Da-iCE花村想太「オカンがよくカラオケで歌っていた曲を…」人生を変えたオーディションで歌った曲とは?
2025.03.03
アーティストの「こっちのけんと」がパーソナリティをつとめるTOKYO FMのラジオ番組「G-SHOCK presents THE MOMENT」(毎週金曜17:00~17:25)。さまざまなゲストをお迎えし、生まれてからこれまでの時間のなかで、人の心に刻まれている「人生が変わった瞬間」=“MOMENT(モーメント)”を探ります。
2月14日(金)と2月21日(金)の放送では、5人組男性アーティスト「Da-iCE(ダイス)」のボーカル兼パフォーマーをつとめる花村想太(はなむら・そうた)さんが出演。この記事では21日の放送の模様をお届けします。ボーカルオーディションでグランプリを獲得したエピソードや、Da-iCEの結成当時について語ってくれました。

1990年生まれ、兵庫県出身の花村さん。4オクターブのツインボーカルが魅力の5人組男性アーティスト「Da-iCE」でボーカル兼パフォーマーを務めています。楽曲の作詞・作曲も数多く担当し、作詞した「CITRUS」は「第63回日本レコード大賞」を受賞。ソロバンドプロジェクト「Natural Lag(ナチュラルラグ)」や俳優としても活動。東宝ミュージカル「JERSEY BOYS(ジャージー・ボーイズ)」では主演をつとめ、「令和4年度(第77回)文化庁芸術祭」で新人賞を受賞しました。
◆喜びよりも悔しさが勝った特別賞
こっちのけんと:この時間はゲストの方の生まれてからこれまでの時間のなかで、心に刻まれている人生が変わった瞬間=“MOMENT(モーメント)”を探っていく番組です。先週はバイクの話から、「もっと聴きたくなる」と歌声について先生から言われた話など、いろんなお話を伺いました。それでは、花村想太さんの人生3つ目のモーメントは?
花村:「2008年 グランプリ」です!
こっちのけんと:これはオーディションですか?
花村:はい。「a-motion」というボーカルオーディションが2008年に開催されてグランプリをいただきました。当時、17歳ぐらいですね。
こっちのけんと:オーディションはけっこう受けていたんですか?
花村:前年度の2007年に同じオーディションを受けているのですが、そのときが初めての歌のオーディションでした。そのときは審査員特別賞です。
こっちのけんと:賞をもらっているんだ!
花村:審査員特別賞をもらった唯一の男性が僕だったのですが、準契約でした。グランプリの子だけ本契約でした。
こっちのけんと:それは悔しいですね。
花村:2007年のときは自分がどれぐらい通用するかわからなかったので、「一次審査に受かればいいでしょ」と思っていたら受かって、二次審査にも受かって。ブロック審査、関西代表を決めるところまで行って。そこだけで50人残っていたのですが、ビックリするぐらいうまいんですよ!
こっちのけんと:やっぱりそうなんですね。ライバルたちは同世代が多かったですか?
花村:上も下もいましたし、姉貴も一緒に行っていました。
こっちのけんと:ずっと仲良しですね!
花村:無理だと思っていたので結果発表の日を覚えていなかったのですが、親から「エイベックスから電話かかってきたで」と連絡が来て。それで最終審査に行くことになりました。
こっちのけんと:うわ~!
花村:審査員特別賞は何人いて、グランプリは1人ですって言っていたので「審査員特別賞で呼ばれへんかったら俺がグランプリやな」と思いながら待っていました(笑)。
こっちのけんと:自信満々(笑)。とはいえ、決勝となるとそれぐらいの気持ちでいかないとダメですよね。
花村:でも2人目ぐらいで呼ばれて、「よし!」みたいなのもなくて「グランプリじゃねぇんだ!」って感じでした(笑)。
こっちのけんと:そこで審査員特別賞をもらってからの翌年グランプリ!
花村:「翌年は絶対にグランプリをとる!」と決めました。オーディションには2週間ぐらいの合宿があって、そのあとに最終審査。その合宿で初めてのボイトレを受けたのですが、それまではずっと独学だったんです。
こっちのけんと:すごい! 前年は独学で最後まで残ってるんや。
花村:そこでけっこう大事なことを教えてもらったんですけど、2週間じゃ直しきれませんでした。
こっちのけんと:時間がかかりますし、難しいですよね。
花村:なので、その2週間で教わったものを1年間やり続けて、グランプリをとりに行きました。ただ、去年までは2週間トレーニングをして、さらに2週間の期間を空けてから決勝だったんですが、その年はトレーニングした最終日にオーディションの流れで。
こっちのけんと:そのまま!
