アフターグロウくり

第9話

「耐えられないんだよ。死んだ人たちがほったらかしにされていることが」
 ノザキさんが、かすれた声で話し出した。
「今できるすべてのことは、この人たちを丁寧に扱うことだけだ。――もう、死んだ人はもとには戻らないから。死んだ人に対して今からできることなんて、それくらいしかないんだ。それくらいしか――」
 そこまで言って、ノザキさんはしゃがみこんだ。
 澪は、何も返事をしない。かわりに、おもむろに足元の何かを拾い上げた。あれは……花、だ。茶色に焦げたあとがあるが、辛うじて、色づいた花びらが見える。
 そのまま澪は、それを近くの植え込みの土の上に置いた。
「おつかれさま」
 ただそれだけ。ただそれだけなのに、すごく不思議な光景だった。小さな命の終わりを慈しむ澪が、大げさだけど、女神のように思えた。
 そういえば、蝉の声が聞こえない。きっと、昨日の火事の影響で、みんなここにはいられなくなったのだろう。人間以外の多くのものにも被害は及んでいる。そんな当たり前のこと、あたしは気づいてなかった。澪は、きっと知っていたんだ。人間以外にも、たくさん失われるものがあるっていうこと。動物、植物、降り注ぐ太陽の光、そよぐ風、世界のすべて大切にするあの子には見えていたんだ。
(あたしには想像もつかないような、いたたまれない気持ちだったのかなぁ)
 澪は、父親に向き直った。
「これで、あの花も土に還るよね」
「……そうだな」
 静かな空気が流れた。遠くで、まだ捜索活動を続けている人の声がする。
 命とは尊いものだと父親に教えられて育った女の子。その父親が無差別殺人の死体処理の仕事をしているんだ。澪、きっとお父さんのこと許さないんだろうなぁ。
「――おとうさん、あたしにも手伝わせて」
 え?
 あたしは耳を疑った。
『殺された命はもう見たくない』と言っていた澪が。
「ごめんなさい、あたしちょっとおとうさんのこと勘違いしてたかも」
「勘違い?」
「うん。……おとうさんは、やりたくてこんなことやってるんじゃないんだよね」
「そうだけど……」
「それに、さっき言ったでしょ、今できることはこの人たちを丁寧に扱うことしかないんだって」
 澪は少し微笑む。
「それがおとうさんの出した答えなら、間違いじゃないと思う。あたしも、実際に今できることはそれしかないと思う。死んだ命は絶対に元に戻らないでしょ、もう起こってしまったことは仕方ないでしょ。だから、今できることをやるの」
「澪……」
「それに、そんなつらそうな顔のおとうさん見てられないしね」
「ごめん。情けない親で、本当にごめんな」
 鼻をすする音が聞こえる。泣いているのは、ノザキさんか澪か。
「いいよ。それよりさ、おとうさんもつらかったよね。気づいてあげられなくてごめんね」
 この親子は、やさしすぎると思った。どこまでもやさしい。そのやさしさのせいで失うものもたくさんあったと思うし、これからもきっとあると思う。それでも、そのやさしさはきっとたくさんのものを救うと思う。そんな気がする。
 あたしは、澪と友達になれた幸せを改めて感じていた――
「こずえ」
 ほころんだあたしの頭を殴るように、背後から、聞き覚えのある低い声がした。振り向くと、そこに立っていたのは、
「……お父さん」
 あたしが、ずっと会いたかった人。
 お父さんだった。
「お前……どうしてここに」
「いや、あっ、あのね、えーとね、」
 この計画についてお父さんがどう関わっているのか、なぜお父さんが関わっているのか、この小沢野市や市民はどうなってしまうのか。計画を知ってから、あたしは、どうやってお父さんを責めたてるか、問いただすか、何度も何度も思い描いてた。頭の中で練習した、はずだったのに。
「立入禁止だって、テープ張ってあっただろ」
「あ、ちょっとね、友達が用事あるからって……」
「そうか。用が済んだら早く帰るんだよ」
 実際にお父さんを前にしたら、なぜだか言いたいことはひとつも言い出せないんだ。
 心の準備ができていない? 怖気づいた?
 わからないけど、イメージトレーニングまでして練った思いは、言葉にできなかった。
(もしこの話をしたら、お父さんはあたしのことを――)
 どう、思うんだろう。
 少しずつ、お父さんの背中が遠ざかる。
 ちょっと待って、お父さん、待って。
 駆け出したい気持ち。動かない両足。焦燥感と孤独感。
 待ってよ、ちょっと待ってよ、もっとあたしの話を聞いて!
 その時、何かが背中に当たった。
「?」
 振り返ると、右手をこちらにまっすぐ伸ばした真知子がいた。
「どうしたのよ。早く追いかけなさいよ。人が背中押してやってんだから」
「真知子……だけど、あたし、」
「はいはいはいはーい。これ持ってね」
 澪があたしの手に何か紙を持たせた――あ、これは。
「『小沢野市に於ける人口削減計画』……これって、」
「そう。コズがお父さんの書斎でこれを見つけたんでしょ。全部これから始まったんだよね」
 すべてはこの紙っぺらから始まった。あのときあたしがコイツを見なかったら、今あたしは政府が何をしてるかなんて知らないままだったんだ。
 それからの出来事が、あたしの脳裏に走馬灯のようによみがえった。
 怯えた目で燃える駅を見つめていた、澪。
 体を張って学校のみんなを守ろうとしてくれた、太田くん。
 幼い子どもみたいに泣き叫んだ、真知子。
 強い信念を持ってあたしたちを助けてくれた、ノザキさん。

