毎週日曜日14:55-15:00(FM FUKUOKAのみ10:55-11:00)オンエア!毎回、世の中の”モノ”を取り上げ、そのモノの 歴史からイマ、未来をショートストーリー仕立てでお送りする番組です。身近なモノが少し、へえ~となるお話をお届けします。
声優。4月10日生まれ、広島県出身。
主な出演作品は、ナレーション「すくすく子育て」(NHK Eテレ)、劇場アニメ「THE FIRST SLAM DUNK」(三井寿)、アニメ「ガンダムビルドダイバーズ」(クジョウ・キョウヤ)、アニメ「お前はまだグンマを知らない」(轟二矢)、アニメ「タブー・タトゥー」(カーター)、ゲーム「アイドルマスター SideM」(葛之葉雨彦)など。
ミッドソールの素材に従来のラバースポンジと比べて、軽くて衝撃吸収性が高い合成樹脂
「EVA」を採用するようになったからです。
日本におけるランニングシューズの歴史を箱根駅伝で見ると
大会が始まった1920年から1950年代前半までは、指先が2つに分かれた足袋型。
その後、1960年代までは、足をしっかり守ってくれそうですが、
重厚感がある、当時「トレーニングシューズ」と呼ばれた靴。
そして、1970年代になるとランニングシューズが登場します。
いま多くの人がカジュアルに履いているスポーツブランドの靴とほぼ同じ感じです。
ここへきてランニングシューズは市民権を得ました。
そして、ランニングシューズ開発によって生まれたのが市民ランナー。
趣味や健康のために走る習慣は、この頃から広まったのです。
マラソンをはじめ陸上競技の高速化にシューズが果たす役割は小さくありません。
その意味において近年の衝撃が、2017年に登場した長距離走用の厚底シューズ。
それまでは薄底が主流だったのに、なんと靴底およそ4センチ。
しかも、厚底ランニングシューズを履いたランナーたちが、好記録を連発しているのです。
秘訣の1つはソール部分に使われているカーボンファイバーのプレート。
曲がった形のプレートが着地すると平らになり、ばねのように元の形に戻ろうとして
ランナーの体を前に押し出すという機能があるそうです。
これからも、さらなる革命的なランニングシューズが作られ、
過去の記録はたびたび塗り替えられていくことでしょう。
スポーツ用シューズの生産が始まったのは19世紀中頃のアメリカ。
素足にゴムを貼り付けていた先住民族に影響を受けて、
当初は綿や麻の素材に天然ゴムや合成ゴムの靴底を使ったものでした。
その後、アメリカ人のチャールズ・グッドイヤーが硫黄を加えることで
天然ゴムが柔軟性と撥水性を持つようになることを発見。
形づくりもしやすくなり、より耐久性の高い靴底を作れるようになりました。
そうして、走ることに特化した最初のランニングシューズ誕生は1895年。
つくったのはReebokの前身、イングランドのJ.W.フォスター&サンズ。
翌年には、近代オリンピックの第1回大会がギリシャのアテネで開催され
4年に1度の祭典として世界に定着していく中でランニングシューズ開発競争も始まりました。
ちなみに現在のマラソンは、近代オリンピックの幕開けとともに生まれた競技です。
ただ、この時点のランニングシューズは、
基本的な足の保護と最小限のサポートをするために設計されたもの。
そこに変革を起こしたのが、ドイツ人のダスラー兄弟。
1920年に自宅の洗濯室でスポーツシューズづくりを始めたところから
製造工場を立ち上げた ルドルフ(愛称:ルーダ)とアドルフ(愛称:アディ)です。
軽くて足の形に合わせたデザインが特徴のダスラー兄弟のランニングシューズは、
多くのオリンピアンにメダルをもたらしました。
しかし、やがて兄弟は仲違いして第二次世界大戦後に決別。
兄のルーダは現在のPUMA、弟のアディは現在のadidasの創設者となるのです。
ただ、初期の製品は冷媒としてアンモニアやプロパンといった
毒性や可燃性のあるガスを使用していたため危険がありました。
そこで発明されたのが、毒性がなく、経済性も高いフロンガス。
これによってエアコンは広く普及することになり
戦前の日本にも海外製が輸入されて電車への導入が始まりました。
国産エアコンの本格的な登場は戦後になってからのこと。
日本最初のボタン1つで操作できるパッケージ型空調機の量産・販売がスタートしたのは
終戦から7年が経った1952年(昭和27年)。
ここから国産のエアコンは目覚ましい進化を遂げます。
1960年代には、冷房専用型の冷媒ガスの流れを切り替えて暖房もできる機種が登場。
ほぼ同じ頃、現在のルームエアコンの主流、室内機と室外機のセパレート型が
