東日本大震災から10年。10年間で出会った東北の生徒の“今”を聴いていきました

生放送教室 2021.3.11 木曜日

SOL!

今夜の授業を職員のいとかんが振り返り!


今夜のSCHOOL OF LCOK! 授業テーマは「この10年間で出会った東北の生徒の“今”」
今日で東日本大震災から10年。
今夜は、この10年でSCHOOL OF LOCK!が出会ってきた東北の生徒が『今、どこで、何をしているのか。』『今、どんなことを考えているのか。』時間の限り、聞かせてもらいました。

2011年3月21日に電話を繋いだ【宮城県 15歳 ラジオネーム みどりさん】は現在、地元宮城でホテルのフロントマンとして働いている。
3月11日は「家族と過ごしたい」と思い、毎年職場に休み届けを出して、過ごしているという。今日は、午後2時46分のサイレンを聞いて泣いてしまったと話してくれた。

2011年4月7日に電話を繋いだ【宮城県 16歳 ラジオネーム あしべ】は現在、東京で看護師として働いている。
看護師を志した理由は、10年前地震が起きた時、看護師の方が自分に覆いかぶさって守ってくれたから。10年前の経験が今にも繋がっていると話してくれた。

2012年3月3日に「もうひとつの卒業式」で会いに行った【福島県 17歳 桑折奈々恵さん】は現在27歳。
来月に同棲をしている彼氏と結婚をすると発表。当時高校3年生だった生徒が結婚するという嬉しい報告をしてくれた!

2011年5月11日に電話を繋いだ【宮城県 16歳 ラジオネーム 露阿】は現在、被災した地元の土地などを取り扱っている住宅メーカーに転職。
津波で更地になってしまったところに家を建てるなど、地元に貢献できる仕事をしていると話してくれた。

2018年3月11日に当時のとーやま校長・あしざわ教頭が会いに行った【宮城県 17歳 ラジオネーム ふなを】は現在20歳。
地元である南三陸には毎年、お盆とお彼岸の時に帰り、商店街で買い物をしていたりすると話してくれた。

2014年3月11日に電話を繋いだ【岩手県 18歳 ラジオネーム エゴイスト】は現在25歳。今日は岩手県の慰霊祭に招かれ陸前高田市の代表でスピーチをしたという。
以前出演した際の歌の音源なども聞きながら、過去から今、そして未来までを見ていった。

10年は区切りではなく、通過点。今夜の授業を通して震災を今、そして未来へと繋いでいきましょう。今夜の授業はradikoのタイムフリーで聴き直すことができます!みんなぜひ再出席してみてね!

この後記の放送を聴く

聴取期限 2021年3月18日(木)PM 10:00 まで

東日本大震災から10年。10年間で出会った東北の生徒の“今”を聴いていきました


『SCHOOL OF LOCK!×高橋優 もうひとつの卒業式 〜福島県 南相馬〜』

さかた校長「今聴いてもらったのは、東日本震災から1年後の春。福島県南相馬市にある、原町高校の生徒たちが自主的に行った卒業式に、SCHOOL OF LOCK!が参加させてもらった日の音声です」

こもり教頭「当時のとーやま校長、やしろ教頭が、高橋優先生と一緒に、卒業生をお祝いさせてもらいました」

さかた校長「あの日、とーやま校長が書いた黒板 『君が未来』
これはもちろん、その場にいた原町高校の生徒みんなへの言葉であり、当時SCHOOL OF LOCK!に通ってくれていた全ての生徒への言葉でした」

さかた校長「SCHOOL OF LOCK!は2005年に開校した、ラジオの中の学校です。オレが3代目の校長で」

こもり教頭「僕は4代目の教頭」

さかた校長「2011年、震災が起きた時は、とーやま2代目校長、やしろ初代教頭でした。あれから、SCHOOL OF LOCK!は10年間、東北に住んでいる生徒と、たくさん出会って、たくさんの生徒と話をしてきました。

『 君が未来 』

東日本大震災から今日で10年。あの日の君は未来になりました」

SCHOOL OF LOCK!