花村:トレーニングのあいだに声が枯れてしまって、本番のリハーサルで声が出なすぎて、トイレで1人泣いていました。でも、もう行くしかないと心に決めて、今できる精一杯を出そうと思って歌ったらグランプリでした。
こっちのけんと:すごい! 本人的には歌ったときの(手ごたえは)どうでした?
花村:そのときは悔しかったんですけど、映像を観ても(あのときの歌い方は)いまだに超えられないですね。この歌い方、この声の枯れ方でギリギリのところ、魂で歌っているからよかったんだなって思いました。
こっちのけんと:なるほど!
花村:そのときは満場一致でグランプリだって話を聞いたので、めちゃくちゃよかったです。
こっちのけんと:グランプリを目指して獲得したわけですけど、やっぱり気持ちよかったですか?
花村:泣けましたね。目指していたものに手が届く、しかも順風満帆に届いたというよりは、手前で大きい壁、自分自身との戦いがあったので。その経験が自分を押し上げてくれて、その結果とれたグランプリだと思います。
こっちのけんと:ちなみに、そのとき歌った曲は何ですか?
花村:欧陽菲菲(オーヤン・フィーフィー)さんの「ラヴ・イズ・オーヴァー」です。
こっちのけんと:あの曲を、声を枯らしながら歌ったんですか!? カッコいいなあ!
花村:原曲キーでとにかく一生懸命(歌った)。18歳ぐらいの声帯だと、ハスキーさが出せないじゃないですか。かすれることもなかったんですけど、このときはもう、カスカスで。でも届かせるために必死で歌いました。
こっちのけんと:なぜこの曲を選んだのですか?
花村:オカンがよくカラオケで歌っていたんです。それを聴いて覚えた曲だったので、当時はご本人の歌を聴いたことがなかったんです。
こっちのけんと:母直伝!
◆衝撃の結成秘話
こっちのけんと:続いて、人生4つ目のモーメントは?
花村:「2011年 結成!」です。
こっちのけんと:Da-iCEですね! 当時は21歳とか20歳前後ですよね?
花村:僕が20歳のときに結成しました。
こっちのけんと:どういう結成方法なんですか?
花村:当時のマネージャーみたいな立ち位置にいた人が勝手に作ったんです(笑)。(特別な役職についていない)平社員の人でした。
こっちのけんと:えっ!? その人が勝手に集めた?
花村:その人が平社員だと気付いたのは、結成してまあまあ経ってからでした。
こっちのけんと:当時、「Da-iCEってグループを組みたいんだ」って言われたときは……
花村:めっちゃ偉い人だと思っていました。それで、結成したら「予算がないからお金がなくてもできることをやろうよ」という話になって。当時はTwitter(現:X)とアメーバブログが2大巨頭だったんですけど、それを駆使しました。
こっちのけんと:では、当時から既にSNS戦略を立てていたんですね。だいぶ先見の明がありますね。そもそも、結成まではグランプリから数年経っていますよね? そのあいだはどうやって過ごしていたんですか?
花村:下積みっていうんですかね。いっぱいレッスンしていました。
こっちのけんと:Da-iCEを結成するにあたり、他のメンバーとはそこで初対面ですか?
花村:(大野)雄大くんは一緒にレッスンをしていて、(和田)颯が一番(交流が)古いです。颯が中学生のときには出会っています。
こっちのけんと:めっちゃ前じゃないですか!
花村:颯が15歳のときに僕が18歳でエイベックスに入りました。高校生にとっての中学生って子どもじゃないですか。この子どもと一緒にグループを組むとは思ってなかったんすよ。大人になったら3歳差なんてないようなものですけど、当時は「こんな小さい子とチームを組むんや」って思いましたね。
こっちのけんと:最初にグループで集まったとき、「自分が一番歌がうまいな」みたいな気持ちってありました?
