【取材1日目】
2011年9月30日(土)。この日、北海道札幌西高等学校・山岳部に所属する2年生、佐藤嘉晃君に会った。 |
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「次の大会で大好きなクライミングを辞めようと思います」
彼がいう次の大会とは、秋に行われる山口国体のことだ。彼は2年連続で国体への出場をすでに決めていた。北海道で指折りの実力があるにも関わらず、なぜ2年生で、そしてこのタイミングでクライミングをやめてしまうのか? |
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学校を出た後、佐藤君は自宅から1時間ほどかけた場所にあるクライミングジムに向かった。彼がこの場所でクライミングを始めたのは小学校4年生の時。それから、週5でジムへと通い、これまでに数多くの賞を手にしてきた。彼にとって、この11年間はクライミングとともに歩んできたともいえる。練習を終えた佐藤君に、クライミングを辞める理由を聞く。
「医学部に入るためにクライミングを辞めて、勉強に専念します」
佐藤君の父は歯医者であり、尊敬をしているという。その父を超えたい。それが大好きなクライミングを辞めてでも叶えたい、新しい夢だった。 |
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【取材2日目】
2011年10月1日(土)。この日、第66回国民体育大会・山口国体の開会式が行われた。 |
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選手団の入場。最初に現れたのは北海道チーム。その先頭に立っていたのは、あの佐藤君だった。大きな旗をその両手に持ち、旗手として北海道チームを率いる。開会式後の佐藤君の表情からは、どこか緊張感のようなものを感じた。翌日から本番が、始まる。 |
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【取材3日目】
2011年10月2日(日)。山岳競技の初日。この日の種目は、「リード競技」。リード競技とは簡単に説明すると、どこまで登れたのかを競う競技だ。 |
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選手たちは朝早くから、会場入りした。競技が始まる。他県の代表選手が、次々と高い壁に挑んで行く。そしてようやく北海道代表、佐藤君の出番がやってきた。 |
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目標は決勝進出の8位以内。滑り止めの粉を手につけ、登り始める。 |
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前の選手が超えられなかった地点を軽々と越えていった。順調に登っているように見えた。一つでも高く、一歩でも先へ...。しかし突然、佐藤君の体が壁から大きく、離れた。
落下。
ゆっくりと着地する。そして下から壁を見上げる。少しの間、佐藤君はそこから動かなかった。 |
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リード競技は8位までしか決勝に残ることができない。佐藤君の結果は13位。決勝進出という目標を達成することはできなかった。 |
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【取材4日目】
2011年10月3日(月)。この日はボルダリングという種目が行われる。ボルダリングとは制限時間内であれば何度でもゴールを目指せる競技。リード競技と違うのは、コースがいくつも用意されている点だ。 |
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北海道チームが現れる。目標は決勝進出の条件である8位以内。手に滑り止めの粉をつけ、スタート地点へ。そして、開始を告げるブザーが会場に鳴り響いた。 |
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ゴールへたどり着けない選手が多い中、4つのコースのうち2つのゴールを佐藤君は掴んだ。 |
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しかし、残り2つのゴールになかなか届かない。そして終了をつげるブザーが鳴った。佐藤君は、悔しそうに引き上げる。
そして、全ての選手が競技を終える。ボルダリング競技の順位が貼り出された。予選突破するための条件は、8位以内。
佐藤君の順位は、9位だった。 |
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競技を終えて
「これが今の自分の実力です。後悔はありません」
晴れやかな表情とは言えない。言葉とは裏腹に、悔しさが見て取れる。無理もない。小学校4年生から始めたクライミング。その最後に臨んだ大舞台で、結果を出すことができなかった。 |
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「医学部に入るのも、クライミングと同じくらい大きな夢なんで、今度は、勉強する番かなと思います」
ここから佐藤君の新たな夢が始まる。その夢も、けっして低いハードルではない。クライミングと同じくらい高い壁に、また1人、立ち向かう。
一つでも高く。
一歩でも先へ。
あの11年は、必ず大きな糧となる。
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