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雲 雲 雲 木 人々 街並み
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ABOUT

毎週日曜日14:55-15:00(FM FUKUOKAのみ10:55-11:00)オンエア!毎回、世の中の”モノ”を取り上げ、そのモノの 歴史からイマ、未来をショートストーリー仕立てでお送りする番組です。身近なモノが少し、へえ~となるお話をお届けします。

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笠間 淳

声優。4月10日生まれ、広島県出身。
主な出演作品は、ナレーション「すくすく子育て」(NHK Eテレ)、劇場アニメ「THE FIRST SLAM DUNK」(三井寿)、アニメ「ガンダムビルドダイバーズ」(クジョウ・キョウヤ)、アニメ「お前はまだグンマを知らない」(轟二矢)、アニメ「タブー・タトゥー」(カーター)、ゲーム「アイドルマスター SideM」(葛之葉雨彦)など。

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笠間 淳

REPORT

  • 2024.08.25
    第45回 8月25日「バッグ」後編
    携帯して持ち歩く現在のバッグに近い袋は、
    時代の変遷と文化の発展とともに形状や使い方が変わってきました。

    日常生活に欠かせないものになったとされているのは1789年のフランス革命後。
    服装が、装飾豊かで貴族的なものから、シンプルな庶民的なものへ変化。
    ポケットが少なく、小さくなったため、
    小物やお金を入れて持ち運ぶものが必要になったのです。
    その頃の名称は「INDISPENSABLE(インディスペンサブル)」。
    「欠くことのできないもの」という意味でした。

    そうして19世紀になる頃には、女性の間で装飾品としてのバッグが定着。
    この頃には、皮の量産を可能にする「なめし技術」が確立し、
    柔らさ・保存性・耐熱性が飛躍的に向上した皮も素材に使われるようになります。

    一方で「旅行バッグ」というニーズも生まれました。
    かつての旅行は貴族の楽しみでしたが、新たな移動手段「鉄道」が発明され、
    一般市民も旅行をするようになって旅行バッグ専門業者も現れます。

    新しい時代が到来し、丈夫でファッション性の高いバッグのニーズが高まる中、
    今に繋がるハイブランドが工房やアトリエとして創業。
    魅力的な製品を世に送り出していきます。

    有名なところでは旅行カバン専門アトリエとして創業したLOUIS VUITTON。
    馬具の工房からはじまって「ケリー」「バーキン」といった
    多くの女性が憧れる商品を生んできたHERMES。
    初めての女性用ショルダーバッグ「マトラッセ」を開発したCHANELなど。

    今では素材・デザイン・形状・・・多種多様なバッグがあります。
    あなたのお気に入り、あるいは欲しいと思っているのは、どんなバッグですか?
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  • 2024.08.18
    第44回 8月18日「バッグ」前編
    必要な何かを入れて、持ち運ぶことができる「バッグ」。 
    アナログな道具なので、古くからさまざまな地域で
    いろんな素材で作られたと想像されます。

    実際、人間はまだ洞穴に暮らし、狩猟生活をしていた時代にも
    動物の皮や植物で作ったバッグに武器や獲物を入れて歩いていました。

    1991年にオーストリアの氷河で発見された世界最古のミイラ、通称アイスマン。
    およそ5,300年前を生きた彼も木の皮で編んだポシェットや
    山羊皮製のリュックサック、子牛皮でつくった袋を持っていました。
    ポシェットには食料を入れていたと考えられています。

    やがて、文明を育みはじめた人類。
    岡山市立オリエント美術館には、メソポタミア文明の新アッシリア帝国時代
    宮殿に飾られていた3,000年前のレリーフが展示されていますが
    頭から背にかけては鳥、体が人間の精霊が、
    手にハンドバッグのようなものを持っています。

    メソポタミアから何万キロも離れた各地の古代文明の遺跡でも、
    神や精霊や人物が手にハンドバッグを持ったレリーフがいくつも見つかっていて
    その不思議な共通点が指摘されています。
    中には「人類に文明を授けた宇宙人を描いたのだ!」
    「手に持っているのは宇宙バッグだ!」というユニークな説もあるとか(笑)

    ローマ時代になると、道路が整備され
    特権階級の人々の間で馬車による旅行が始まります。
    そのため、食器や家具や貴重品を入れる、鍵が付き
    美しく装飾されたカバンが生まれました。
    この頃、バッグは富の象徴だったのです。
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  • 2024.08.11
    第43回 8月11日「アイスクリーム」後編
    文明開化の明治時代に西洋の食文化の1つとして
    一躍トレンドになったアイスクリーム。

    銀座には、アイスクリームを提供する最先端のお店が、次々オープンします。
    また、外国との社交場だった鹿鳴館では、
    アイスクリームが晩餐会のデザートに欠かせないものでした。

    ただ、この頃は高価な食べ物。
    庶民に身近なものになってきたのは工業化が始まった大正時代以降で
    本格的なアイスクリーム時代の到来は昭和30年代のことです。

    大きな理由は、冷凍庫付きの冷蔵庫の一般家庭への普及。
    さらに「当たりが出るともう一本」というような当たりくじ付きの商品の登場。
    その後のヒット商品もあって、日本のアイスクリームの市場規模は
    トータルで見れば大きく伸びてきました。

    統計をとり始めた1966年は510億円。去年2023年は6,082億円。
    およそ12倍。2023年は前年比10%増で4年連続最高記録を更新しています。

    季節ごとに美味しい新商品がいろいろ出て
    以前からある商品もバージョンアップされてさらに美味しくなり
    コンビニやスーパーでアイスクリームを見ると迷ってしまう方も多いはず。

    クオリティが高い日本のアイスクリーム商品は、海外への輸出も増えています。
    2023年は10年前のおよそ5倍。
    輸出先は1位:台湾、2位:香港、3位:中国、4位:アメリカ、5位:シンガポール。
    日本にアイスクリームを教えたアメリカが4位とは、 
    アイスクリームはすでに日本の食文化の1つになっているということの証でしょう。


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  • 2024.08.04
    第42回 8月4日「アイスクリーム」前編
    夏に聴くと、なんて甘美な響きでしょう。
    アイスクリーム!

