border 三井倉庫グループ presents 未来につなぐ物語 オンエア時間 三井倉庫グループ presents 未来につなぐ物語 オンエア時間 border

雲 雲 雲 木 人々 街並み
雲 雲 雲 木 人々 街並み

ABOUT

毎週日曜日14:55-15:00(FM FUKUOKAのみ10:55-11:00)オンエア!毎回、世の中の”モノ”を取り上げ、そのモノの 歴史からイマ、未来をショートストーリー仕立てでお送りする番組です。身近なモノが少し、へえ~となるお話をお届けします。

PersonariltyPersonarilty
笠間 淳

声優。4月10日生まれ、広島県出身。
主な出演作品は、ナレーション「すくすく子育て」(NHK Eテレ)、劇場アニメ「THE FIRST SLAM DUNK」(三井寿)、アニメ「ガンダムビルドダイバーズ」(クジョウ・キョウヤ)、アニメ「お前はまだグンマを知らない」(轟二矢)、アニメ「タブー・タトゥー」(カーター)、ゲーム「アイドルマスター SideM」(葛之葉雨彦)など。

>>もっと読む
笠間 淳

REPORT

  • 2025.08.17
    第96回 8月17日「映画」前編
    1895年12月28日。
    フランスのパリでルイとオーギュストのリュミエール兄弟が、
    世界で初めて撮影したフィルムの有料上映会を行ないました。
    所説はありますが、これが映画が誕生したとされている瞬間だといわれています。

    2人は映画の撮影と映写を兼ね備えた機械「シネマトグラフ」を開発し
    上映したのは『工場の出口』というタイトルのモノクロの無声映画。
    工場から仕事を終えたと思しき男女が次々出てくる50秒の映像でした。

    写真でさえ普及して間もない頃。
    人が動く実写映像には、腰を抜かさんばかりだったのではないでしょうか。

    映画を意味する「シネマ」は、このシネマトグラフから生まれた言葉。
    かつて日本では「活動写真」と言っていたように、当初は1秒16コマ、
    その後は1秒24コマで撮影した画像の連続で動いて見えるメディア、それが映画でした。

    ちなみに、リュミエール兄弟以前に発明王エジソンが
    「キネトグラフ」という撮影機と「キネトスコープ」という映写機を発明しています。
    しかし、これは1人での観賞用。現代にはマッチしているように思いますが
    かつては、大勢で同時に楽しめるシネマのように普及しませんでした。
    さすがエジソンさん、少し早過ぎたのかもしれません。

    さて、リュミエール兄弟によって誕生した映画に
    人々はやがて物語を持ち込むようになり、映像に音楽や弁士の語りを合わせるようになり、
    音声が入ったトーキー映画に発展させ、モノクロからカラーに変えて・・・ 
    映画は最大の娯楽になっていきました。
    そして、さまざまな要素を持った「総合芸術」とさえ言われるようになるのです。
    >>続きを読む
  • 2025.08.10
    第95回 8月10日「メガネ」後編
    13世紀末にイタリアで開発されたメガネ。
    当初は手で柄を持ち、両眼で2つのレンズから見るタイプでしたが、
    16世紀末に紐で耳に掛けるスパニッシュイタリアン型が登場しました。

    ただ、鼻筋が高くて顔の彫が深い西洋人がかけても睫毛がレンズにぶつかりませんが、
    日本人は顔立ちの違いから睫毛はレンズにぶつかってしまいます。
    そこで、鼻あて(ノーズパッド)を考案して17世紀頃には長崎で国産メガネを生産していました。
    また、フレームには革・鼈甲・水牛の角・鉄・銀など、様々な素材を使うようになっていきます。

    その後に進んだのは、まずはフィット感の向上。
    フレームの耳にかける「つる」の部分=テンプルと
    鼻のブリッジで定位置に保つ「テンプルメガネ」が登場しました。
    さらに見えやすさの向上。単焦点レンズから二焦点レンズ、つまり遠近両用メガネも登場しました。

