2008ライヴ!

update : 2008.4.1
2008.1.10〜2.13 ホームシック衛星

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現在、アリーナツアー『ホームシップ衛星』で全国をまわり始めているBUMP OF CHICKEN。これから7月の沖縄まで、各会場1万人を超える多くのお客さんと一緒に最高のライブをつくりあげてくれることでしょう。この『ホームシップ衛星』に先立って、2008年の年初からおこなわれたのが、全国のライブハウスをまわるツアー『ホームシック衛星』でした。全国20箇所、22公演をおこなったこのツアーの模様を総括してお届けしたいと思います!

2008年1月10日、11日の「ZEPP TOKYO」2 DAYSを皮切りに始まったライブハウスツアー『ホームシック衛星』。
皮切りとなるZEPP TOKYOの2日間は、まさにこのツアーの成功を予感させる素晴らしいライブでした。ニューアルバム『orbital period』からの楽曲、そしてこれまでのライブでも演奏されてきた人気楽曲達がまんべんなく演奏される今回のセットリストは、久しぶりの"バンプ"のワンマンライブを待ち望んだファンにはたまらない時間だったに違いありません。メンバーも久しぶりのワンマンを噛み締めるかのように白熱の演奏でファンと会話していました。1日目で「じゃぁ、これから全国まわって来るよ!行ってきます!」と高らかに宣言した"藤原"でしたが、2日目で「昨日も行ってきます!って言ったな俺・・・。でも、今日もまだZEPP TOKYOにいるんだよね・・・。今日こそホントに言えるね、行ってきます!」。ZEPP TOKYOのファンにツアー開始の決意を喜々として表明したメンバーだったのです。

ツアーの前半は、北海道〜東北をまわる行程です。しかも真冬の北国・・・。地方公演の初日は「帯広メガストーン」でのライブです。ライブ当日も含め、−10℃以下は当たり前の極寒の帯広にも、たくさんの熱い"バンプ"ファンが詰めかけてくれました。ライブが始まった当初は寒くてダウンジャケットを着ずにはいられなかった会場内が、ライブが進むにつれてみるみる温度が上昇。
後半はTシャツ1枚でも熱いくらいなり、外との気温差で会場内がサウナのように蒸し、天井から蒸気が水になって雨のように滴り落ちてきたのが印象的でした。そしてメンバーはそのままバスにて夜走りで旭川へ。翌日は、ライブハウスツアー『ホームシック衛星』での最小の箱「旭川カジノドライブ」でのライブでした。
ライブの翌日は、メンバーはかねてから楽しみにしていた"旭山動物園"に行き盛り上がったのです。メンバーが旭川を去った直後、過去最大の寒波が旭川を襲い、−30℃を裕に超える観測史上最低気温を記録したのでした。

東北ロードの最初のライブは「青森クォーター」。そして、"藤原"の生まれ故郷秋田でのライブは「秋田クラブスィンドル」でおこなわれました。前回のライブの時に楽屋の壁に書いたサインを見て懐かしがるメンバー。ライブ中はお客さんからも「お帰りー!」という歓声が上がります。"藤原"のMCが印象的でした。「前回来た時はおじいちゃんが見に来てくれたんです。でもね、今はもうおじいちゃんはいないんです。亡くなって。でもまたここでこうやってライブができて、みんなとライブをつくれて感無量です」。そうして演奏された『supernova』は心の奥深くに響き渡る演奏でした。打ち上げでは秋田名物"きりたんぽ"を満喫!かと思いきや、ちょっと季節がズレていたらしく、残り少ない"きりたんぽ"を有り難く頂いたのでした。

そして次のライブハウスは「盛岡クラブチェンジングウェーブ」です。盛岡では初めてのライブでしたが、ここにもたくさんの"バンプ"ファンが詰めかけてくれました。ライブ後は、絶品の"冷麺"を堪能、そのまま"デジカメで面白顔&遠近法を利用した面白アングル写真撮影大会"を敢行したメンバーだったのです。そして、翌日は「郡山ヒップショットJAPAN」、一日あけて「富山クラブマイロ」、その翌日は「福井響のホール」とライブが続きました。郡山は前回のライブの時がちょうど、"9.11同時多発テロ"の翌日のライブだっただけに、メンバーにとってはとても感慨深い場所だったことでしょう。

