アフターグロウくり

第7話

「太田、あんたバカじゃないの、体育館で何してたの? バカでしょ?」
「おーちゃん! くだものとかいろいろ買ってきたからリンゴむいてあげるねー!」
 太田くんの病室に来た澪と真知子は、太田くんが爆発の被害に遭ったということには触れず、いつも学校でするように振舞っている。爆発で負った傷に対して、気を遣ったり遣われたりするのは面倒だと考えたのかもしれない。実際、太田くんも楽そうな表情をしている。
「うっわぁ、足、すごい! ガンダムみたい!」
 澪が、太田くんの足のギプスをバシバシと楽しげに叩いた。太田くんは笑いながら呻いた。
「ちょ、無理むりむり痛い痛い痛いたいたいたいたい!」
「こら澪! アンタは大人しくリンゴでもむいてなさい!」
 真知子が紙袋の中から、果物ナイフと赤く色づいたリンゴをひとつ取り出して澪に渡す。澪はすぐに傍にあった新聞を台の上に敷いて、リンゴと格闘しはじめた。
「★★」
「でーきたっ!」
 澪が、つるりと白くなったリンゴを高くかざした。あたしは、何気なく新聞の上に散らばった皮をひとつつまみあげた。なんかこれ、皮というには厚い。まだまだ食べられる部分たくさんあるのに、あーあ、もったいない……。
「澪……これ、皮っていうか、実の部分たくさんあるよね」
「仕方ないじゃん! あたし不器用だしっ」
「この皮どうするのよ。もったいないでしょうが」
「あ、じゃあさ、皮はおーちゃん食べなよ。あたしのむいた皮、おいしいよーん」
「えっ、野崎はさっき『おれのために』リンゴむいてくれるって言ったよな」
「うん。でもやっぱ、もったいないから皮から食べてよー」
「えぇぇそんな……あー、やばいぞー、さっき野崎がバシバシやったとこの足が、なんだかすっげえ痛くなってき」
「知ーらない。おだいじに〜」
 きゃらきゃらと笑う澪を横目に、真知子は太田くんの前にリンゴの残骸をドサリと置いた。
「まぁ食べたまえ、病人よ」
 太田くんはあきらめたようで、リンゴの皮をしょりしょりと食べ始めた。ウサギみたいだ、と澪がまた笑う。真知子はやれやれという顔をして新しいリンゴを手際よくむき始める。
 友達がいて、くだらないことで笑って、安心していられて。
 居心地がいいなぁ。
 あったかいなぁ。
 こういうのってなんていうんだろう、うまいこと言えないけど、なんだか、なんとなく――
「――家族みたいだ」
 思わずこぼれたひとことに、3人が振り向いた。
「家族?」
「うん、いや、えーっと……なんとなく、ね、なんでもないよ、ひとりごと。へへへ」
「コズ、変なのー」
「あははは」
 こんな、当たり前の風景。ずっとずっと続けばいいのになぁ。

「学校、当分は休みになるみたいよ」
「やりぃっ」
「長い長い夏休みになるねー」
 太田くんの病室を出て、そんなことを話しながら歩いていたところ、真知子が突然、
「あ」
 と口にして、立ち止まった。
 何かと思って真知子を見ると、彼女の視線の先にあったそ人物も同様に「あ」と声をあげたのが聞こえた。
「おじちゃん」
 真知子がそう呼んだ、白衣を身にまとったその男性は、微笑んでこちらへ歩み寄ってきた。
「真知子じゃないか。こんなところに来るなんて……何かあったのか?」
「えーと……ちょっと、友達のお見舞いに来たの」
「そうか。ああ、そうだ、学校で何か事故があったって聞いたよ。大丈夫だったか?」
「うん、あたしは平気」
「よかった。お前の身に何かあったらな――」
 棒立ちのあたしと澪をよそに、二人は会話を続ける。
「……弘おじさんたちとは最近うまくいってるのか?」
 あたしは、その瞬間に真知子の表情が一瞬ゆがんだのを見逃さなかった。
「別に。何も問題ないよ」
「ならいいんだが……いつも心配してるみたいだぞ、お前のこと」
「うん」
 それから少しして、あたしたち二人に軽く会釈をして白衣の男性は去っていった。
 病院に特有の長い廊下を無言で歩いた。なんだかそういう雰囲気だったのだ。そういう雰囲気を真知子がつくっていた。ロビーの椅子に座った途端に、澪が真知子に問いただした。
「マッチぃー、今の人、だれー?」
「叔父さんよ。あたしの、叔父さん」
「で、なんでその叔父さんが白衣着て病院の中歩いてんの?」
「……ここの院長だからよ」
 表情を変えずに真知子は言った。
「へー! さっきの人ってそんなエライ人だったんだぁ」
「うん」
 澪の言葉にも生返事で、真知子の表情は、やっぱりどこか影があるように見える。
「真知子、さっき、その叔父さんと何話してたの?」
「えっ」
「さっきからアンタずーっと、何か考えてるような顔ばっかだよ」
「そうだよ。マッチ、何か言われたの?」
 まさか聞かれると思っていなかったのか、真知子は少しうろたえている。
「別に……いいじゃない、なんだって」
「よくないよ。マッチがイライラしてるのってこわいんだもん」
 何か言おうとして口を開きかけた瞬間、
 ジリリリリリリリリ
 という、聞き覚えのある音が響いた。
「!」
 急いで廊下のほうに出ると、病室やナースステーションから逃げ惑う人。
「早く外へ逃げて! 院内の火災報知器が作動したの!」
 看護婦さんの一人が叫んだ。
 あたしたちは顔を見合わせて、確信した。これにも、どこかで政府が絡んでるに違いない。
 医療機関を潰してしまえば、負傷した人たちは――
「……ひどい」
 同じことを思っていたのか、澪もぽつりとつぶやいた。
「弱った人たちがたくさんいる場所をわざわざ狙うなんて」
 あたしの脳裏に、計画書の忌まわしい文字たちがよみがえった。「人口削減計画」。目的はただひとつ。市の人口を減らすこと。
「一体どうなってるの!」
「出火元はどこ?」
「わからない、どうなってんのか」
「何かのテロなのか? もういい加減にしてくれ!」
 叫びにも似た声がたくさん聞こえる。――そうだ、この人たちは、政府の計画のことについて何も知らないんだ。たて続けに起こる惨事も、その裏に何があるかなんて、ひとつも知らないんだ。
 きっとこの中には、駅での負傷者もいて。その家族もいて。友達もいて。みんな、次は何を奪われるんだろうって、正体もわからない何かにおびえているんだ。
「逃げなきゃ」
 これ以上、奪われるわけにはいかない。