こもり教頭「10歳だった君は20歳に。15歳だった君は25歳に」

さかた校長「あの日出会った君が、どこで何をしているのか」

こもり教頭「あれから、どんなことを考えたのか」

さかた校長「どんな人と出会って」

こもり教頭「今は何を思っているのか」

SCHOOL OF LOCK!


さかた校長「今夜は、SCHOOL OF LOCK!が、この10年間で出会った東北の生徒の“今”を時間の限り、聞かせてもらいます

そして今回は、やしろ元教頭、とーやま元校長も当時のことを思い出しながらコメントを寄せてくれました。

さかた校長「SCHOOL OF LOCK!がこの10年間で出会った東北の生徒。
まずは、当時、宮城県 15歳 ラジオネーム みどりさん、2011年3月21日




当時は避難所になっていた小学校の体育館のトイレからの電話。1週間ほど電気も繋がらなかった中、一昨日から電気が通じて、ケータイも充電し、掲示板も見て、すごく勇気をもらったそう。明るい声で話してくれていました。

<⇒2011年3月21日の放送後記は【こちら】




みどりさん 宮城県 25歳 女性

さかた校長「10年ぶりだね」

みどりさん「はい、お久しぶりです」

さかた校長「前に話をしたのが震災の10日後で、あの時は体育館のトイレで話してもらったんだもんね?」

みどりさん「そうですね。2週間ぐらいはお風呂に入れずって感じだったんですけど、その間、避難所で過ごしておりました」

さかた校長「当時の声も明るいってとーやま校長も言ってたけど、今も変わらずめちゃくちゃ明るい、いい声」

みどりさん「ありがとうございます(笑)」

こもり教頭「今はどこに住んでるの?」

みどりさん「被災した時と同じ地元に住んでおります」

さかた校長「仕事は何しているのかな?」

みどりさん「ホテルのフロントをしてるんですけど、震災があってから地元愛がより強くなったので、職場も地元のホテルで就職しております」

さかた校長「今日はどんなことをして過ごしてたのかな?」

みどりさん「兄も父も仕事してるんですが、今日は家族4人みんなで休みを取りまして、家族で過ごす時間を作りました。で、2時46分になると街でサイレンがな鳴って、黙祷をするんですが、そのサイレンを聞いた時に、当時のことを思い出して、ちょっと泣いちゃいました(笑)」


<生徒たち集まってくる>

さかた校長「みどりさん、10年ぶりだけど、挨拶、一緒に出来たりするかな?」

みどりさん「いいんですか?」

さかた校長「いこうよ!」

こもり教頭「いこう!」

SCHOOL OF LOCK!


みどりさん「ありがとうございます」

こもり教頭「SCHOOL OF LOCK! 本日も開校です! …起立! 礼!」

さかた校長・こもり教頭・みどりさん「叫べ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」


♪ フラッグ / BUMP OF CHICKEN


さかた校長「震災のあと、SCHOOL OF LOCK!が初めてオンエアした曲です。みんなに見つけてもらえるように、ラジオの中に立てた旗」


さかた校長「続いて…当時、宮城県 16歳 ラジオネーム あしべ。2011年4月7日
震災から大体1ヶ月経った頃。季節は春になって、少しずつ暖かくなってきた頃でした」




RN あしべの家は屋根が壊れてしまったけれど、家族は全員無事でライフラインも復旧。この電話の翌日、地震で会えなかった友達と1ヶ月ぶりに会うことになった喜びの声を聞かせてくれている中、大きめの余震が。

とーやま元校長もその時のことははっきりと覚えていて、当初は電車が走っている音かと思ったそう。日本は地震は必ず起きるから、事前の対策は出来ることはいくらでもしておこうと10代のみんなには伝えたい。そして、あしべがどうなっているか気にかけていました。

<⇒2011年4月7日の放送後記は【こちら】




あしべ 東京都 26歳 女性

あしべ「初めまして」

さかた校長「初めまして。でも、SCHOOL OF LOCK!では10年振りだね」

あしべ「そうですね。お久しぶりです」

さかた校長「あの日、電話の最中に地震が起きちゃって。あの時はあしべも家族も大丈夫だったのかな?」

あしべ「無事でした」

さかた校長「今はどこに住んでるの?」

あしべ「東京です」

こもり教頭「仕事は何をしてるの?」

あしべ「看護師になりました」

さかた校長「看護師さん。今また医療従事者の方は大変だもんね」

あしべ「はい。そうですね」

こもり教頭「本当にありがとう」

SCHOOL OF LOCK!