花村:ありましたね。一番というか、「俺は鍵だ」ってそのときは思っていました。あと、他のメンバーは顔がめっちゃカッコよくて、僕は自分の顔にそこまで自信がなかったんです。それで、自分はエース的な感じというか、とにかく歌とダンスを極めてほしいと言われて。歌は3年間めちゃくちゃ練習したので、2011年に結成してからはダンスに特化させようと思って、歌のレッスンを全部やめてダンスをやっていましたね。
<番組概要>
番組名:G-SHOCK presents THE MOMENT
放送日時:毎週金曜 17:00~17:25
パーソナリティ:こっちのけんと
2月14日(金)と2月21日(金)の放送では、5人組男性アーティスト「Da-iCE(ダイス)」のボーカル兼パフォーマーをつとめる花村想太(はなむら・そうた)さんが出演。この記事では21日の放送の模様をお届けします。ボーカルオーディションでグランプリを獲得したエピソードや、Da-iCEの結成当時について語ってくれました。

花村想太さん(Da-iCE)、こっちのけんと
1990年生まれ、兵庫県出身の花村さん。4オクターブのツインボーカルが魅力の5人組男性アーティスト「Da-iCE」でボーカル兼パフォーマーを務めています。楽曲の作詞・作曲も数多く担当し、作詞した「CITRUS」は「第63回日本レコード大賞」を受賞。ソロバンドプロジェクト「Natural Lag(ナチュラルラグ)」や俳優としても活動。東宝ミュージカル「JERSEY BOYS(ジャージー・ボーイズ)」では主演をつとめ、「令和4年度(第77回)文化庁芸術祭」で新人賞を受賞しました。
◆喜びよりも悔しさが勝った特別賞
こっちのけんと:この時間はゲストの方の生まれてからこれまでの時間のなかで、心に刻まれている人生が変わった瞬間=“MOMENT(モーメント)”を探っていく番組です。先週はバイクの話から、「もっと聴きたくなる」と歌声について先生から言われた話など、いろんなお話を伺いました。それでは、花村想太さんの人生3つ目のモーメントは?
花村:「2008年 グランプリ」です!
こっちのけんと:これはオーディションですか?
花村:はい。「a-motion」というボーカルオーディションが2008年に開催されてグランプリをいただきました。当時、17歳ぐらいですね。
こっちのけんと:オーディションはけっこう受けていたんですか?
花村:前年度の2007年に同じオーディションを受けているのですが、そのときが初めての歌のオーディションでした。そのときは審査員特別賞です。
こっちのけんと:賞をもらっているんだ!
花村:審査員特別賞をもらった唯一の男性が僕だったのですが、準契約でした。グランプリの子だけ本契約でした。
こっちのけんと:それは悔しいですね。
花村:2007年のときは自分がどれぐらい通用するかわからなかったので、「一次審査に受かればいいでしょ」と思っていたら受かって、二次審査にも受かって。ブロック審査、関西代表を決めるところまで行って。そこだけで50人残っていたのですが、ビックリするぐらいうまいんですよ!
こっちのけんと:やっぱりそうなんですね。ライバルたちは同世代が多かったですか?
花村:上も下もいましたし、姉貴も一緒に行っていました。
こっちのけんと:ずっと仲良しですね!
花村:無理だと思っていたので結果発表の日を覚えていなかったのですが、親から「エイベックスから電話かかってきたで」と連絡が来て。それで最終審査に行くことになりました。
こっちのけんと:うわ~!
花村:審査員特別賞は何人いて、グランプリは1人ですって言っていたので「審査員特別賞で呼ばれへんかったら俺がグランプリやな」と思いながら待っていました(笑)。
こっちのけんと:自信満々(笑)。とはいえ、決勝となるとそれぐらいの気持ちでいかないとダメですよね。
花村:でも2人目ぐらいで呼ばれて、「よし!」みたいなのもなくて「グランプリじゃねぇんだ!」って感じでした(笑)。
こっちのけんと:そこで審査員特別賞をもらってからの翌年グランプリ!
花村:「翌年は絶対にグランプリをとる!」と決めました。オーディションには2週間ぐらいの合宿があって、そのあとに最終審査。その合宿で初めてのボイトレを受けたのですが、それまではずっと独学だったんです。
こっちのけんと:すごい! 前年は独学で最後まで残ってるんや。
花村:そこでけっこう大事なことを教えてもらったんですけど、2週間じゃ直しきれませんでした。
こっちのけんと:時間がかかりますし、難しいですよね。
花村:なので、その2週間で教わったものを1年間やり続けて、グランプリをとりに行きました。ただ、去年までは2週間トレーニングをして、さらに2週間の期間を空けてから決勝だったんですが、その年はトレーニングした最終日にオーディションの流れで。
こっちのけんと:そのまま!