    20世紀に入る頃、メガネは完成の域に達しましたが、
    それでも「見る」部分において、「かける」部分において、進化は続いています。

    21世紀の現在、一人一人の目の状況に合ったレンズ設計は当然のこと
    主流はガラスからプラスチックへと移り、軽量化も進んでいます。

    かけ心地も人によって好みはさまざまなので、素材やデザインはよりどりみどり。
    研究者や開発者の努力のおかげで、便利に楽しくメガネライフが送れています。

    生活をアシストしてくれる必需品として、ファッションアイテムとして、
    いつも一緒にいてくれる相棒、それがメガネ。
    あなたの生活にも欠かせないものではないでしょうか?
    >>続きを読む
  • 2025.08.03
    第94回 8月3日「メガネ」前編
    国内の成人を対象にした調査では使用率は、ほぼ4分の3というデータがあるメガネ。
    パソコンやスマートフォンを長時間使用する人が多い現代、
    さらにファッションアイテムの1つとしても定着し、ユーザーは本当にたくさんいます。

    そんなメガネの誕生に欠かせなかったのがレンズ。
    10世紀頃のアラビアの学者で「近代光学の父」イブン・アル=ハイサムは、
    「目から発する放射物によって物が見える」という当時の一般的な理論に反して、
    「物の放つ光を受けて目の中に像が結ばれる」と考えます。
    彼は物が見える現象を最初に解明した科学者でした。
    さらにハイサムは、ガラス球とそこに当たる光の屈折によって物を拡大して見ることができ
    この方法で視力を補える可能性を示唆しました。

    そのアイデアが実現したのは13世紀中頃。
    本の上に置くと文字が拡大される水晶や石英製の半球面レンズが開発されたのです。
    これは、今のルーペのようなもので「リーディングストーン」と呼ばれ、
    老眼に悩む修道士たちに喜ばれたといいます。

    そして、メガネの原型が開発されたのは、13世紀後半のイタリア ムラーノ島のガラス工房。
    リーディングストーンのレンズは1つでしたが、これは2つのガラス製レンズを柄のついた
    木枠にはめて鋲で接続した「リベットメガネ」でした。

    ただ、まだ耳にかける仕様ではなく、手で持って見るもので、
    このタイプはポルトガル宣教師によって16世紀の日本にも伝えられています。
    現在のように耳にかけるメガネの登場は、もう少し後のことでした。
    >>続きを読む
  • 2025.07.27
    第93回 7月27日「花火」後編
    今では日本の夏の風物詩の1つ花火を庶民が楽しむようになったのは江戸時代。
    まずは江戸幕府を開いた徳川家康が花火を鑑賞したことがきっかけで
    将軍や大名の間で花火がブームになります。

    時は流れて8代将軍 徳川吉宗公の享保年間。
    長雨と冷夏、それにともなう害虫の発生で稲作が大きな打撃を被り
    全国で100万人近くが命を落とす大飢饉が起きました。

    そこで吉宗公は亨保18年(1733年)5月28日、
    両国川、現在の隅田川の川開きの日に水神祭を開催。
    大飢饉の犠牲になった人々の慰霊と悪疫退散を祈願しました。
    その時に花火を打ち打ち上げたことが、全国にある花火大会のルーツになったのです。
    つまり、花火には多くの場合、鎮魂の意味が込められています。

    明治時代に入ると海外から新しい薬剤が輸入されるようになり
    橙色の強弱の表現しかできなかった花火は、明るく豊かな色彩へと大きく変化します。

    そして、花火職人や製造会社の絶え間ない技術開発への努力があり
    いま日本の花火の華麗さと精巧さは世界で絶賛されています。

    最近では化学の勉強をする花火職人も増え
    コンピュータを使って花火と音楽をシンクロさせる演出もポピュラーとなり
    花火はまさに夏の一大エンターテインメント。
    きっと、これからも古き良き精神を残しつつ、進化をし続けることでしょう。