さかた校長「看護師になった理由はあるの?」

あしべ「10年前の3月11日に献血をしていて、地震が起きた時に看護師さんが自分の身を守ってくれたのがきっかけになってます」

こもり教頭「それは当時、どんな形で守ってくれたのかな?」

あしべ「私の上にかぶさってくれて、周りのものがぶつからないようにしてくれました」

さかた校長「すごいね!」

あしべ「はい、本当に。その時は助けてもらいました」

さかた校長「そして今、意思を継いでってわけじゃないけど、看護師になったんだもんな」

あしべ「はい」

さかた校長「その助けてくれた看護師さんは、それっきりなのかな?」

あしべ「はい。それ以降、会う機会がなかったので、会えてないですね」

さかた校長「いつか会えたらいいね」

あしべ「そうですね。お礼が言いたいです」


♪ こんにちは またあした / コトリンゴ



さかた校長「今日は冒頭で、SCHOOL OF LOCK!が福島に行った時の音を聴いてもらいました」

こもり教頭「2012年3月3日、地震から1年後の春。
南相馬市にある原町高校、通称・原高の生徒たちが自主的に行ったSCHOOL OF LOCK!が参加させてもらった日の音声でした」

さかた校長「この地区は海まで車で10分くらい。地震や津波の被害を受けた生徒もたくさんいたし、原発の20キロ圏内に家があった人たちもいて。震災後は引き続き、原高に通った生徒、近くの相馬高校で授業を受けた生徒、いろんな街に引っ越していった生徒、当時の原高3年生は高校最後の1年間を離れ離れで過ごすことになってしまい、卒業式は原高に残った生徒だけで行われたんだけど、それでは嫌だと。そこで、原町高校の3年生たちが震災で離れ離れになってしまった同級生を集めて、もう1つの卒業式を行うことになって、そこにSCHOOL OF LOCK!と高橋優先生が参加させてもらいました」

こもり教頭「ちなみに、当時のSCHOOL OF LOCK!はとーやま校長とやしろ教頭」

さかた校長「どんな卒業式だったのか、聞いてみようか」




とーやま元校長とやしろ元教頭は、卒業式当日のことを振り返って、「集まったのは約半分だけど、よく半分集まった。来たくても来れない生徒もいた中で行われたけど、来れなかった生徒が今、1人でも多く聴いていて欲しいな」と話します。

当時、このもう1つの卒業式に千葉から参加した元2年1組のヤマグチキミエさん。違う土地にいることで連絡を取りづらく、10月に学校が再開した時も戻れなかったので、「こうしてみんなに会えたことを嬉しく思う」と語ってくれました。

そして高橋優先生は、生徒たちへのエールを込めて、「現実という名の怪物と戦う者たち」「卒業」「8月6日」「想いよ、届け」含め、6曲を生演奏で歌い上げてくれました。

<⇒SCHOOL OF LOCK!×高橋優 『もうひとつの卒業式』〜福島県 南相馬〜





♪ 卒業(生演奏) / 高橋優



さかた校長「当時は家にも帰れてないって人もいて、バイバイも言えずに別れてしまった友達もいて。そして、この日、答辞を読んだ生徒がいます。桑折奈々恵さん




桑折奈々恵さんの答辞は、不安が大きかった入学式から、様々な行事や日常の些細な事や部活動、それぞれの先生との思い出、震災が起き学校が再開された後、2年生の頃を思い出し、またみんなに会いたい気持ちから、この『もう1つの卒業式』をやるきっかけ、そして、今日“久しぶりだね”と笑い合っている姿を見て幸せを感じたこと、そして、とーやま校長、やしろ教頭、高橋優先生、SCHOOL OF LOCK!他、協力した方への感謝を綴ってくれていました。

