原田裕花の、運命の一瞬
2020.05.23
【2020/5/23 O.A】
マイ オリンピック ストーリー。
アスリートたちが感じた運命の一瞬。
今週は、女子バスケットボールで、アトランタオリンピックに出場した、原田裕花の
運命の一瞬をお届けしました。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
1996年7月31日。アトランタオリンピック。
バスケットボール女子、準々決勝。
20年ぶりにオリンピックの舞台に立った、日本の女子バスケットボール代表は、決勝トーナメントに進んだ。
対戦相手はバスケ大国であり、開催国であるアメリカ。
原田裕花はこれまで経験したことのない、
大観衆の中にいた。大きな声援が聞こえてくる。
世界のトップ選手が集まる場に、自分がいるのだと思うと鳥肌がたった。
予選メンバーに選ばれながら、ここに来ることが
叶わなかった仲間のためにも・・・
この場所に立たせてくれた全てのことに
たくさんの感謝を抱えて、コートへと向かった。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
今でこそ海外との交流がさかんな時代になりましたが、
当時のバスケットボールの海外との差はどのくらいあったのでしょうか。
怪我を乗り越え、代表入りし、7位入賞まで果たした原田裕花の運命の一瞬。
当時の状況が伺える貴重なストーリーでした。
原田裕花
1968年6月5日、山口県生まれ。
小学校3年でミニバスケットボールを始める。
87年、日本代表チーム入り。
小学校から日本代表まで、全てのチームでキャプテンを務めた。
1996年、アトランタオリンピックに出場し、7位入賞を果たす。
引退後も、指導者として、コメンテイターとして、
バスケットボールの普及に務めている。
マイ オリンピック ストーリー。
アスリートたちが感じた運命の一瞬。
今週は、女子バスケットボールで、アトランタオリンピックに出場した、原田裕花の
運命の一瞬をお届けしました。
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1996年7月31日。アトランタオリンピック。
バスケットボール女子、準々決勝。
20年ぶりにオリンピックの舞台に立った、日本の女子バスケットボール代表は、決勝トーナメントに進んだ。
対戦相手はバスケ大国であり、開催国であるアメリカ。
原田裕花はこれまで経験したことのない、
大観衆の中にいた。大きな声援が聞こえてくる。
世界のトップ選手が集まる場に、自分がいるのだと思うと鳥肌がたった。
予選メンバーに選ばれながら、ここに来ることが
叶わなかった仲間のためにも・・・
この場所に立たせてくれた全てのことに
たくさんの感謝を抱えて、コートへと向かった。
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今でこそ海外との交流がさかんな時代になりましたが、
当時のバスケットボールの海外との差はどのくらいあったのでしょうか。
怪我を乗り越え、代表入りし、7位入賞まで果たした原田裕花の運命の一瞬。
当時の状況が伺える貴重なストーリーでした。
原田裕花
1968年6月5日、山口県生まれ。
小学校3年でミニバスケットボールを始める。
87年、日本代表チーム入り。
小学校から日本代表まで、全てのチームでキャプテンを務めた。
1996年、アトランタオリンピックに出場し、7位入賞を果たす。
引退後も、指導者として、コメンテイターとして、
バスケットボールの普及に務めている。





