2019年06月09日 | |||
|
|||
お父さんが宴会からお土産で折詰を持って帰ってくると、寝ている子供たちはみんな起こされる。パジャマの上にセーターを羽織ったり綿入れのチャンチャンコを着たりして、眠い目をこすりながら折詰を食べる。そんな情景は、読んでいても映像が浮かび誰もがどこか懐かしくなります。沢木耕太郎さんの解説には「向田邦子さんの文章は視覚的」だとありますが、それはもともと脚本家だったからなのでしょうか?向田さんはエッセイの中でこんなふうにも綴っています。「思い出はあまりに完璧なものより、多少間が抜けた人間臭い方がなつかしい」。生活の中で見えてくる人間の本質を描いたエッセイだからこそ、時代を超えて読みつがれているのかもしれません。 |