<⇒SCHOOL OF LOCK!×高橋優 『もうひとつの卒業式』〜福島県 南相馬〜




桑折奈々恵 東京都 27歳 女性

さかた校長「今はどこに住んでるの?」

桑折奈々恵「東京にいて、働いています。今、一緒に住んでる彼がいて、今年中に籍を入れようかって話があったりするので」

さかた校長・こもり教頭「おめでとう!」

桑折奈々恵「ありがとうございます(笑)」

さかた校長「すごく嬉しい報告だなぁ。この答辞の時は18歳だけど、もう立派な素敵な女性だからね」

桑折奈々恵「(笑)」

さかた校長「素敵な人と出会って良かった」

桑折奈々恵「はい、本当に」

さかた校長「時が経ってることを感じたけど、今、想うことってあるかな?」

桑折奈々恵「先日、福島県沖のちょっと大きな地震があった時に、一緒に住んでる彼に後で“涙目になってたよ”って言われて、地震ってものに自分では慣れたつもりでいたんですけど、どこか無意識に怖いというか、やっぱり忘れてないんだなってのはあります。ただ、自分の中では、3月11日はなるべく普通に過ごそうって気持ちではあります」

さかた校長「10年前の答辞から時間が経って、すごく愛してる人と一緒にいられて、素敵な幸せな報告を聞けたのが嬉しかったな」

桑折奈々恵「はい(笑)」

さかた校長「何度も言うけど、おめでとう」

こもり教頭「おめでとう」

桑折奈々恵「ありがとうございます」

さかた校長「話、聞かせてくれて、ありがとう!」


♪ 産まれた理由 / 高橋優


さかた校長「俺たちは初めましてなんだけど、“SCHOOL OF LOCK!だと久しぶりだね”って言って、俺たちも“久しぶりだね”って感じがして」

こもり教頭「そうですね」

さかた校長「奈々恵ちゃんの素敵な報告もすごく嬉しいんだよね。話せて良かったなと思ったなぁ」

こもり教頭「その中でも、自分よがりな気持ちになっちゃうかもしれないけど、話させてもらって、本当にありがとうって」

さかた校長「そうだね」

SCHOOL OF LOCK!



♪ 春風(Alternative) / くるり



■ あれから10年
私は当時中学校2年生でした。
当時は電気も水道も止まってて、ずっとボーッとしている状態。
これからどうなるんだろうなとか思いながら、唯一ラジオだけ聴いていました。
その中で、SCHOOL OF LOCK!を聴いて、当時の校長、教頭の声を聴いて安心して眠りについていました。

そんな当時の自分は想像もしていなかったでしょう。
今の私は再受験のために会社を辞めて勉強し、医者を目指すことに。
キンマルカタツムリ
男性/24歳/宮城県


3.11
正直、ここに書き込むか悩んだ。
私は当時2歳で全く記憶が無い。
だから「大変だったね」とか「頑張れ」とか、言う資格がない気がする。
言ったら口先だけになっしまう気がする。
ネット記事や新聞に載っている内容はできるだけ読んでいるけど。

学校で黙祷してその後もぼーっと考えてた。
辛かっただろうな。私には想像できないくらいやばかっだろうな。

絶対風化だけはさせない。

今回みたいな授業テーマにすることで後世にも伝えられるんじゃないかな。
みーこあ
女性/12歳/長野県
2021-03-11 16:38


わすれない
 今日の掲示板は読んでるとつらくて泣きそうになる。でも、見ないと。忘れてはいけないこと。

 10年前、まだ小さかったし記憶もはっきりしてない、私の住んでる所はあまり被害は大きくなかったのに、昨日のことのように感じます。

 毎日、1分、1秒大切に過ごしたい。 
エディキュール
女性/14歳/山形県
2021-03-11 18:56


10年前
私は地震も津波も経験してない、
遠く離れた南の地から今私ができることってなんだろうって考えることしかできなくて悔しい
あやばあ
女性/18歳/鹿児島県
2021-03-11 17:54