 火が大きくなる前に、あたしたちは患者の搬出の手伝いに加わった。近隣住民もたくさん加勢した。
 患者の中には、太田くんもいた。歩けない彼を助け出せたのは、本当に安心した。

 病院から少し離れた道路の上。救急隊員の人に、下がっていなさいと言われたあたしたちは、燃える病院を眺めているだけとなった。
 どっと疲れが押し寄せて、あたしたち3人はぼんやりとたたずむ。
「……さっきの話の続きなんだけど」
 真知子が、こちらを見ずに口を開いた。
 そして、あたしたちに返事をする隙を与えず、彼女はあっけらかんとこう言った。
「あたしね、親なんていないの」
 あまりに唐突だった。
 澪を見やると、目を丸くしている。それもそうだ、そんな話、今まで一度だってきいたことなくて、真知子の家族については全然知らなくて、だけどまさか親がいないなんて。
「あたしの生みの親――お父さんとお母さんは、あたしがうまれてすぐに交通事故で死んだ。それから、お父さんの兄夫婦に引き取られた。ずっと子どもができなかったから、好都合だったのかしらね。そういう真実を知ったのが、8歳のとき」
「8歳っていったら、物心もついてる、結構いい年齢よ。自分の本当の親を知ってから、育ててくれた浩おじさんたちのことを、それまでみたいに『お父さん』『お母さん』って呼べなくなったわ」
「小学校のときだって、今思えば運動会も授業参観も何も来てくれなかった。叔父さんも叔母さんも、忙しいって言ってね。ずっとそうだった、だから、成長するにつれて、だんだん、『この人たちはあたしの親じゃないんだ』『あたしはひとりなんだ』って強く思うようになっていった」
「何が好きとか、何が嫌いとか、友達のこととか、今日学校で何があったとか、そんなこと何も話さない。そんなの、親でもない大人に話したくないから」
「真知子、マチコなんてさ、今どき古くさくてダサい名前でしょう。これね、お父さんが知典で、お母さんが真澄――両方をもじって、真知子。親から唯一もらったものが、この真知子っていう名前なの。たったのそれだけ。笑っちゃうでしょ」
 我慢するのをやめたかのように、真知子はひとりでそれだけ話した。あたしも澪も、口を挟めなかった。何も言えなかった。
 ありえないでしょ、あはははは。
 真知子は、泣いていた。笑いながら、ぼろぼろと涙をこぼしていた。
「ねぇ、何か言いなさいよ。バカとか、薄情者だとか、」
 彼女は、あたしと澪のほうに向き直った。
「軽蔑したでしょ。あたしのこと、嫌な子供だって、ケーベツしたでしょ」
「しないよ」
「嘘。お父さんもお母さんもいない、育ての親にも敬遠されて。わかってる? 澪もこずえも、こんなヤツと友達なんだよ? どうかしてるわよ」
「……マッチ」
 澪はうつむいて肩を震わせ、しゃくりあげるように泣いていた。
 真実を知った幼い真知子。それから10年近くもの間、彼女はどんな気持ちで暮らしてきたんだろう。
 もう会えることのない、知らない両親の姿を思い描いて。
 親がたったひとつ残してくれた名前だけ抱えて。
 育ててくれた大人たちのことは信じられなくて。
 自分はひとりぼっちだと思って、ずっと生きてきたんだよね。
「真知子」
 いつも勝ち気で、強気で、わがままで。しっかりしてて、面倒見がよくて。
 ねぇ、真知子。あたしは、真知子のことを強い人だと思っていた。だけど、そんなの違ってたよ。生まれてから今まで、ほんとに、本当に――
「――よくがんばったね」
 真知子は、顔をぐちゃぐちゃにして泣き叫んだ。
「うわあぁぁぁぁ」

 初めて聞く彼女の泣き声と、それによく似た救急車のサイレンが、炎で赤く照らされる夜の空に響いた。

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第7話アフターグロウ

蒼き賞
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