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雲 雲 雲 木 人々 街並み
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ABOUT

毎週日曜日14:55-15:00(FM FUKUOKAのみ10:55-11:00)オンエア!毎回、世の中の”モノ”を取り上げ、そのモノの 歴史からイマ、未来をショートストーリー仕立てでお送りする番組です。身近なモノが少し、へえ~となるお話をお届けします。

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笠間 淳

声優。4月10日生まれ、広島県出身。
主な出演作品は、ナレーション「すくすく子育て」(NHK Eテレ)、劇場アニメ「THE FIRST SLAM DUNK」(三井寿)、アニメ「ガンダムビルドダイバーズ」(クジョウ・キョウヤ)、アニメ「お前はまだグンマを知らない」(轟二矢)、アニメ「タブー・タトゥー」(カーター)、ゲーム「アイドルマスター SideM」(葛之葉雨彦)など。

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笠間 淳

REPORT

  • 2024.11.17
    第57回 11月17日放送「紅茶」前編
    世界のお茶生産量のおよそ7割を占めているのが紅茶。
    紅茶は緑茶や烏龍茶と同じツバキ科の樹、
    学名「カメリア・シネンシス」の葉からつくられます。

    では、緑茶やウーロン茶と紅茶は何が違うのかというと製造過程の発酵具合。
    茶葉を揉み、完全に酸化発酵させたものが紅茶。発酵させないのが緑茶。
    烏龍茶はその中間です。

    ちなみに本来の「お茶」はこれらのことを指します。
    麦茶やハーブティーなど、お茶の樹ではない植物が原料のものは、
    お茶と同じく煎じて飲むので「○○茶」や「○○ティー」と便宜上呼ばれているのです。

    お茶の樹の原種は中国からチベット、ミャンマーの山岳地帯に自生していたようです。
    古くから中国では葉を摘んで不老長寿に効く薬として大切にされていたとか。
    当初は高貴な人たちの飲み物でしたが、6世紀頃から一般にも広まったとされています。

    そんなお茶は大航海時代の17世紀前半にヨーロッパへも伝わります。
    今、ヨーロッパでお茶といえば紅茶ですが、この当時もたらされたのは緑茶。
    ただ、イギリスで少し発酵させたウーロン茶に近い茶葉が好まれところから
    産地で茶葉をさらに発酵させる製法がとられ、紅茶が生まれたと考えられています。

    ところで、日本の11月1日は「紅茶の日」。
    これは船が遭難してロシアに漂着した伊勢国の船主たちが
    1791年11月に女帝エカテリーナ2世のお茶会に招かれて
    紅茶を日本人として初めて飲んだと考えられていることに由来しています。

    そんな紅茶の物語は、来週の後編に続きます。
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  • 2024.11.10
    第56回 11月10日放送「砂糖」後編
    中世になると砂糖生産のために世界各地に大きな農園が開かれます。
    1531年にはブラジルでサトウキビ栽培がスタート。
    ここから精糖業はブラジルの主要産業の1つとなり、
    現在、サトウキビの生産も砂糖の生産と輸出も世界一はブラジルです。

    18世紀には、サトウキビと並ぶ砂糖の主原料てん菜からの製造技術も確立しました。
    もともとてん菜は動物の飼料とされていた作物。
    1747年にドイツの科学者マルク・グラーフさんが砂糖抽出に成功し
    弟子による製糖法が実用化され、1801年にてん菜糖工場が設立されています。

    その後、世界の砂糖産業は発展を続け、20世紀に入る頃には、
    サトウキビからの生産は1,000万トン、てん菜からの生産は800万トンを超えました。

    2021年の世界の砂糖生産はサトウキビからが約1億3,100万トン、
    てん菜からが約3,400万トンで、合計1億6,500万トン。 
    人口の増加もあり、飛躍的に増加しています。

    日本では江戸時代に、幕府の奨励策で各地に精糖業が広まりましたが、
    庶民が使えるようになったのは明治時代、近代的な製糖技術が入ってきてからのこと。
    甘いものがふだんの生活で食べられて、さぞかし嬉しかったことでしょう。

