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雲 雲 雲 木 人々 街並み
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ABOUT

毎週日曜日14:55-15:00(FM FUKUOKAのみ10:55-11:00)オンエア!毎回、世の中の”モノ”を取り上げ、そのモノの 歴史からイマ、未来をショートストーリー仕立てでお送りする番組です。身近なモノが少し、へえ~となるお話をお届けします。

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笠間 淳

声優。4月10日生まれ、広島県出身。
主な出演作品は、ナレーション「すくすく子育て」(NHK Eテレ)、劇場アニメ「THE FIRST SLAM DUNK」(三井寿)、アニメ「ガンダムビルドダイバーズ」(クジョウ・キョウヤ)、アニメ「お前はまだグンマを知らない」(轟二矢)、アニメ「タブー・タトゥー」(カーター)、ゲーム「アイドルマスター SideM」(葛之葉雨彦)など。

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笠間 淳

REPORT

  • 2024.06.23
    第36回 6月23日「盆栽」後編
    盆栽が世界に広まってアルファベットで表記されるBONSAIとなったのは昭和50年頃。
    それから半世紀。日本文化に興味を持つ海外の方が増える中、BONSAI愛好家も増えています。
    注目すべきは「さまざまな芸術の中でも、生あるものを素材にして、
    成長や変化を考慮しながら表現する類稀なるアート」と認識されている点。

    例えば、北米最大級の植物園NY市にある「ブルックリン・ボタニック・ガーデン」。
    園内に日本庭園もある日本に縁が深いこの植物園には、
    盆栽博物館があり、樹齢100年を超えるものも栽培されています。

    1980年からは4年に1度「世界盆栽大会」が行われています。
    前回2022年の開催地はオーストラリアのパース。
    10回目となる次の2026年はマレーシアのクアラルンプール。
    最近、日本で開かれたのは2017年のさいたま市会場で、
    その時は40の国と地域から4万5千人が参加しました。

    そんなBONSAIですから輸出量も増えています。
    植物の輸出には厳しい制限や検査がありますが
    EUへのクロマツ輸出が解禁になったこともあり、このところおよそ3割増。
    こうして見ると本当にBONSAIは世界の人の楽しむアートになっているんですね。

    ちなみに盆栽は温度・湿度管理が可能な
    「リーファーコンテナ」で輸出されます。

    かつては、歳を重ねた男性の、地味な趣味という印象があった盆栽。
    ところが、芸術性と精神性を内包した、極上の楽しみ。
    ナビゲーターの笠間淳さんも、自然の世界を自分の手で再現する盆栽には
    ロマンを感じて興味があるそうです。そのうち趣味でやりはじめるかも?(笑)

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  • 2024.06.16
    第35回 6月16日「盆栽」前編
    盆栽のルーツには諸説あります。
    中でも平安時代に中国から伝わった「盆景」をもとに日本で作られた文化という説が一般的。
    盆景は中国では古くからあった小さな樹木を平らな器で育てる楽しみ。
    唐時代の遺跡からは世界最古の鉢植えの壁画が発見されています。

    盆景の作者は自然の美と自分の思い・感情を入れて作品を制作したと考えられ
    日本人は日本に入ってきた、その盆景を独自の風土と文化の中で盆栽へと進化させました。

    僧侶が山林なども修業の場とした平安時代、
    寺院に自然の要素が取り入れられる中で盆栽は広まります。
    貴族・武士・高僧にも教養のひとつとして愛好されました。

    江戸時代には、将軍への植物の献上が競われ、武士に園芸ブームが起こります。
    また、薬草学が発展して、多くの植物が栽培され、観賞用も生まれました。
    この風潮は庶民にも広まり、庭のない長屋暮らしでも育てられる鉢植えが流行。
    園芸は将軍から庶民まで、階級をこえた趣味となります。

    こうした要素が「盆栽」としてまとめられるのが、
    欧米から「美術」の概念が入った明治時代。

    茶道や華道など、生活文化を芸術文化に昇華させようという
    日本美術再考運動に同調した美術盆栽運動が起こります。
    その一方で、大正時代には「自然美盆栽」という自然を再構築するような飾り方が成立。
    現在のように世界でARTと認められる盆栽が完成したのです。
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  • 2024.06.09
    第34回 6月9日「救急絆創膏」後編
    ひとくちに絆創膏と言っても「水絆創膏」や「テープ絆創膏」など種類は複数あります。
    中でも私たちにいちばん身近なのが「救急絆創膏」と呼ばれるタイプ。
    その定義は「身体の部位に用いる接着剤を付した布製、
    プラスティック製等の各種形状の絆創膏材」というものです。

    救急絆創膏は薬事法で「医薬品」「医薬部外品」「医療機器」の3種類に区分されていて
    成分や効能・効果、使用目的によって使い分ける必要があります。
    しかし、多くの商品は一般名称の救急絆や救急絆創膏として売られているので
    買う時には製品区分をしっかりと確認しましょう。

    一般的なガーゼパットがついた救急絆創膏が、
    アメリカの会社から初めて発売されたのは1921年(大正10年)。
    その誕生には、こんなエピソードがありました。

    医療材料を作るメーカーで働くディックソンは、
    キッチンでたびたびケガをしてしまう新婚間もないジョセフィーヌのことで悩んでいました。
    一緒にいる時は包帯を巻いてあげられますが、自分がいない時にはそれをしてあげられません。

    そこでジョセフィーヌが一人でも、自分で簡単に手当てできるよう
    テープを広げて小さなガーゼを一定の間隔で置いてみたのです。
    自分で処置できるようになって、愛しい妻は喜びました。