すごいな
すごい! 看護師さんの行動力がすごい
それを受け継いでるのもすごい
ひまわりイエロー
女性/15歳/大阪府
2021-03-11 22:27


地震
怖い。ただひたすらに怖いと思います。
何年も前から作り上げたものが、一瞬で崩れてしまう。
今まで大切にしていたものが消えてしまうのが一番怖い。
でも、今流れているもう1つの卒業式の音声を聞いて、
それから立ち直れる人の気持ちの強さが
すごいと思う
はるペン
男性/14歳/滋賀県
2021-03-11 22:43


もうひとつの卒業式
高校最後の1年を残してバラバラになってしまった生徒さん達。今の自分がもしその立場だったらと考えると、やっていけないと思います。だけど、当時の生徒さんには選択の余地はなく、ただ生きることが最優先。生きていればまた会えるかもしれない、そう信じて進み続けるしかないって、、ものすごく大変で辛いことだと思います。その壁を乗り越えた生徒さん達は本当に強くてすごいと思います。
腐ったパンダのカップケーキ
女性/18歳/愛知県
2021-03-11 22:47


あたりまえ
あたりまえって、あたりまえじゃない。
それは、わかってる。わかっていても、いつか思い知らされる日が自分にも来るのだと思う。
上から物を言うような感じになってしまって嫌だけど、10年前の今日が東北の方々にとってはそんな日だったんじゃないかなって思う。
あたりまえって何だろう、ほんとに。

色々言いたいことはある、けど1番言いたいのは
忘れちゃいけないってこと。
伝えていかないといけないってこと。

それは、10年前の今日実際あったことだから、
実際にあって、多くの方々が2度と戻ってこない沢山のものを失ってしまって、でも、きっとそれと同時に何かが生まれて、今もその何かを抱えて生き続けているから。だから忘れちゃいけない。
伝えないといけない。俺はそう考える。
そう考えて、日々に感謝して俺は生きていく。
Mr.アイデンティティ
男性/17歳/長崎県
2021-03-11 22:49



♪ 生きてくことは / 音速ライン


さかた校長「今夜は、この10年で SCHOOL OF LOCK!が出会ってきた東北の生徒が、 今、どこで、何をしているのか。今、どんなことを考えているのか。 話を聞かせてもらっています。
続いて、2011年5月11日、当時、宮城県気仙沼市の16歳女の子RN 露阿からのメール『幼稚園からのクラスメイトが発見されたと朝のホームルームで報告を受け、1人減ったクラスの様子』」




当時の逆電で、「震災時はクラス会の後でみんなは校舎の近くにいたが、体が弱かったその子は体調不良で午前授業終わりに海沿いの家に帰っていて、避難所に行ったが、そこもやられて行方不明に。やっと見つかったのが昨日。明日も会って話せるような気がするが、その子の机には花が飾ってあり、もう話したり、笑ったり悲しんでる顔を見られない悔やむことが多い。同じ被災者だけど、これまで他人事だと思っていたのが考えが甘かったことを実感した」と話してくれました。

<⇒2011年5月11日の放送後記は【こちら】




露阿 岩手県 26歳 女性

露阿「お久しぶりです」

さかた校長「お久しぶり。当時、露阿は気仙沼だもんね」

露阿「はい。気仙沼市で高校生でした」

さかた校長「今はどこにいるのかな?」

露阿「隣の岩手県の盛岡市でお仕事させていただいております」

こもり教頭「どんなお仕事をされてるのかな?」

SCHOOL OF LOCK!