    最近の国内での砂糖消費量は、年間約180万トン。
    原料のサトウキビは沖縄県や鹿児島の南西諸島、てん菜は北海道で栽培されています。

    環境問題が取り沙汰されることが多い今、
    サトウキビは砂糖と違う側面で注目されています。
    バイオエタノールを生産することができるため
    生産大国のブラジルではバイオ産業が急速に発展してきているのです。
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  • 2024.11.03
    第55回 11月3日放送「砂糖」前編 
    私たちにある5つの味覚の1つ甘味。
    人間は甘味を感じると脳内の心地よさを感じる部分が刺激されて
    β-エンドルフィンが分泌されます。これはストレスを和らげ、
    心身のリラックスや快感をもたらす作用があるホルモン。
    甘いものを食べると幸せな気分になることには科学的な理由があるのです。

    そんな甘味の代表的なものが「砂糖」。幸せになる物質ですから
    私たちの祖先は、その存在に気づいた遥か昔から口にしていたことでしょう。
    当初は原料になるサトウキビをジュース状にして飲んでいたと考えられています。

    砂糖伝播のルーツとなったのがインド。
    紀元前327年、マケドニアの国王がインドに遠征した時の記録に
    「蜂蜜のように甘い汁のとれる葦がある」「噛むと砕ける甘い石がある」とあります。
    前者はサトウキビで後者は砂糖を指し、砂糖が初めて精製されたのがインドで
    英単語「Sugar」の語源は古代インドの言語、
    サンスクリット語の「Sarkara 」だとされています。

    やがて、サトウキビと砂糖は世界へと広がっていきます。
    インドから西はペルシャやエジプトへ、東は中国へ。
    11世紀から12世紀にかけては十字軍の遠征によってヨーロッパへ・・・と。

    その砂糖が日本に伝来したと考えられているのが奈良時代。
    当時の多くの文化がそうであるように、中国からもたらされました。
    唐招提寺の創始者で唐の高僧 鑑真が来日する際に持ち込んだ、
    遣唐使が持ち帰ったなど諸説ありますが、定かではありません。

    しかし、756年に光明皇后が60種の薬を東大寺の大仏に献納した際の目録
    「種々薬帖には砂糖を意味する「庶糖」の記録が見られます。
    この頃の砂糖は高価な薬でもあったのです。
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  • 2024.10.27
    第54回 10月27日「掃除機」後編
    20世紀に入った頃から巨大な電気掃除機を小型化・低コスト化する競争が始まり
    日本では昭和6年に初めての国産の商品が発売されました。
    しかし、当時の住まいは畳を板間の日本家屋や長屋。
    箒とはたきで事が足りていたため、広く普及するには至っていません。

    日本で電気掃除機の需要が高まるのは戦後から20年ほど経ってからのこと。
    1960年代になると全国各地で団地の建設ラッシュが始まりました。
    ライフスタイルの西洋化が進むと同時に、塵やゴミを家の外に掃き出すことは、
    社会の迷惑になるという意識も広まって掃除機が受け入れられます。

    ただ、この頃の掃除機はフィルターが使い捨てではなく
    「溜まったゴミを捨てる時には埃が舞う」「フィルターを洗うのは面倒」、
    「洗えば劣化する」と、今から考えれば、まだまだ使い勝手の悪いものでした。
    しかし、機能性は年を追うごとに進化していきます。

    1980年代には使い捨て紙パックフィルターが、
    ゴミ捨てとフィルター洗浄問題を解決した紙パック式が登場。

    1990年代にはサイクロン式が登場。
    紙パックを使わずゴミを直接ダストボックスに集められるようになりました。

    21世紀になる頃には、ロボット型が登場。 
    私たちが手にしなくても自ら動いて掃除をしてくれる、
    お出かけの時に作動させても家に帰ればドックに帰還している。
    フォルムの可愛さもあって一大ブームが巻き起こったことは記憶に新しいでしょう。

