荒川静香の、運命の一瞬
2020.03.07
【2020/3/7 O.A】
マイ オリンピック ストーリー。
アスリートたちが感じた運命の一瞬。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
2006年、2月23日、日本時間、午前3時。
トリノオリンピック・フィギュアスケート女子シングル、
フリーの演技が始まろうとしていた。
6000人を越える観客で埋め尽くされた会場「パラベーラ」は、
異様な熱気に包まれている。
ショートプログラムを終えて、1位は、アメリカのサーシャ・コーエン。
2位は、ロシアのイリーナ・スルツカヤ。
そして、3位が、日本の荒川静香だった。
1位と3位の差は、わずか、0.71.
それは、このフリーの演技で全てが決まることを意味していた。
不思議なジンクスがあった。それは、ショートプログラムで
1位の選手は、金メダルを獲ることができない・・・。
少なくとも、トリノの前、過去3回の大会は、そうだった。
金メダルという、計り知れない重圧・・・。
最終滑走グループで先陣を切ったコーエンは、
最初の3回転ルッツでいきなり転倒。
動揺は隠せず、次のジャンプの着氷も乱れた・・・。
荒川静香は、思っていた・・・。
「まずは、全部、出し切ろう。なぜなら、おそらくこれが最後のオリンピックなるのだから」
リンク中央に、水色と青のコスチュームを着た女神が、降臨した。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
今週は、日本の女子フィギュアスケート界に、
燦然と輝くその名を刻んだレジェンド、荒川静香の運命の一瞬をお届けしました。
「生かされている」という生命の喜び。そして、「感謝」の気持ち。
そんな感情が伝わってくる今回の朗読でした。
荒川静香
1981年12月29日東京都生まれ
幼少期を宮城県で過ごす。スケートを始めたのは、5歳のとき
小学3年生のときに、すでに3回転ジャンプをマスター
13歳で初めての国際大会に出場
16歳で長野オリンピックに出場
2004年の世界選手権で、日本人3人目となるワールドチャンピオンを獲得
マイ オリンピック ストーリー。
アスリートたちが感じた運命の一瞬。
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2006年、2月23日、日本時間、午前3時。
トリノオリンピック・フィギュアスケート女子シングル、
フリーの演技が始まろうとしていた。
6000人を越える観客で埋め尽くされた会場「パラベーラ」は、
異様な熱気に包まれている。
ショートプログラムを終えて、1位は、アメリカのサーシャ・コーエン。
2位は、ロシアのイリーナ・スルツカヤ。
そして、3位が、日本の荒川静香だった。
1位と3位の差は、わずか、0.71.
それは、このフリーの演技で全てが決まることを意味していた。
不思議なジンクスがあった。それは、ショートプログラムで
1位の選手は、金メダルを獲ることができない・・・。
少なくとも、トリノの前、過去3回の大会は、そうだった。
金メダルという、計り知れない重圧・・・。
最終滑走グループで先陣を切ったコーエンは、
最初の3回転ルッツでいきなり転倒。
動揺は隠せず、次のジャンプの着氷も乱れた・・・。
荒川静香は、思っていた・・・。
「まずは、全部、出し切ろう。なぜなら、おそらくこれが最後のオリンピックなるのだから」
リンク中央に、水色と青のコスチュームを着た女神が、降臨した。
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今週は、日本の女子フィギュアスケート界に、
燦然と輝くその名を刻んだレジェンド、荒川静香の運命の一瞬をお届けしました。
「生かされている」という生命の喜び。そして、「感謝」の気持ち。
そんな感情が伝わってくる今回の朗読でした。
荒川静香
1981年12月29日東京都生まれ
幼少期を宮城県で過ごす。スケートを始めたのは、5歳のとき
小学3年生のときに、すでに3回転ジャンプをマスター
13歳で初めての国際大会に出場
16歳で長野オリンピックに出場
2004年の世界選手権で、日本人3人目となるワールドチャンピオンを獲得