僕が15歳くらいの頃は…食えなかったからな。 親がいなかったから、新聞配達、牛乳配達をして、 自分で学費を作って学校に通ってたよ。 やることに追われて追われて、塾にも行けなかった。 そんなときに、彗星のごとく僕の目の前に出てきたのが、ザ・ビートルズだったね。 ザ・ビートルズが出てきて、俺は“何なの、こいつら!?”って、夢中で夢中で…。 それから、“よし!俺も東京に行って、ロックシンガーになってやろう!”って目標ができたんだよ。 目標ができてからは、シャキーン! と、 そっちの方に向けた。 彼には、それがないんだろうね、今。 シャキーン! というものがないのよ。 周りも、ただダラダラ生きるような 環境しか提供してないんだろうね。 ただ、今、僕は言っておくよ。 人生は長いぞ。世界は広いぞ。 触ったこともない、見たこともない、行ったこともないようなところで、すごいところはいっぱいあるぞ。 それを知りもしないで、15歳くらいの小僧が “死ぬしかないんですか”なんて、何を言ってるんだ。 それだけ言っておく。 |
あるに決まってるじゃない。 崖っぷち、だらけに決まってる。 不安、だらけに決まってる。 人間は、人間をやってること自体が、不安なんだから。 生きてること自体が、悩みなんだから。 悩むということ自体が、生きてる証でもある。 だから、大いに悩みなさい。 大いに不安がりなさい。 ただ、不安だ、悩みだ、怖いだと言って、 そこから一歩たりとも前に出られませんというのは、 何を言ってるんだという話になるからな。 大いに悩んで、大いに不安がって、大いに闘えよ。 だけど、一人じゃない。みんな不安なんだよ。 その中から、自分の行く道はどっちなんだ?というふうに考えたら面白いじゃない。 15〜21、22歳の7、8年間は、 不安でさまよってるよね。 俺はどうなっちゃうのかな? どこに行っちゃうのかな? 大丈夫かな? って…。 そういう塊は、みんな一緒だったんじゃないの? 僕だって一緒さ。そんな中で僕だって、板金屋になろうと思ってたんだよ。 それが、ザ・ビートルズと出会って、あっけなくそっちに乗りかえたんだけど…。 いいじゃない。 乗りかえるのも人生。 だから、僕も一緒ですよ。 みんな一緒です。 |
“愛”って、いろんな種類がありますし…。 ただ一つ言えることは、やっぱり相手のことを愛おしく思う気持ち。自分の彼女なのか、親なのか、家族なのか…。その相手のことを愛おしく思う、守ってあげたいと思う、幸せであってほしい…そういう気持ちはあるじゃない。 16歳じゃまだ難しくても、まっすぐ生きてたら、黙っていてもそこに到達するようになると思いますよ。そうすれば、異性の恋人に対する気持ちも、“俺の彼女だから!”とか、そういう気持ちを越えて、越えて、越えていったら、愛おしくなるよね。 “幸せでいてほしい”とか、そっちの方に行けるんじゃないの? ー愛されたいけど、なかなか愛情が自分に向かない―親と上手くいかないとか、学校でもいじめられてたり、そういう子がたくさんいるという話について そうだよね…。難しいよね、そのへんがまだ発達してないからね。人として未熟だから、相手のことを想うとか、優しくしてあげたいとか、“優しくして喜んでくれたら、それが嬉しかった”とか、そういうところまで到達してないんじゃないかな。 いじめをしてる方もわかってないんじゃないかな。嫌がるとか苦しむことを面白がるから。もうちょっと大人になって成長して、愛する人ができたり、思いきり泣くようなことがあったり…。 泣くと成長するよね。そういう経験をまだしてないんじゃないかな。まだゲーム感覚でいて、誰かを愛おしく思うとかそういうところに行ってないから、そういうことが起きるんだろうね。 ーいじめられていて、学校にも家庭にも行き場がなくて、毎日生きていてツライという生徒がいるということについて ツライよね…。まず、学校の先生がもうちょっと昔に戻ってほしいんだけど…。でも、我々親も悪かったんじゃないの?俺たちがまだ小学校・中学校のときは、こんなことなかったからね。 卒業して今になって、あの怖かった先生が一番思い出にある。そういうものなのよ。あの先生が一番カッコよかったと思う。どっちかが行きすぎてもいけないだろうけど、親がもう1回学校を信じるようなところに戻らないとダメだよね。それで、学校の先生がもうちょっと本気で愛情を向けられる環境にまずならないと、堂々巡りかもしれないよね。 |
僕も最近考えてみたんですけど… 売れた人は才能があって、売れなかった人は才能がない、とは思わないんだよね。歌でしたら、“歌の才能”“曲を作る才能”“ピカッと光る場に上手く入れる才能”とか… メロディーを書く才能だけが才能とは言わない。 皆さんに聴いていただくようなところに、上手く流れていったのも、運命として持っている才能かもしれない。 “才能”というのは目に見えないもので、誰にでも要素がある。それが、人の触れるところにジワジワと入っていって、そしたらその目に見えないものが倍増して少し大きくなる。引き続き、それがまた人の目に触れたら、もっと大きくなって… 気づいたら、“あなたは、なかなかいい職業を手にしたね”と言われるようなところに行くんだよ。目に見えないもの、形のないものが才能かな。 偶然も重なってね。だから、才能というものはこういうもので、こういう形をしていて、誰が持っていて誰が持っていないとは言い切れない。じゃあどんな言い方をしたらいいかといったら… 人生、面白いぞ。何に出逢えるかわからない。あなたの中に持っている、ものすごく面白い潜在能力があるかもしれない。人生はまだまだ長いんだから、楽しもうぜ! というのが才能かもしれないね。そのどこかで開花するかもしれない。それで、“俺の人生、悪くなかったよな…”と、いい酒でも飲めるようになったときに、“俺はこの人生をちゃんと自分の職業にしたよな”というふうになるんじゃないですか。 僕なんて、“俺は才能があるか…?”“何を言ってるの?あなたは才能があるに決まってるじゃない!”“あ、俺は才能があるんだ…!”というような会話を、最近したぐらいだから。 そんなものなのよ。 “俺は才能があって、ハマってるんだろう”と言ってどうこうなるものじゃない。 才能というものはわからないけど、ただひたすらにやってた。 才能があるかどうかは、自分じゃわからないですよ。 |