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「上を向いて歩こう」という奇跡

ON AIR BLOG / 2013.06.17 update
50年前、1963年の6月、「上を向いて歩こう」が
ビル―ボードで総合1位になりました。



時代や国境を越え、今もなお愛されつづけている理由とは・・・?
そこには作詞家・永六輔さん、作曲家・中村八大さん、
歌手の坂本九さん、六・八・九と言われた、
3人だからこそ生まれた奇跡があったのです。

■まずひとつめに、
哀しみと明るさが同居している歌詞。

上を向いて歩こう、という歌そのものが
哀しみを乗り越えて、希望の兆しが見える
ひとつの物語になっています。

作詞を担当した永六輔(えい・ろくすけ)さんは
「いい湯だな」や「こんにちは、赤ちゃん」の歌詞をつくった
大人気の作詞家 兼 構成作家。

当時日本では60年安保闘争が起きていました。
永さんは、放送作家という仕事を放棄してまで、
デモに行く程活動にのめり込んでいましたが、挫折。
大きな喪失感に包まれながら帰り道を歩いていた時に、
それでも前を向いて行こうと、自然と生まれた歌詞なんだそうです。

大きな挫折を経験しても、それでも前に進もうとする、
永六輔さん自身の前向きで強い気持ちが、
優しく、シンプルな歌詞に込められているんですね。

■ふたつめに、
海外で通ずる美しさをもったメロディー。

この曲を作曲した、中村八大(なかむら・はちだい)さんは、
幼い頃から音楽留学を経験し、早稲田大学在学中から、
プロのピアニストとしての活動を開始、
さらにその後ニューヨークに渡り本場のジャズをたっぷりと吸収。

国際的音楽感覚を持ち、
当時、日本のNo.1ジャズピアニストとして大活躍していた彼だからこそ、
日本だけではなく、世界中で愛されるメロディが生み出されたんです。

■そしてみっつめに、
歌手の坂本九(さかもと・きゅう)さんの歌い方

九さんの独特の歌い声は
ロカビリー歌手が使う、「ヒーカップ唱法」と呼ばれるもので
当時流行っていた、エルヴィスプレスリーなどの影響を受けたもの。
つまり、言葉は分からなくても、海外の人にも馴染みやすい歌い方だったんです。

そこが、海外でも受け入れられる原因のひとつになったんですね。


時代も、国境も超え、
ワールドスタンダードとなった奇跡の曲の誕生の裏側には、
この3人だからこそのわけがあったんですね。

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