満月の扉辻村アズサ

第1話 望めない再会

妹のマユが死んだ。交通事故だった。……いや本当は妹だけじゃなくて、父さんも母さんも。
俺以外の家族はみんな、死んでしまったんだ。

家族旅行の帰り道のことだった。深夜。その日4人を乗せた車は、カーブの多い山道を走っていた。
カーラジオからは、最近知名度のあがってきたミュージシャンの澄んだ歌声が聞こえていた。俺は旅の疲れからか、後部座席でウトウトと微睡んでいた。父さんと母さんが交わす他愛のない会話や、時折話しかけてくるマユの声も加わり、心地良いBGMとなって車内に満ちていた。
それは突然襲ってきた。
反対車線を越えた、大型トラックの衝突。
轟音、衝撃、悲鳴、ついで全身に走る鈍い痛み。
マユはどうなったのか、父さんはどこにいるのか、母さんは大丈夫なのか──その突然のことに、俺は何がどうなっているのか分からなかった。
ただ静かだった。
妙な静寂の中に身を委ねながらも、視界だけはやけに澄んでいたことを俺は覚えている。
夜の山。黒い森。木々のあいまから覗く、黒く塗り潰したような夜空。その中にポッカリと浮かぶ、嫌みな程に綺麗な……琥珀色の満月。
それは、今まで俺が家族と共に十七年間歩んできた世界の終焉とは、あまりに不釣り合いなほどに美しい情景だった。


──結局、生き残ったのは俺一人だった。
奇跡的にも俺の傷は軽い打撲で済んだ。そして後遺症というのものも残らなかった。
けれど、心には大きな傷を残してしまった。
その証拠に、俺はあの日以来、毎夜の如く夢を見る。
壊れたレコードのようにその悪夢は何度も何度も同じ場所に巻き戻され、いつまでも俺を解放してくれない。その瞬間の──事故直前まで当たり前のようにあった幸せまでをも、繰り返し見せてくる。
もう居ないのに。
もう、みんな居ないのに。夢の中には、みんな居る。
だったらいっそのこと、俺もその夢に混じりたいと、いつもそう、願っていた。でもそれは絶対に叶わない。
俺は生きている。みんなの分まで、これからも生きていかなければならないんだ。


──あれから、半年が過ぎた。
そしてそれは、唐突に訪れた。


「誰か状況を説明してくれ」
俺──石島浩輔──は混乱していた。
むしょうにズキズキと痛む頭を押さえ、ようやく口に出来たのはその一言のみだった。
これは目の前の人物のみではなく、どこの誰でも良いからこの現状を分かりやすく説明してくれ、といった意図を込めて言ったものだった。出来れば、科学的根拠諸々も含めて説明して欲しい。そう、なるべくプラズマだとか、もしくは幻覚作用だとかそういう単語を使って。
けど生憎この現場──現在の生活居住区であるボロアパートの一室──には俺とこいつの二人しか居なくて、冷静な第三者という存在が介入してくるような運の良さなど、俺自身併せ持っていなかった。友人知人にヘルプを頼もうにも、時刻は深夜一時。こんな時間に電話でもしようものなら、ただの礼儀知らずだ。
(有り得ない有り得ない有り得ない)
非現実的な状況下で、俺は否定の言葉を頭の中で繰り返す。
それと同時に現実逃避じみた行為ながらも、今日一日の出来事を思い返してみた。

いつもの通りに学校へ行って、いつもの通りに放課後にはバイトへ行った。家族が死んで、一人暮らしを始めた俺には、それ相応の補助として両親や妹の保険金がドンと山積みになって残された。
正直、高校生の俺一人が生活する分には充分過ぎる額だった。
だけどもうそれなりの仕事も出来る年齢だから、せめて生活費くらいは自分で稼ぎたいと思ってバイトを始めた。近所の喫茶店だ。
シフトの都合で毎晩遅くなる。深夜帰宅も珍しくない。今日もいつも通りにクタクタに疲れて、家路についた。
いつも通りの一日で終わるはずだった。
けど違った。俺のこの一日を最後に彩ったのは、望めない再会への驚愕の色だった。
まずアパートの鍵が開いていたことに始まる。次に、慌てた俺が居間に駆け込むと──死んだはずの妹が、いや──妹の姿をパクッた見知らぬ少女が、当たり前のようにそこでくつろいでいた。
そのうえ、
「あ、お兄ちゃん、お帰り」
もの凄く自然に、妹と同じ声の調子でそんなことをのたまった。

