーリーでした。