盛岡中央高校・陸上部の3年生が最後に臨む大会。
それが「全国高校駅伝岩手県大会」。
7人がタスキをつなぎ、42.195キロを走る。
優勝すれば、全国大会へ。4位以内に入れば、東北大会へ出場することができる。
「東北大会に出場したい」
その目標を持って大会に挑む、盛岡中央高校・陸上部を追った。 |
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【取材1日目】
2011年10月28日(水)。
天気はまばらな雨。大会をあさってに控えたこの日。盛岡中央高校・陸上部の選手はグランドではなく中庭のような小さなコートで練習を行っていた。3年生はたったの3人。その3人は最後の大会に、メンバーとして走る予定だ。軽いジョックを行った後、2人1組でマッサージを入念に行う。「体調管理には気をつけろよ」という監督の言葉で、この日の練習は締めくくられた。 |
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【取材2日目】
2011年10月29日(木)。
大会前日。岩手県の県営グラウンドで練習を行う。集合は朝8時。全員でトラックを走り、ジョギングとダッシュを交互に繰り返す。そんな中、ある選手がみんなに全くついていけず、監督から容赦ない怒号が浴びせられていた。その選手とは3年生の山本君。後から分かったのだが、実はこの日、山本君は体調を崩していた。監督はここでチームのために非情な決断をしなければならなかった。その決断とは.... |
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「駅伝は個人競技じゃない。絆をタスキにつないでいく競技だから、(山本君を) 出場させられない。3年生はフォローしてやれ」
最後の大会であるにも関わらず、山本君は1年生と交替。バックアップに回ることとなった。悔しさからか山本君が涙を流す。しかし、これを境に、部員たちに変化が現れた。 |
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「もう一度走らせてやりたい」
「3年生のためにがんばりたい」
様々な苦難を共に乗り越えてきた仲間が、目標の4位以内を固く心に誓う。
ーみんなともう一度、走りたい。 |
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【取材3日目】
2011年10月30日(金)。
大会当日。1区を走るのは、チームのエースでありキャプテンの工藤君。1区は10キロの最長コース。工藤君は1年生の時に、この区間で4位。「1位か2位でつなぐ」と意気込んでスタート位置についた。そして大会の幕があがる。勢いよくスタート。 |
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工藤君は前半、3位につける。しかし、いつもと様子がおかしい。徐々にペースダウン。息を荒げ、2区にタスキをつないだ。工藤君の順位は、7位。彼にとって3年間の集大成。それが最も遅いタイムでのゴールとなってしまった。
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だが、ここから1、2年生が奮闘を見せる。彼らは、決して諦めなかった。徐々に順位を上げる。そして4区で5位につけた。あと一つ。4位になれば、東北大会に進める。しかし、4位と5区の時点で2分以上の差があった。距離にして800メートルほど。厳しい状況に変わりはない。
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そしてアンカーが待つ最後の中継所。その手前で、盛岡中央高校が、ついに順位を4位に上げた。そしてアンカーにタスキをつなぐ。5位とはたったの10秒差。勝負の行方は、まさに3年生のアンカーに託された。 |
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ゴール地点では、1区を走った3年生の工藤君、レースをバックアップとして見守った3年生の山本君、マネージャー、そして走り終えた選手全員が待ち構えていた。両手を組み、全員が祈る。 |
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その時、4位の選手が入ってくるのが見えた。その姿が見えた瞬間、3年生の山本君が泣き出した。
盛岡中央高校は、見事、4位でゴールテープを切る。 |
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駆け寄って号泣する部員たち。
マネージャーも涙が止まらない。
監督の目からも涙がこぼれた。
そして、キャプテンの工藤君は、みんなから背を向けて泣いた。それを見た3年生2人が、歩み寄る。そして肩を組み、3人が泣いた。 |
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【大会を終えて】
彼らは自分のために走ったのではない。
それぞれがみんなのために戦った。
もう一度、この仲間と走るために。
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全員が泣く涙には、きっと、大きな意味がある。
それは、素晴らしいチームであることの証明。
そして、チームが一つになった証。
ーみんなともう一度、走りたい。 |
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東北大会。
最後の舞台で3年生の3人が、駆け抜ける。 |
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