花村:トレーニングのあいだに声が枯れてしまって、本番のリハーサルで声が出なすぎて、トイレで1人泣いていました。でも、もう行くしかないと心に決めて、今できる精一杯を出そうと思って歌ったらグランプリでした。
こっちのけんと:すごい! 本人的には歌ったときの(手ごたえは)どうでした?
花村:そのときは悔しかったんですけど、映像を観ても(あのときの歌い方は)いまだに超えられないですね。この歌い方、この声の枯れ方でギリギリのところ、魂で歌っているからよかったんだなって思いました。
こっちのけんと:なるほど!
花村:そのときは満場一致でグランプリだって話を聞いたので、めちゃくちゃよかったです。
こっちのけんと:グランプリを目指して獲得したわけですけど、やっぱり気持ちよかったですか?
花村:泣けましたね。目指していたものに手が届く、しかも順風満帆に届いたというよりは、手前で大きい壁、自分自身との戦いがあったので。その経験が自分を押し上げてくれて、その結果とれたグランプリだと思います。
こっちのけんと:ちなみに、そのとき歌った曲は何ですか?
花村:欧陽菲菲(オーヤン・フィーフィー)さんの「ラヴ・イズ・オーヴァー」です。
こっちのけんと:あの曲を、声を枯らしながら歌ったんですか!? カッコいいなあ!
花村:原曲キーでとにかく一生懸命(歌った)。18歳ぐらいの声帯だと、ハスキーさが出せないじゃないですか。かすれることもなかったんですけど、このときはもう、カスカスで。でも届かせるために必死で歌いました。
こっちのけんと:なぜこの曲を選んだのですか?
花村:オカンがよくカラオケで歌っていたんです。それを聴いて覚えた曲だったので、当時はご本人の歌を聴いたことがなかったんです。
こっちのけんと:母直伝!
◆衝撃の結成秘話
こっちのけんと:続いて、人生4つ目のモーメントは?
花村:「2011年 結成!」です。
こっちのけんと:Da-iCEですね! 当時は21歳とか20歳前後ですよね?
花村:僕が20歳のときに結成しました。
こっちのけんと:どういう結成方法なんですか?
花村:当時のマネージャーみたいな立ち位置にいた人が勝手に作ったんです(笑)。(特別な役職についていない)平社員の人でした。
こっちのけんと:えっ!? その人が勝手に集めた?
花村:その人が平社員だと気付いたのは、結成してまあまあ経ってからでした。
こっちのけんと:当時、「Da-iCEってグループを組みたいんだ」って言われたときは……
花村:めっちゃ偉い人だと思っていました。それで、結成したら「予算がないからお金がなくてもできることをやろうよ」という話になって。当時はTwitter(現:X)とアメーバブログが2大巨頭だったんですけど、それを駆使しました。
こっちのけんと:では、当時から既にSNS戦略を立てていたんですね。だいぶ先見の明がありますね。そもそも、結成まではグランプリから数年経っていますよね? そのあいだはどうやって過ごしていたんですか?
花村:下積みっていうんですかね。いっぱいレッスンしていました。
こっちのけんと:Da-iCEを結成するにあたり、他のメンバーとはそこで初対面ですか?
花村:(大野)雄大くんは一緒にレッスンをしていて、(和田)颯が一番(交流が)古いです。颯が中学生のときには出会っています。
こっちのけんと:めっちゃ前じゃないですか!
花村:颯が15歳のときに僕が18歳でエイベックスに入りました。高校生にとっての中学生って子どもじゃないですか。この子どもと一緒にグループを組むとは思ってなかったんすよ。大人になったら3歳差なんてないようなものですけど、当時は「こんな小さい子とチームを組むんや」って思いましたね。
こっちのけんと:最初にグループで集まったとき、「自分が一番歌がうまいな」みたいな気持ちってありました?
花村:ありましたね。一番というか、「俺は鍵だ」ってそのときは思っていました。あと、他のメンバーは顔がめっちゃカッコよくて、僕は自分の顔にそこまで自信がなかったんです。それで、自分はエース的な感じというか、とにかく歌とダンスを極めてほしいと言われて。歌は3年間めちゃくちゃ練習したので、2011年に結成してからはダンスに特化させようと思って、歌のレッスンを全部やめてダンスをやっていましたね。
<番組概要>
番組名:G-SHOCK presents THE MOMENT
放送日時:毎週金曜 17:00~17:25
パーソナリティ:こっちのけんと
番組Webサイト:https://www.tfm.co.jp/moment/

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