家庭用として世界で初めて開発・発売されています。
さらに、室内機は小さく、薄く、壁掛けになり
冷たい風を前面に吹き出す方式から効率よく空調を行なう下への吹き出しに主流は移り
フロンガスはオゾン層破壊に繋がるとわかったので新たな冷媒が開発されるなど
研究に携わった多くの人たちの努力でエアコンの快適性・省エネ性は向上し続けています。
最近の夏は本当に暑く、エアコンは頼もしい存在。
涼しさに感謝しつつ、環境に配慮して上手に使うように工夫しましょう。
特別な状況かもしれませんが、古の時代も夏は暑い季節。
電気がない中で人々は色々と工夫をして涼をとった記録が残されています。
冬の間に天然の氷を切り取り、氷を貯蔵する氷室に保存して、
夏の暑さがやってくると氷室から取り出し、空気を冷やして今の冷房のように使ったり。
直接、口に入れたり。でも、そんなことができるのは特別な社会階級だけ。
江戸時代の庶民の夏は、日中は日差しを葦簀で遮り、
外に打ち水をして、涼しい風が家を通るようにしていました。
それから水で冷やした夏野菜やスイカを食べたり、
目からも涼しさを感じるためにたっぷり水が入った鉢の中を泳ぐ金魚を鑑賞したり。
それらはとても風情があっていいですが、もっと夏の暑さを凌ぎたいと思った人類は、
18世紀から20世紀初頭にかけて人工的に空気を冷やす方法の研究を進めます。
そうして1911年(明治44年)に「空調の父」と呼ばれる
アメリカの技術者・発明家 ウィリス・キャリアが近代的な空気調整設備を考案。
これがエア・コンディショナー、いわゆる「エアコン」の始まりです。
東京都になる以前の東京市で、ほぼ全てに電灯が普及したのが、その翌年。
電気製品によって人類の生活が革命的に変わろうとしていた時期から
エアコンも世界の家庭へと広まっていくことになるのです。
今回のテーマは、笠間さんにとっての「夏の楽しみ」でした。
これまでのフリートーク回で話しているように釣りが大好きな笠間さん。
最近の夏の楽しみはもっぱら"釣りをからめてのキャンプ”だといいます。
キャンパーの中には暑さや虫が多いことから敬遠する人もいる”夏”。
でも、笠間さんは高原など、標高が高い避暑地にある湖畔のキャンプサイトでソロキャンプ。
寝ても覚めても釣りをして、疲れてきたらコーヒーを淹れて、飲みながら読書。
そんな時間が夏の楽しみだということです。
でも、最近は忙しくて実現出来ていないようで
話すほどに行きたさが募って悶々としていました(笑)
皆さんの夏の楽しみは何でしょう?
番組では随時メッセージを募集しているので、よかったら教えて下さい。
未来に「つなぐ」物語の番組ウェブサイトのメッセージフォームからどうぞ!
今回はプレゼントをご用意しました。
QUOカードPay 3,000円分を抽選で10名様に。応募の締め切りは7月6日です。
話してほしい「物」や「発明」のリクエストもお待ちしています!
それから半世紀。日本文化に興味を持つ海外の方が増える中、BONSAI愛好家も増えています。
注目すべきは「さまざまな芸術の中でも、生あるものを素材にして、
成長や変化を考慮しながら表現する類稀なるアート」と認識されている点。
例えば、北米最大級の植物園NY市にある「ブルックリン・ボタニック・ガーデン」。
園内に日本庭園もある日本に縁が深いこの植物園には、
盆栽博物館があり、樹齢100年を超えるものも栽培されています。
1980年からは4年に1度「世界盆栽大会」が行われています。
前回2022年の開催地はオーストラリアのパース。
10回目となる次の2026年はマレーシアのクアラルンプール。
最近、日本で開かれたのは2017年のさいたま市会場で、
その時は40の国と地域から4万5千人が参加しました。
そんなBONSAIですから輸出量も増えています。
植物の輸出には厳しい制限や検査がありますが
EUへのクロマツ輸出が解禁になったこともあり、このところおよそ3割増。
こうして見ると本当にBONSAIは世界の人の楽しむアートになっているんですね。
ちなみに盆栽は温度・湿度管理が可能な
「リーファーコンテナ」で輸出されます。
かつては、歳を重ねた男性の、地味な趣味という印象があった盆栽。
ところが、芸術性と精神性を内包した、極上の楽しみ。
ナビゲーターの笠間淳さんも、自然の世界を自分の手で再現する盆栽には
ロマンを感じて興味があるそうです。そのうち趣味でやりはじめるかも?(笑)
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