    今となっては、タイプ・性能もさまざまな掃除機。
    掃除は憂鬱で面倒という方も少なくありませんが、
    掃除機のおかげで毎日の生活はずいぶん助かっていますよね。
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  • 2024.10.20
    第53回 10月20日「掃除機」前編
    生活がもっと楽になるように、便利なモノを発明してきたことが、人類の歴史の一部。
    今の掃除機に繋がるものもいろいろな時代に、いろんな場所で考えられたと想像されます。
    その中で「世界初」の掃除機は、アメリカのアイヴス・マガフィーさんによる発明。
    1868年のことです。

    電力が普及する以前のことで、これは電気を使わない製品。
    レバーを手で引いて、圧力が低い状態をつくり出し、
    空気は気圧の高いところから低いところへ流れる性質を利用して、
    ノズルからゴミを吸い取って容器に溜めるという方式でした。

    この真空掃除機は発売まで漕ぎ着けますが、とても高価な品。
    当時の人たちは、ノズルをゴミに当て、手でレバーを引く手間も
    面倒に感じられたようで、残念ながらあまり普及しなかったようです。

    ほどなく電気の時代が到来すると、電気で動く掃除機の開発競争が始まります。
    そして、最初の電気式真空掃除機を1901年に開発して歴史に名を残したのは
    イギリスのヒューバート・セシル・ブースさんです。

    ブースさんの掃除機には布のフィルターがついていました。
    それは列車の座席から塵を吹き飛ばす装置のデモンストレーションを見た時に
    「吹き飛ばすより吸い取った方がいいだろう」と思いついて構造を考えたから。
    アイデアを試すため、レストランの椅子にハンカチを広げ、口で吸ってみたブースさんは、
    塵がハンカチの反対側に集まったのを見て、成功を確信したといいいます。
    その後、製品の開発に漕ぎ着け、工場や倉庫で使う業務用として成功を収めました。

    ただ、この時の掃除機はとても巨大。掃除に使う場所まで馬で引いて行ったとか。
    ここから小型化や軽量化が進められ、家庭用の掃除機が普及していくのです。
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  • 2024.10.13
    第52回 10月13日「絵画」後編
    19世紀になると西洋芸術には、自然主義・写実主義の流れが訪れました。
    市民革命・産業革命で中産階級が台頭したことで、
    農村や自然の風景をありのままに表現する風潮が生まれたのです。
    ミレーの「落穂拾い」に代表されるように絵画も同様です。

    それに対して東洋美術は、人間の主体に重きを置き、心象風景を作品で表現していました。
    この頃に日本で流行していた浮世絵も実は写実的ではありません。
    葛飾北斎の「富嶽三十六景」や歌川広重の「東海道五十三次」などの風景画も
    情緒や感じたことを表現するため、いろいろデフォルメされています。

    それを見て驚いたのが西洋の画家たち。
    論理的に絵画を描く彼らにはないアプローチだったのです。
    ゴッホが浮世絵を愛し、模写し、方法論を取り入れたのは有名な話。
    西洋では浮世絵の影響から印象派が生まれました。

    一方で「湖畔」で知られる日本の画家・黒田清輝はフランスへ留学し
    印象派の影響を受けたことで「日本の近代西洋画の父」と呼ばれました。
    近代になると絵画は西洋・東洋がお互いの要素を取り入れて発展するようになったのです。
    美術館に足を運ぶ時には、そんな背景も知っておくと、より楽しめるかもしれません。

    ところで、絵画は大切な美術品。
    個人で所有している方もいるかもしれませんが、温度と湿度が整って、
    紫外線から守られ、セキュリティーが整った環境で保管したいものです。
    倉庫業者の中には、国が定める基準を満たしたトランクルームで個人の美術品を預かり、
    保管するサービスを展開する企業もあることをお伝えしておきましょう。

    絵画と芸術の秋。
    今度のお休みには美術展に出かけてみてはいかがでしょう。
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