 あたしは、大切な人たちを守りたい。

 今できること。
 まずはお父さんと向き合うこと。

「ねぇ、コズ。今のチャンス逃したらさ、次いつ会えるかわかんないよ?」
「あたしたちだっていろいろスッキリさせたんだから。アンタも行ってきな」
 ノザキさんも、やさしい目であたしの行くべき方向を指していた。
「こずえちゃん、早く行きなさい」
 お父さんの背中は、まだそれほど遠くはない。
「みんな、ありがと!」
 真知子の右手に乱暴に押し出されて、あたしは走り出す。
 そうだ、あたしはこの瞬間をずっと待っていたんだ。だって思い返せば、いつも頭のどっかで、お父さんのことが引っかかってたから。
 視界の真ん中、お父さんの背中がどんどん大きくなる。
 いけ、あたし! 今しかない! 叫べ!
「――おとうさん!」
 自分が思っていた以上にハッキリと声が出たことに驚いた。
 その声に、お父さんは足を止めて、ゆっくりとこちらを振り返った。驚いた表情だった。
「お父さん、あのね」
 何も言う隙を与えず、お父さんに計画書を突き出した。
「これっ、あたし、お父さんの書斎から偶然見つけたの、」
 言わなきゃ、今言わなきゃ。
「だから、政府が何しようとしてるかとか、最近の市内の爆発事故とか、知ってるんだよ」
 ちゃんとあたしの言葉で、あたしの気持ちを、伝えるんだ。
「お父さん、あたし、死にたくない。お父さんにも死んでほしくないし、もうこれ以上誰にも死んでほしくないの」
 喉の奥から何かこみあげてきた。あー、泣きそうだ。
「ねぇ、こんなことやめようよっ、やめさせてよ。……お父さんが偉い人たちのこと説得してさぁ、やめさせてよ。あたしみたいな子どもの力じゃあ、何もできないよ、何も変えられないんだよぉ、」
「こずえ、」
「どうして殺すの。……死んだ人たちの生きるはずだった、今の瞬間だって、なんで、どうしてころしちゃうの……」
 お父さんの言葉を聞くのがこわくて、遮るように喋り続けた。だけど、
「……いつからそんな冷たいお父さんになったの?」
 やっとそれだけ言うと、あとはこみあげる涙のせいで何も言えなくなった。
 夏の太陽が、あたしたち二人をじりじりと焼きつけるように照らす。
 涙のフィルターで、視界がまるできらきら光っているように見えた。
 あーあ、言っちゃった。お父さんに、全部言っちゃった。これがあたしとお父さんの人生最後の会話になってしまうのだろうか。強気でここまできたけど、そういう可能性もないわけではない。うつむいたら、傷んだ毛先が光に透けて茶色くなっているのが見えた。あぁ、そうだ、美容院に行こう、髪を切ろう。全部終わったら。――全部、終わったら? 何が終わるの? 終わりを迎えたとき、あたしは生きているの? 
 そんなふうに思考をめぐらせてやり過ごした少しの沈黙のあと、お父さんは口を開いた。
「政府の計画のこと……知ってたのか」
「うん」
「じゃあ、話は早いな」
 話は早い――その言葉の意味するところがわからず、少し身構える。
「いいか、よく聞くんだぞ」
 後ずさりするあたしに対して、お父さんは目線の高さを合わせた。