    今、当たり前のように食べられる私たちは幸せかもしれません。
    アイスクリームを日本人が初めて口にしてから165年ほどしか経っていないのです。

    時は幕末。
    アメリカを訪れた徳川幕府の使節団が、歓迎会で食べた記録が残っています。

    『珍しきものあり。(中略) 味は至って甘く、
    口中に入るるに忽ち溶けて、誠に美味なり、是をアイスクリンといふ』

    さぞ美味しかったことでしょうね。
    使節団には咸臨丸で勝海舟や福沢諭吉も同行していて
    2人も食べたと考えられています。

    アイスクリームは牛乳などを原料にして、冷やしながら空気を含むように攪拌し、
    クリーム状にして凍らせたもの。その原型を考えたとされているのが、
    イタリアのシチリア出身でパリにカフェを開いたフランソワ・プロコープさん。
    1720年のことだったと伝わっています。

    そして、日本人がアイスクリームを売った最も古い記録は明治2年。
    町田房蔵さんという人物が、横浜の馬車道通りに
    あいすくりんを販売する店を開きました。

    この町田房蔵さんは幕臣の家の出身。
    なんと16歳の時に先の使節団のメンバーとしてアメリカを訪れ
    日本人で初めてあいすくりんを食べた1人だったのです。
    武士の時代が終わり、されど生きていかねばならず、
    あいすくりんにビジネスチャンスを見たのでしょうか?

    ただ、1人分の値段は現在の価格でおよそ8000円!
    庶民にとってはちょっと高価すぎたのでしょう。
    当初はさっぱり売れなかったそうです。

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  • 2024.07.28
    第41回 7月28日「ランニングシューズ」後編
    19世紀の終わりに生まれたランニングシューズの機能が、飛躍的に向上したのは1970年代。
    ミッドソールの素材に従来のラバースポンジと比べて、軽くて衝撃吸収性が高い合成樹脂
    「EVA」を採用するようになったからです。

    日本におけるランニングシューズの歴史を箱根駅伝で見ると
    大会が始まった1920年から1950年代前半までは、指先が2つに分かれた足袋型。
    その後、1960年代までは、足をしっかり守ってくれそうですが、
    重厚感がある、当時「トレーニングシューズ」と呼ばれた靴。
    そして、1970年代になるとランニングシューズが登場します。
    いま多くの人がカジュアルに履いているスポーツブランドの靴とほぼ同じ感じです。

    ここへきてランニングシューズは市民権を得ました。
    そして、ランニングシューズ開発によって生まれたのが市民ランナー。
    趣味や健康のために走る習慣は、この頃から広まったのです。

    マラソンをはじめ陸上競技の高速化にシューズが果たす役割は小さくありません。
    その意味において近年の衝撃が、2017年に登場した長距離走用の厚底シューズ。
    それまでは薄底が主流だったのに、なんと靴底およそ4センチ。
    しかも、厚底ランニングシューズを履いたランナーたちが、好記録を連発しているのです。

    秘訣の1つはソール部分に使われているカーボンファイバーのプレート。
    曲がった形のプレートが着地すると平らになり、ばねのように元の形に戻ろうとして
    ランナーの体を前に押し出すという機能があるそうです。
    これからも、さらなる革命的なランニングシューズが作られ、
    過去の記録はたびたび塗り替えられていくことでしょう。
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  • 2024.07.21
    第40回 7月21日「ランニングシューズ」前編

    スポーツ用シューズの生産が始まったのは19世紀中頃のアメリカ。
    素足にゴムを貼り付けていた先住民族に影響を受けて、
    当初は綿や麻の素材に天然ゴムや合成ゴムの靴底を使ったものでした。

    その後、アメリカ人のチャールズ・グッドイヤーが硫黄を加えることで
    天然ゴムが柔軟性と撥水性を持つようになることを発見。
    形づくりもしやすくなり、より耐久性の高い靴底を作れるようになりました。

    そうして、走ることに特化した最初のランニングシューズ誕生は1895年。
    つくったのはReebokの前身、イングランドのJ.W.フォスター&サンズ。
    翌年には、近代オリンピックの第1回大会がギリシャのアテネで開催され
    4年に1度の祭典として世界に定着していく中でランニングシューズ開発競争も始まりました。
    ちなみに現在のマラソンは、近代オリンピックの幕開けとともに生まれた競技です。

    ただ、この時点のランニングシューズは、
    基本的な足の保護と最小限のサポートをするために設計されたもの。
    そこに変革を起こしたのが、ドイツ人のダスラー兄弟。
    1920年に自宅の洗濯室でスポーツシューズづくりを始めたところから

    製造工場を立ち上げた ルドルフ(愛称:ルーダ)とアドルフ(愛称:アディ)です。
    軽くて足の形に合わせたデザインが特徴のダスラー兄弟のランニングシューズは、      
    多くのオリンピアンにメダルをもたらしました。                    
    しかし、やがて兄弟は仲違いして第二次世界大戦後に決別。
    兄のルーダは現在のPUMA、弟のアディは現在のadidasの創設者となるのです。

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