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雲 雲 雲 木 人々 街並み
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ABOUT

毎週日曜日14:55-15:00(FM FUKUOKAのみ10:55-11:00)オンエア!毎回、世の中の”モノ”を取り上げ、そのモノの 歴史からイマ、未来をショートストーリー仕立てでお送りする番組です。身近なモノが少し、へえ~となるお話をお届けします。

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笠間 淳

声優。4月10日生まれ、広島県出身。
主な出演作品は、ナレーション「すくすく子育て」(NHK Eテレ)、劇場アニメ「THE FIRST SLAM DUNK」(三井寿)、アニメ「ガンダムビルドダイバーズ」(クジョウ・キョウヤ)、アニメ「お前はまだグンマを知らない」(轟二矢)、アニメ「タブー・タトゥー」(カーター)、ゲーム「アイドルマスター SideM」(葛之葉雨彦)など。

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笠間 淳

REPORT

  • 2024.06.02
    第33回 6月2日「救急絆創膏」前編
    身体のどこかを擦りむいてしまった時や切ってしまった時に
    患部に貼るガーゼパットがついた「救急絆創膏」。
    あなたは、ふだん何と呼んでいますか。

    日本で最も多いとされるのが「バンドエイド」。
    実はこれ、アメリカのメーカーが発売した世界初の救急絆創膏の商品名。
    一般名詞ではないんです。その誕生エピソードは次回お伝えするとして・・・

    他にも北海道・和歌山・広島などでは「サビオ」で、これはスウェーデン製品のブランド名。 
    日本の企業がライセンス契約したことで広まったようです。
    東北地方・中国地方、佐賀・長崎などで多いのが「カットバン」。
    佐賀に本社があるメーカーが1961年に発売した商品名。
    熊本・福岡・沖縄などの「リバテープ」は、今度は熊本にある製薬会社の商品名です。

    ここまでの呼び方は全て商品名・ブランド名ですが、由来が判らないものもあります。
    それは富山県エリアでの呼び方「キズバン」。
    「ライトキズバン」という商品があるものの、これと富山の直接的な関係は無し。
    『“キズに貼るばんそうこう”を略したものからきている?』 など諸説あり
    明確な理由は明らかになっていません。

    こうして呼び方を見ると「絆創膏」には地域性があり、
    日本の地域文化が透けて見る感じがして興味深いですね。

    ちなみに広島出身の笠間さんの実家では、
    「キズテープ」と何ともレアな呼び方をしていたとか(笑)
    家の中ではキズテープ、外に出るとやはり「サビオ」。
    「キズテープってなんだよ〜」とからかわれた思い出もあるそうです。

    呼び方は何にせよ、子どもの頃にどこかを擦りむいてしまい、お母さんやお父さん、
    おばあちゃんやおじいちゃんに貼ってもらった時には、
    何とも言えない安心感がありましたよね。
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  • 2024.05.26
    第32回 5月26日「扇風機」後編
    アメリカ製の扇風機が日本で初めて発売された翌年の1894年(明治27年)
    国産扇風機の第1号も世に出ました。

    家電製品がほぼ白熱電球と扇風機しか無かった当時、
    サービス精神だったのか? デモンストレーションだったのか?
    この製品には白熱電球が組み込んであって、羽根が回ると白熱電球も灯ったとか。
    初めて見た当時の人は、さぞ驚いたことでしょう。

    ここからいくつもの改良を経て、扇風機は現代の製品に発展していきます。
    大正時代になると国産扇風機の量産がスタート。
    作動音や風の音を静かにする工夫がなされて性能が向上しました。
    しかし、戦時体制に入ると軍需生産優先となって一般扇風機の製造は中止に・・・

    そんな時代を経て扇風機が普及して、広く一般家庭の暑い夏に
    涼しさと安らぎをもたらしてくれるようになったのは戦後のこと。
    1955年(昭和30年)には小型モーターが開発されてスムーズなのに力強い風量が実現し
    その5年後にはスケルトンの羽根が登場、見た目にも涼しげな扇風機が主流になります。
    1980年代になるとタイマー・首振り・ワイヤレスリモコン操作、様々な機能がつきました。

    そうして、21世紀となった今、扇風機は新たな領域に突入しています。
    これまでになかった優しい風、限りなく少ない電力消費量。
    デザインは洗練され、羽なし扇風機も登場し、部屋のオブジェのような存在に。
    これからさらに扇風機がどんな進化を遂げていくか?
    ユーザーの私達は楽しみですね。
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  • 2024.05.19
    第31回 5月19日「扇風機」前編
    扇風機には「扇」の漢字が使われていますが
    古代の日本人が涼をとるために使ったのが「扇」。

    その扇については、日本書紀に登場する神功皇后と家臣の武内宿禰が発明したとか
    天智天皇の時世に現在の京都府北部に位置した丹後国で考えられたなど
    いろいろな言い伝えがありますが、真偽のほどは定かではありません。 
    ともあれ、平安時代には檜で作った板扇や紙で作った紙扇が考案されて
    団扇や扇子が広まったと考えられています。

    人間は発見や発明を知恵や工夫を凝らして、さらに発展させるもの。
    時は流れて、江戸時代後期になると楽をしてもっと涼しくならないか?と考えたのか
    日本人は手動式の扇風機を編みだします。それが「団扇車」。

    団扇を扇風機の羽根のように複数枚、円を描くように並べて取り付け、
    それらをまとめた中央部の取っ手を回すと、よりたくさんの風が生まれる装置。
    団扇車は明治時代になって近代化が進む日本でも引き続き使われて
    1885年(明治18年)には特許第12号「納涼団扇車」として記録されています。

    そして、ほどなく訪れたのが、電気エネルギーが生活用品に使われる時代。
    エジソンが電気を利用する扇風機を開発し、
    アメリカの製品が日本で初めて発売されたのは1893年(明治26年)。
    翌年には外国の技術を導入した初の国産製品も発売されます。

    当時の家電製品は、ほぼ白熱電球と扇風機だけ。
    扇風機は家電製品の先駆けの1つだったのです。
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  • 2024.05.12
    第30回 5月12日「日焼け止め」後編
    健康と美白意識が高まる昨今、
    日焼け止めにもいろんな商品があって買う時に悩みませんか?