露阿「住宅メーカーで宮城の気仙沼だったり、自分たちで土地を開発して、お家を建てさせてもらっております」

さかた校長「今の仕事を選んだ理由ってあるの?」

露阿「当時、気仙沼でたくさんお家が流された地域に住んでいたので、プライベートな空間がある大事さを痛感したので、お家に関わる仕事をしたいなってずっと思ってたんですけど、当時は商業系の学校だったので、そういう仕事をしてたんですけど、やっぱり自分が対物の仕事は違うなってところから、直接話をしながら理想のお家を造るってことを目指して、ハウスメーカーに就かせていただきました」

こもり教頭「じゃ、転職した形になるのかな?」

露阿「そうですね」

さかた校長「前に話をさせてもらった時に、友達の話をしてくれたんだけど、その友達の話も聞いていいかな?」

露阿「大丈夫です。何でも聞いてください。
今日は10年目ってことでもあるんですが、節目はもちろん思い出すきっかけとして大事なことはわかってるんですが、別にこの日が特別なわけじゃなくて、常にふとしたタイミングで思い出すことだったりとか、3月11日だから何ってわけでもなくて、連絡が取れないってことはあるんですけど、いち友達として他の友達と同じように思い出しますし、今日が特別ってわけでもなくて、その子自身も特別ってわけでもなくて、“あの子、あの時、自分勝手過ぎない?(笑)”とか“ムカついたよね〜”みたいな悪口っぽい言い方になっちゃうんですけど(笑) 
他の友達と変わらず思い出す事もあります。でも、その時の話を一緒に出来ないのは悔やまれるなって、いつ思い出しても思いますね」


♪ あいたい / RADWIMPS


さかた校長「続いては、当時、宮城県 17歳 ラジオネーム ふなを
ふなをは宮城県の海辺の町、南三陸町出身。 住んでいた家とおばあちゃんを津波に奪われました。それから長い間、ふなをはもともと家があった場所には一度も行ってなくて… でも、2018年。震災から7年が経った時“家があった場所を、一度見てみたい” そんなふなをに、当時のSCHOOL OF LOCK!は、とーやま校長あしざわ教頭が会いに行きました」

SCHOOL OF LOCK!





ふなをが「ここら辺」と言った、小学校4年生頃まで住んでいた場所は工事中。多くのショベルカーやダンプカーなど重機の音が鳴っていて「新しい道路を作っている」場所だった。それを見て、ふなをは「また、この街に住みたい。大人になったら戻りたい。見られて最高ですね。街は変わっていってるけど、新しい街は確実に作られているので楽しみなのもあるし、また住めるとなった時を想像したらいい街になってたし、最高だなと」と話してくれました。

とーやま校長はそんなふなをを「東北の人といろいろ話すけど、こんなに前向きな言葉は初めてかも。史上最強ぐらい。ふなをパワーがあるんじゃない、あるよね!」と評し、「ちょっとそう感じている」と語った、ふなを。

<⇒2018年3月12日の放送後記は【こちら】




ふなを 宮城県 20歳 男性

さかた校長「久しぶり!」

ふなを「久しぶりです!」

さかた校長「今はどこに住んでるのかな?」

ふなを「今は宮城県の仙台市に住んでます」

さかた校長「最近は南三陸に行くことはあるの?」

ふなを「お盆とかお彼岸の時に、おばあちゃんのお墓参りを兼ねて、南三陸に行ってます。海の幸が新鮮なので、その時に商店街で買って、家に帰って食べたりしています」

さかた校長「今日はどんなことを考えてたかな?」

ふなを「今日は震災があった日で、自分にとってはおばあちゃんを亡くした日でもあるので、震災を思い出して。結構お母さんとお酒飲む機会が多くて、3月11日おばあちゃんは何をしてたんだろうなとか、地震が来て津波が来るまでどういう行動してたんだろうなって話をしてたりしてて。3月11日はおばあちゃんを思い出す日として迎えていますね」


♪ ラブソング / My Hair is Bad


さかた校長「続いて…当時、岩手県 18歳 ラジオネーム エゴイスト。2014年3月11日




とーやま校長が、エゴイストのメール「家も親も失い、残されたのは自分の命と兄弟だけ」を紹介。1年前の出演時のことに触れつつ、3年目のこの日は親のことを考えていたとのこと。