そして、『ホームシック衛星』の折り返しになる「京都KBSホール」での2 DAYSライブです。このライブハウスツアーの中でも、比較的集客人数が多いKBSホールでの2日間のライブでは、何故か2日目のライブのMCで"藤原"が「ホテルでの恐怖体験」を話し、それが意外にも怖くて (本人は至って普段のMC通りに淡々としゃべってるのですが、その説得力のある話術と声で語られるとことのほか怖いのです・・・)、自分もその日ホテルで寝られなかったのを思い出します。一方、"チャマ"は「鴨川での悔しい体験談」をMCします。鴨川で煙草を吸いながら一人黄昏れていた"チャマ"を、警察が未成年だと思って不審尋問したってのが事のあらましで、28歳の"チャマ"にとっては「そりゃ無いでしょ〜」って事件だったようなのです。
京都で折り返すと、一日あけて「松山コミュニティーセンターキャメリアホール」、「高知ベイファイブスクウェア」と続きました。松山では、このツアー始まって以来初めて4人で街散策をしたメンバー、また、続く高知は、ライブハウスの立地条件が港のすぐ側で海を臨めるって事もあり、その日のライブは心なしか開放的に響き、ライブハウスの外まで熱気が伝わってくるようでした。
続いて、「岡山クレイジーママキングダム」、「米子ベリエ」とまわり、いよいよ九州ロードに突入しました。九州ロードの一発目のライブは「鹿児島キャパルボホール」、そして「熊本バトルステージ」と続きました。熊本でのライブ終了後は絶品の馬肉を堪能したメンバー。ただ、少々その量が物足りなかった事もあって、"藤原""増川"は地元で有名な"お茶漬け屋"さんにスタッフと出向き、"酒の後のラーメン"ならぬ、"馬肉の後のお茶漬け"を深夜に堪能したのでした。様々な種類のお茶漬けを少量づつ楽しめるそのお店で、米が無くなるその日最後の一杯を平らげたのは、同行してくれたスペースシャワーの女性スタッフだったのです。
そして、「大分トップス」では、東京からライブを見に駆けつけてくれたBUMP OF CHICKENのアートワークを手掛けるTYCOON GRAPHICSのスタッフとその可愛い一人息子 (約3歳) を『メーデー』の演奏でノックアウトし、そのままバスでの夜走りで長崎入り、翌日の「長崎NCC&スタジオ」でのライブをもって九州ロードを完結させたのでした。

そして、ラスト2本となった「ZEPP NAGOYA」でのライブ。ツアー最初の「ZEPP TOKYO」以来の2000人近いキャパでのライブでしたが、それまでの数百人のライブハウスでのそれと何も変わらない、お客さん一人一人とライブを創り上げるという信念がここ「ZEPP NAGOYA」でのライブでも貫かれていました。

そして、『ホームシック衛星』ラストの地、20箇所目、22公演目のライブは「岐阜クラブ-G」でおこなわれました。この日、ツアー最終日のライブでやはり最も印象的だったのは、アンコールの演奏も終わった最後の最後に、"藤原"が一人ステージに残って奏でた渾身の"ハーモニカ"でした。「こんな事言ったらプロ失格かも知れないけど、このツアーで今日の最終日をむかえて、風邪をひいちゃったのもあって喉が限界で・・・。でも、もっともっと唄いたくて、でも唄えなくて・・・。だから、最後にハーモニカ吹きます!」。ホントに手が届く距離にお客さんがいて、その表情や息づかいや鼓動をすぐそこに感じながら、各会場のお客さんとともに渾身のライブを各地でつくりあげてきた『ホームシック衛星』。そのラストのステージのアンコールのそのまた最後に披露した"藤原"によるハーモニカの演奏。そしてその音色に身を委ねるお客さん・・・。そのあまりにも美しく愛しい光景が、このツアーの成功を象徴しているかのようだったのです。

Report: フッキー (TOY'S FACTORY)

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