「俺はこの計画を阻止するために計画執行班の人間になったんだ」

「………え?」

 お父さんの言ったことの意味が理解できず、力が抜けた。
 計画を阻止するために計画執行班にいる?
 意味わかんない。
 ――ちょっと待った。
 計画を実行に移そうとする人たちの中で本当はそれをやめさせようとする人間がいてそれがお父さんで……
「それって、かなり危ないことしてるんじゃ…っていうかどうしてお父さんこんなことに」
「詳しいことは、全部終わったら必ず、必ず教えるから。……まぁ、今はスパイみたいなもんかもな」
「……それって、お父さん一人でやってることなの?」
「阻止しようと実際に動いてるのは、今は俺だけだ」
 そしてすぐに、「あ」と何か思い出したような顔をして、
「太田さんっていう人もいたんだけどな……駅の爆発に巻き込まれたんだよ」
『親父の手帳に書いてあった、俺が告発しなければ、って』――そんなふうに話していた太田くんの顔を思い出した。今、お父さんの言う「太田さん」は、間違いない、太田くんのお父さん。
 ――きっとあたしのお父さんも、政府側の人間ではない。
 あたしは、そう踏んだ。
 だって、まず娘であるあたしが信じてあげなくちゃ。澪も、真知子も、それぞれのお父さんとわかり合えたように。
「お父さん、何かあたしにできることはないの?」
 あたしが心を許したことを察したのか、お父さんがいたずらっぽい笑みを浮かべた。
 ……なんだか、お父さんが笑った顔を久しぶりに見た気がする。本当に、久しぶりに。
「おう、お前にぴったりの仕事があるんだ。こずえ、お茶の間デビューだ。政府がやってることを全部バラせ」
「は?」
 ……オチャノマでびゅー?
「テレビだよテレビ。今からここに、局のカメラマンが来るんだ」
「え、ちょっと待って、話がよくわからないんだけど、」
「お前がカメラに向かってしゃべるんだ。今政府が何を目指して、何をしているのか」
「あたしが?」
「そう、一般市民であるお前が」
 一般市民である、あたしが。
「駅を壊されて、学校の体育館もやられて、病院も狙われて。そういう今までのことに対してお前が思っていたことを、そのまんまカメラの向こうの人たちに伝えればいいんだよ」
そうだ。みんなに知らせなきゃ。目の前で見てきたこと。伝えなきゃ。あたしなら、できる。いや、あたしにしか、できない!
「わかった。あたし、やる」
「よし」
 あ、だけど。
「でもさ、ここって立入禁止になってるから、撮影とか取材とかってここではダメなんじゃ……」
「それがなぁ、」
 お父さんは少し遠くのほうを見た。
「そこのカメラマンが、絶対に信頼できるヤツなんだよ」
 だからそこらへんの問題は大丈夫ってわけだよ。
 そう言ってお父さんはニヤリと歯を見せて笑った。信頼できるヤツ……?
「ほら、来た来た」
 一台の白いワゴンが近くに来て、停車した。後部座席の窓からは、機材らしきものがぎっしり詰まっているのが見える。
 バタンとドアを閉めて、こちらに3人の人が歩いてくる。お父さんの姿を確認したのか、手を振っている。
 その中の、サングラスをかけた一人が近づいてきたかと思うと、あたしの頭をガッとつかんだ。
「うぎゃっ! ちょっ、何……!」
「よぉ、元気してたか」
 あれ? 聞き覚えのある声に一瞬違和感を抱いた瞬間、サングラスを取ったそのカメラマンは――
「……お兄ちゃん!?」
 約2か月会っていない、お兄ちゃんだった。
「久しぶりだな」
「え、えぇぇ?」
 なんで今ここにいるの、ちゃんとご飯食べてるの、ていうか家に全然帰ってこないで何してたの、などなど、問いただしたいことは溢れてくる。だけど、それよりも真っ先に口から出たのは、疑いの言葉。
「まさかとは思うけど……お兄ちゃんも政府の」
 そんなあたしをなだめるように、お兄ちゃんは笑う。
「そんなに疑うなよ。親父のことなら、おれが証明する。親父はおれらのことを殺したりしない」
「……本当に?」
「当ったり前だろ。お前とおれは親父の子どもだ。……それに、」
 カチャカチャと手際よく機材を組み立てながら、お兄ちゃんは続ける。
「母さんが報われないからな」
 え?
「ここで親父が政府の味方でもしてみろ、母さん化けて出てくるぞ」
 ちょっと待って、なんで今お母さんが絡んでくるの? 報われないってどういうこと?
 なんか、あたしの知らないところでお母さんの絡んだ話が……?
「おっ、こずえ、お友達もいっしょか」
「えっ?」
 お兄ちゃんの視線をたどって振り返ると、澪と真知子が立っていた。
「コズ〜」
「ひとりでいいカッコしようなんて思ってんじゃないわよ?」
 二人並んで、にやにやと不敵な笑みを浮かべている。いつのまにいたんだ。
「まったく、二人とも……」
「なーに」
「何よ」
「ちゃっかりしてるんだから」
「まぁねー」
 二人がいて、よかったよ。
「……ありがとね」
 遠くから、お兄ちゃんと一緒に来たスタッフさんの「準備OKでーす」という声が聞こえた。
「よっし。お前ら3人、まとめて撮ってやるからな。しゃべること考えとけよ!」
 それからあたしたち3人によって、数分の会議がおこなわれた。


「お兄ちゃーん、かわいく撮ってね」
「バカかお前は……よし、CM明けから中継こっちにくるぞ」
 5秒まえー、よん、さーん、にー

(せーの、)

「こんにちはー!」
「こちら、昨晩火災のあった小沢野病院からお送りしております」
 お兄ちゃんが親指を立てて、「おっけい」と口を動かした。
「あたしたちは、小沢野市に住む高校生でーす」
「さて、最近は市内でも物騒な爆発や火事が続いていますが、」
 落ち着いて、空気を吸いこんで。
「みなさんは、その裏側、知っていますか?」

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蒼き賞
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