震災当日、親との最後の会話は「行ってきます」だったが、それが死別の意味になってしまって、今さら感謝してることに気づいても「ありがとう」も言えずに別れたことに後悔しているということ、そして、「家族、友達、恋人…日頃、隣にいてくれる大切な人たちに、どの“ありがとう”が最後になってもいいように、日頃からいっぱい“ありがとう”を言ってもらいたい」と語ってくれました。

<⇒2014年3月11日の放送後記は【こちら】




さかた校長「今は2014年の声、SCHOOL OF LOCK!とエゴイストの出会いは2011年でした」

2011年のことをやしろ元教頭が語りました。




やしろ元教頭「たくさんの生徒が被害に遭って、苦しい悲しい不安な思いをしている中でスタッフでいろいろ話をして、“実は言えないけどゲームがしたい”とか“可愛い服が欲しい”って声を聞いて、僕らに出来ることは繋がりのある生徒が欲しいものを買って届けることなのかなと、時間を合わせては車で行っていた。その中でエゴイストに会ったけど、話は出来ず“やれることなんてないのかな”と思ったが、会いに行きたかった。

青森も岩手も行って、そして宮城は僕はおじいちゃんの生まれ育ちが石巻なので(近い宮城には)行っていた。福島に行って何度もBBQすると好きなお店が出来たりとか、東北全体が身近になった気がする。それはあってくれたたくさんの生徒がいたから。

福島に行く時に“危ないんじゃないの?”って言う人もいたけど、ラジオを通して会いたい人がいる。聴いているみんなも会いたい家族や親しい友達がいたら、もし危険でも行くと思う。

もしかしたら、これを聴いてもピンと来てない人もいるはず。でも、それは悪いことじゃない。伝えられるのは“何が起こるかわからないよ”“好きな人には好きとたくさん伝えて”ぐらいかもしれない。何かを感じた人はそれが何かわからなくても感じたことがわかればいいと思う」




さかた校長「やしろ元教頭がエゴイストに出会った2年後の2013年。 SCHOOL OF LOCK!はもう一度、エゴイストに会いに行きました。
当時は、とーやま校長、よしだ教頭。場所は、エゴイストの地元、陸前高田市。
ちなみにこの日は、エゴイストの他にエゴイストの同級生と、そのお兄ちゃんも来てくれたらしい」

こもり教頭「全員で4人、来てくれたんですよね。みんな、ちゃんとラジオネームもあって、エゴイストLittle×Braverヒタスラニsmile内緒の友達

さかた校長「エゴイスト、Little×Braver、ヒタスラニsmileの3人は、地元の幼なじみ。エゴイストは野球部で、Little×Braverは2つのバンドを掛け持ちしてて、ヒタスラニsmileは、耳コピでピアノが弾けちゃうっていう特技があって」

こもり教頭「いい3人」

SCHOOL OF LOCK!


さかた校長「3人の共通点は、BUMP OF CHICKEN先生が好きなこと」

こもり教頭「ラジオネームでもわかりますよね」

さかた校長「3人は中学生の時、 よく、授業の空き時間に音楽室に行って、 BUMP OF CHICKENの歌を歌ってたらしくて。 ヒタスラニsmileがピアノを弾いて、エゴイストがそれに乗せて歌う。で、SCHOOL OF LOCK!がエゴイストたちに会いに行った時、 集まった場所にたまたまピアノがあったらしくて」

こもり教頭「そんなことあります?」

さかた校長「で、歌を聴かせてもらったんだよなぁ」

<⇒その時の放送後記は【こちら】


♪ ゼロ(生演奏) / RN:エゴイスト&ヒタスラニsmile


エゴイスト 宮城県 25歳 男性

さかた校長「久しぶり!」

エゴイスト「お久しぶりです」

さかた校長「歌、上手過ぎるよ!」

SCHOOL OF LOCK!