    今年、花火大会に行く予定がある方は種類・仕組・名称など
    多少の知識を持っていると、より楽しめるはずです。
    >>続きを読む
  • 2025.07.20
    第92回 7月20日「花火」前編
    火薬や発色剤を混ぜ合わせ、筒や玉に詰めて点火し
    破裂・燃焼によって見られる色彩や美しさや音を楽しむのが花火。
    花火は羅針盤・活版印刷と並ぶ世界三大発明のひとつ火薬がなければ生まれませんでした。

    火薬の発明には諸説あります。
    不老不死の薬をつくる研究をしていた漢方医で錬金術師が、
    硝石、硫黄、木炭から黒色火薬をつくったことに始まるというもの。
    また、秦の始皇帝が、北方民族侵入を防ぐために掲げた万里の長城の狼煙に
    硝石を使ったことに始まるというもの。

    いずれにしろ、火薬は武器として使われるようになり、世界の軍事を大きく変えました。
    一方で、花火のような利用法も生まれます。
    現在のような視覚と音を楽しむ花火が始まったとされるのが
    14世紀後半のイタリア フィレンツェ。
    これは仕掛け花火のようなもので、祭典や王族・貴族の結婚式などで使われました。

    一方、日本人が火薬の存在に初めて触れたのは15世紀の元寇。
    蒙古軍は、鉄砲を持っていたのです。
    その後の1543年、種子島にやって来たポルトガル人によって
    鉄砲と火薬製造法が伝わると、日本人はこの新しい兵器づくりに邁進します。
    織田信長の時代、日本にある鉄砲の数は、ヨーロッパ全体の数を超えていたとも言われます。

    戦国時代にも「キリシタン大名の大友宗麟が、
    イエズス会宣教師に花火を打上げさせて人々を驚かせた」という記録や
    「伊達正宗が、米沢城で花火を見た」という記録もありますが、
    火薬の平和利用である花火が、庶民の楽しみになるのは、もう少し後のことです。
    >>続きを読む
  • 2025.07.13
    第91回 7月13日「自動販売機」後編
    日本で自動販売機が普及したきっかけのひとつは1957年に
    冷却装置を搭載したカップ式ジュース自販機が登場したこと。
    飲料メーカーの競争が激しさを増す中、
    自動販売機は重要な戦略ツールになり始めました。

    1960年代には、アメリカの大手飲料メーカーが、本格的に日本に進出。
    全国に880台のビンの自動販売機を設置して
    これが国内初の清涼飲料用自動販売機となりました。

    1967年に100円硬貨が改鋳され、大量に流通すると、
    自動販売機の利便性は高まり、バリエーションが加速度的に増えていきます。

    1970年代には、缶入り飲料の自動販売機も登場。
    缶ビールの自動販売機も増えていきます。

    1975年には冷たい飲み物と温かい飲み物を同時に販売できる
    日本特有のホット&コールドコンビネーション機が登場。

    1997年にはペットボトル製品の販売がスタート・・・と、
    日本は世界でも指折りの自動販売機大国となりました。

    2023年末現在、日本における自動サービス機を含む自動販売機の台数は約393万台。
    かなりの数ですし「こんな自販機があるんだ!?」と驚いたことが皆さんあるのでは?
    今ではユニークな物を売る販売機、コンビニのような販売機も見かけます。
    この番組を収録しているTOKYO FMにも、おにぎり・パン・カップ麺・お菓子を
    同時に売っている自販機が置かれています。

    最近では環境を考慮して、ソーラーパネルを搭載し、蓄積した電気を使う機種や
    冷却用の電力を止めても長い時間冷たい商品を提供できるシステムも導入されています。
    コンビニ同様に現代人の暮らしを支えてくれているのが自動販売機です。
    >>続きを読む
  • MESSAGE

    番組の感想やパーソナリティへの
    メッセージを募集中!
    たくさんのメッセージ、
    お待ちしております!

    メッセージを送る 矢印 矢印
    放送時間
    3分で分かる三井倉庫グループ
    三井倉庫グループ 公式Youtubeチャンネル
    Share!
    X Facebook Line