それっきり、俺の思考回路は凍結した。

葬式も済ませた。四十九日もとうに過ぎた。あれから半年が経過した。心の傷口にようやく瘡蓋が被さって、家族の死を過去のものとして、少しずつ受け入れられるようになっていた。
つまりその矢先──、
「……お前、マユ……?」
俺の妹に双子がいるという話は聞いたこともない。
「そうだよ、当たり前じゃん」
マユと名乗る、我が妹と瓜二つの正体不明の未確認生物は大きな瞳を瞬かせると、俺の深刻な問いに、特にこれといった情緒もなく回答した。
「…………はあ?」
ようやく頭が追いついてくる。
いや、むしろ追いついてきたせいで、さっき以上に混乱してきた。同時に、怒りだとか驚きだとかそういういろいろな感情がごちゃ混ぜになって、我ながらとんでもなく饒舌な人間になってし まった。
「いやいやいや、冗談だろ。お前何者だよ?ていうか、どうやって部屋に入って来れたんだよ。ピッキングか?不法侵入だぞ。知ってるよな?犯罪行為だ。ついでに詐欺だ。オレオレ詐欺ならぬクローン詐欺ってやつ?生憎だったな。俺の妹は半年前に死んでるんだ。とっくの昔に骨んなって土にかえってるんだ。詐欺やるならもっと相手選べ。今すぐにでも出ていけば、警察にも通報しないでやってもいいぞ」ズンズンと畳の床を踏みしめ、俺はマユを名乗る少女の目の前に仁王立ちになり、威圧的な口調でまくしたてた。
音量を小さめに設定されたテレビでは深夜番組が放送されている。
まるで我が家のようにくつろぎ、茶まで啜り、煎餅までかじり、果てはネグリジェ姿でテレビ画面を食い入るように眺めていた少女は、ニッコリと微笑んでとんでもない重要事項をサラリと口にした。
「あのねお兄ちゃん。
あたし、生き返っちゃったの。でね、行くとこないからお兄ちゃんのアパートに押し掛けたってわけ。心配しなくて良いよ。あたしは正真正銘お兄ちゃんの妹の石島マユだから」
──世も末だ。
俺はその場に倒れた。それから、刻々と秒針を刻むテレ ビの上の置き時計に目をやった。
確か──深夜一時というのは、丑三つ時って言って……なんかあの世と繋がるとかどうとかそんな感じの話を、オカルト好きなクラスメートから聞いたことがある。
……とうとう俺も電波な世界の人間の仲間入りを果たしたのだろう。
ああきっとそうだ。そうに違いない。そうじゃなくたって、……ああもう考えることすら面倒くさい!
「……」
フラリと立ち上がる。これみよがしにテレビを消してみる。
世間が寝静まる時間帯にも関わらず、目が爛々と輝き妙なテンションに満ち溢れている様子の少女を一瞥して、俺は敷きっぱなしだった薄っぺらい布団へと突っ伏した。
(……寝よう)
そして朝になれば、きっと何事もなかったかのようになっているんだ。ああそうだ、大体こういうシチュエーションはそうなるって、昔から相場が決まっている。
「お兄ちゃんお兄ちゃん」
「……」
……呼んでるよ。
だが、疲れきった肉体とスパーク寸前の思考のお陰で、もはや返事をしようという気さえ俺にはなかった。
「お兄ちゃん、お疲れ様」
疲れてるというか、とり憑かれてるというか。
覗き込まれる気配を無視する。弾んだ声が降ってきた。
「あ、明日の朝ごはんはあたしが作ってあげるから、お兄ちゃんはゆっくり朝寝してね。それじゃ、おやすみなさい」
パチッ。
消灯の気配。完璧な暗闇。“何か”が畳に横たわる音。
俺はこの少女の言葉を、完全に頭の中からデリートした。
目を閉じる。
案外、眠りはすぐに訪れた。

そして相変わらず、またあの夢を見た。それで再確認出来た。
ほらみろ、マユは死んだんだ。夢の中で、何度も殺されている。だからさっきのあれは、単なる幻に過ぎないんだ。
おかしなことに、そう何回も自分に言い聞かせる自身の声が、ずっと頭の中に響いていた。


──残念ながら、この時の俺は目の前に横たわる現実味皆無の問題を、あまりにかんたんに考えていた。
もしも俺がファンタジー思考の持ち主であれば、また違った反応を返していたかもしれない。素直に妹の復活を喜んだりなんかして、家族ごっこでも始めていただろう。
その後、次から次に漫画やらアニメみたいに非現実的なことが起こったとしても、喜んで──まあ喜ぶほどのことはなくても、多少なりとも寛容に──受け入れて、果ては鵜呑みに出来たかもしれない。
だがやはり残念なことに、俺の頭は現実専用に開発されていた。
故に、突拍子もない──それ以前に、「有り得ない」の一言で切り捨てられてもおかしくない──出来事を「ああ、そうなんだ。なるほどね」という具合に信じるわけにはいかなかった。
ましてや、おめでたい思考回路の持ち主であったとしても不測の事態が待ち受けているなんて、思いもしなかった──いや思えるわけもないからこそ、不測なのだが──。


まさかこの少女との出逢いが、世界の終わりの前兆だったなんて。

【第2話に続く】

第1話満月の扉

蒼き賞
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