こもり教頭「(笑)」

エゴイスト「恥ずかしいですよ。なんであの時、歌ったんだろうって(笑)」

さかた校長「しょうがないよね、たまたまピアノがあったんだもんね」

エゴイスト「(笑) 歌うしかなかったですね」

さかた校長「最近も歌ったりしてるの?」

エゴイスト「コロナもあったりしたんで、カラオケも行けてなくて、歌うことがないですね」

さかた校長「今はどこで何を?」

エゴイスト「岩手県盛岡市に住んでいて、障害のあるアーティストたちと一緒に企画や商品を作る仕事をしてます」

さかた校長「今日はどんなことをしてたんだろう?」

エゴイスト「身バレしてしまうかもしれないんですが、岩手県の合同慰霊祭の遺族代表として言葉を述べる機会をいただいたので、そこで述べさせていただきました。緊張してお腹が痛くて大丈夫かなって自分でも心配でしたけど、何とか責務を果たしたのかなと(笑)」

さかた校長「どんなスピーチをしたか教えてもらってもいい?」

エゴイスト「はい。スピーチは2〜3分と長く話させていただいたんですけど。震災から今日で10年が経って、僕は震災で両親と祖母が亡くなっているんですけど、辛い経験でしたし、この経験は他の人にして欲しくないって気持ちが強くあった中で、僕は失ったからこそ、家族や友達、そして周囲の人たちに対して、その友達がいなくなるとか、もしくは自分も死んでしまう可能性があるってことは全員に言えることだと思うので、しっかり感謝を伝えることは出来るんじゃないかなってスピーチでお伝えさせていただきました」



今日の黒板


SCHOOL OF LOCK!

SOL!


『これからも』

さかた校長「10年が経ちました。あの時福島県の高校3年生だった生徒が結婚したり、宮城県の看護師さんに助けてもらった生徒が看護師になったり。ずっと忘れられなかったり、何も変わっていなかったり、いまだに言葉にならなかったり。区切りや節目なんかどこにもなくて、これからも11年12年20年30年、何を大事にしなきゃいけないのか、どんな未来を生きたいか。東日本大震災から今日で10年が経ちました」


♪ 13歳の夜 / プッシュプルポット


さかた校長「SCHOOL OF LOCK!そろそろ下校の時間です!」

こもり教頭「黒板のように、区切りとか節目とかじゃなくて、まだまだここから先、明日も来るし、11年目も12年目もきっと来るから、今日感じたことが自分の中での答えになるように考え続けていきたいなと思います」

さかた校長「本当に“ありがとう”は絶対に伝えたいなと思いました。本当にありがとう!」

こもり教頭「行きましょうか! 起立!」

こもり教頭「礼!」

さかた校長・こもり教頭「また明日〜〜〜〜〜!!!!」



さかた校長の放送後記

今日も君と話せた。 この場所をずっと守り続けたいと思った。


こもり教頭の放送後記

今から未来へ。 自分の感じたことを。

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聴取期限 2021年3月18日(木)PM 10:00 まで

Music 2021.3.11 PLAYLIST


LINE MUSIC

震災から10年「看護師に」「籍を入れようと」 あの日出会った東北の10代は、今

ラジオの中の学校、TOKYO FM「SCHOOL OF LOCK!」。3月11日(木)は、『この10年間で出会った東北の生徒の“今”』をテーマにお届けしました。東日本大震災から10年が経ちましたが、あの日以降、電話をつないだり直接会いに行った東北のリスナーは、今、どこで何をしているのでしょうか。番組では保存されている当時の音声を紹介し、パーソナリティのさかた校長とこもり教頭が、電話でそのリスナーの“今”を聞いていきました。

Students 今日の生徒

宮城県 25歳 女の子 みどりさん
東京都 26歳 女の子 あしべ
東京都 27歳 女の子 桑折奈々恵
岩手県 26歳 女の子 露阿
宮城県 20歳 男の子 ふなを
宮城県 25歳 男の子 エゴイスト

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聴取期限 2021年3月18日(木)PM 09:59 まで

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