    ディックソンが上司にこの話をしたことから商品としての救急絆創膏は誕生。
    世界のどこの家庭にも置いてあるものとなりました。
    妻を思う気持ちが生んだ発明品、それが救急絆創膏なのです。

    ディックソンのジョセフィーヌへの想いを想像すると
    救急絆創膏を貼る時に、なんだか温かい気持ちになりますね。
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  • 2024.06.02
    第33回 6月2日「救急絆創膏」前編
    身体のどこかを擦りむいてしまった時や切ってしまった時に
    患部に貼るガーゼパットがついた「救急絆創膏」。
    あなたは、ふだん何と呼んでいますか。

    日本で最も多いとされるのが「バンドエイド」。
    実はこれ、アメリカのメーカーが発売した世界初の救急絆創膏の商品名。
    一般名詞ではないんです。その誕生エピソードは次回お伝えするとして・・・

    他にも北海道・和歌山・広島などでは「サビオ」で、これはスウェーデン製品のブランド名。 
    日本の企業がライセンス契約したことで広まったようです。
    東北地方・中国地方、佐賀・長崎などで多いのが「カットバン」。
    佐賀に本社があるメーカーが1961年に発売した商品名。
    熊本・福岡・沖縄などの「リバテープ」は、今度は熊本にある製薬会社の商品名です。

    ここまでの呼び方は全て商品名・ブランド名ですが、由来が判らないものもあります。
    それは富山県エリアでの呼び方「キズバン」。
    「ライトキズバン」という商品があるものの、これと富山の直接的な関係は無し。
    『“キズに貼るばんそうこう”を略したものからきている?』 など諸説あり
    明確な理由は明らかになっていません。

    こうして呼び方を見ると「絆創膏」には地域性があり、
    日本の地域文化が透けて見る感じがして興味深いですね。

    ちなみに広島出身の笠間さんの実家では、
    「キズテープ」と何ともレアな呼び方をしていたとか(笑)
    家の中ではキズテープ、外に出るとやはり「サビオ」。
    「キズテープってなんだよ〜」とからかわれた思い出もあるそうです。

    呼び方は何にせよ、子どもの頃にどこかを擦りむいてしまい、お母さんやお父さん、
    おばあちゃんやおじいちゃんに貼ってもらった時には、
    何とも言えない安心感がありましたよね。
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  • 2024.05.26
    第32回 5月26日「扇風機」後編
    アメリカ製の扇風機が日本で初めて発売された翌年の1894年(明治27年)
    国産扇風機の第1号も世に出ました。

    家電製品がほぼ白熱電球と扇風機しか無かった当時、
    サービス精神だったのか? デモンストレーションだったのか?
    この製品には白熱電球が組み込んであって、羽根が回ると白熱電球も灯ったとか。
    初めて見た当時の人は、さぞ驚いたことでしょう。

    ここからいくつもの改良を経て、扇風機は現代の製品に発展していきます。
    大正時代になると国産扇風機の量産がスタート。
    作動音や風の音を静かにする工夫がなされて性能が向上しました。
    しかし、戦時体制に入ると軍需生産優先となって一般扇風機の製造は中止に・・・

    そんな時代を経て扇風機が普及して、広く一般家庭の暑い夏に
    涼しさと安らぎをもたらしてくれるようになったのは戦後のこと。
    1955年(昭和30年)には小型モーターが開発されてスムーズなのに力強い風量が実現し
    その5年後にはスケルトンの羽根が登場、見た目にも涼しげな扇風機が主流になります。
    1980年代になるとタイマー・首振り・ワイヤレスリモコン操作、様々な機能がつきました。

    そうして、21世紀となった今、扇風機は新たな領域に突入しています。
    これまでになかった優しい風、限りなく少ない電力消費量。
    デザインは洗練され、羽なし扇風機も登場し、部屋のオブジェのような存在に。
    これからさらに扇風機がどんな進化を遂げていくか?
    ユーザーの私達は楽しみですね。
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  • 2024.05.19
    第31回 5月19日「扇風機」前編
    扇風機には「扇」の漢字が使われていますが
    古代の日本人が涼をとるために使ったのが「扇」。

    その扇については、日本書紀に登場する神功皇后と家臣の武内宿禰が発明したとか
    天智天皇の時世に現在の京都府北部に位置した丹後国で考えられたなど
    いろいろな言い伝えがありますが、真偽のほどは定かではありません。 
    ともあれ、平安時代には檜で作った板扇や紙で作った紙扇が考案されて
    団扇や扇子が広まったと考えられています。

    人間は発見や発明を知恵や工夫を凝らして、さらに発展させるもの。
    時は流れて、江戸時代後期になると楽をしてもっと涼しくならないか?と考えたのか
    日本人は手動式の扇風機を編みだします。それが「団扇車」。

    団扇を扇風機の羽根のように複数枚、円を描くように並べて取り付け、
    それらをまとめた中央部の取っ手を回すと、よりたくさんの風が生まれる装置。
    団扇車は明治時代になって近代化が進む日本でも引き続き使われて
    1885年(明治18年)には特許第12号「納涼団扇車」として記録されています。

    そして、ほどなく訪れたのが、電気エネルギーが生活用品に使われる時代。
    エジソンが電気を利用する扇風機を開発し、
    アメリカの製品が日本で初めて発売されたのは1893年(明治26年)。
    翌年には外国の技術を導入した初の国産製品も発売されます。

    当時の家電製品は、ほぼ白熱電球と扇風機だけ。
    扇風機は家電製品の先駆けの1つだったのです。
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