    タイプは大きく分けて2つあります。
    紫外線を反射させて日焼けを防ぐ効果のある紫外線散乱剤。
    紫外線を吸収して化学反応で熱や赤外線に変える紫外線吸収剤。

    紫外線散乱剤のメリットは低刺激で肌に優しいこと。
    一方で肌の上で白浮きして見える場合もあります。
    紫外線吸収剤メリットは少量で紫外線効果が高く、ほとんど白浮きしないこと。
    ただ、敏感肌の人には刺激が強い場合もあるようです。
    自分にあったタイプを見つける必要がありそうですね。

    そして、太陽光には「紫外線」のほかにも「可視光線」と「赤外線」があり
    これらからも肌を守る必要があるというのが最近では一般的に言われていること。
    可視光線に含まれるブルーライトは紫外線よりも肌の奥へ入り込んでシワやシミのもとに
    赤外線に含まれる近赤外線はさらに肌の奥へ入って、たるみのもとになるからです。

    欧米では日焼け止め商品の成分への関心も高まっています。
    ハワイでは海に排出されると海洋生物やサンゴ礁に悪影響を与える化学物質があるとして
    特定の物質を使った商品の使用を禁止する法律が制定されました。
    市場には環境に配慮した日焼け止めも登場してきています。

    日焼け止めは健康と環境のことを考えて使う
    まさに現代的なアイテムになってきているのです。
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  • 2024.05.05
    第29回 5月5日「日焼け止め」前編
    この時期になると老若男女を問わず必要な日焼け止め。
    紫外線対策として使用するわけですが、紫外線は人間にどんな影響を及ぼすのか・・・

    まず、皮膚の表面に炎症を起こして肌が黒くなる、いわゆる「日焼け」。
    そして、一時的な日焼けならいいかもしれませんが、そばかすやシミができる原因になります。
    さらに、エネルギーが非常に強い紫外線B波を浴び続けると皮膚がんのリスクも生じます。
    そんなわけで健康のためにも日焼けは避けた方がいいというのが現代の常識。

    1980年代などには「夏の日焼けは夏の健康と美」というイメージが広がり
    海で、プールで、多くの若者がこぞって日焼けに精を出す時代もありました。
    でも、日本の歴史を振り返れば、平安時代の美人女性の要素の1つは白い肌。
    白さは純潔を表し、「色の白いは七難隠す」とも言われ、白い肌が良しとされていました。
    平安女性も現在と同じように頑張って美白を目指したことでしょう。

    そんな歴史もあるからか?
    日本の日焼け止め商品の開発は世界的に見ても早くから手がけられました。
    ある大手化粧品メーカーは大正時代の1915年からスタート。
    昭和になる2年前の1923年には、すでに商品を発売しています。
    国産の日焼け止め商品には100年の歴史があるのです。
    ちなみに欧米で日焼け止めの開発が活発になるのは1930年代頃から。
    日本は日焼け文化よりも美白文化の方が強かったことの証でしょう。

    当時は海外の文化や習慣が日本に入って定着しはじめた時期。
    海水浴など、日本になかったレジャーを楽しむ人が増えて
    過度な日焼けを避けるためのものでした。
    現在では日常的に使用するものから、より健康を意識したものへと進化しています。
    そんな日焼け止めの物語は来週へ続きます。
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  • 2024.04.28
    第28回 4月28日「自転車」後編
    日本で自転車産業が興ったのは明治時代だった19世紀終わり。
    銃を基礎に様々な機械の製造に取り組んでいた実業家 2代目 宮田栄助のもとに
    ある外国人が自転車の修理を依頼したことがきっかけでした。
    銃製造の技術は自転車にも応用できたのです。
    その新しい乗り物に可能性を感じた宮田栄助は1890年に日本初の自転車を試作。
    事業を自転車製造にシフトして日本の自転車産業を牽引していくことになります。

    実は世界最古の自転車機能を有したものは日本で誕生した!という話もあります。
    時は18世紀初頭、舞台は現在の埼玉県本庄市。
    農家の庄田門弥が発明したという「陸船車」がそれです。

    この「陸船車」は船に車輪がついた形で時速14kmほどで走り
    坂も登れるという記録が残っているそうですが、
    資料は少なく、残念ながら世界的に認知はされていないようです。

    それから300年ほど経った今、日本の自転車保有台数は約6870万台。ほぼ2人に1台。
    新型コロナウイルスの影響と健康志向と電動自動車の普及で利用者は増えているようです。

    最近、街で見かける自転車は目に見えて進化している感があります。
    特に、最近のスポーツタイプの自転車には、航空機やゴルフクラブと同じように
    カーボンファイバーが使われる等、軽量化が実現されています。
    だからスタイリッシュでカッコいい!

    番組をお聴きの方の中にも、自転車を利用している人は多いことでしょう。
    楽しく、安全な自転車ライフを送って下さい。
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