小野崎 建太(ボーカル&ギター)―以下、“小野崎” 梅田 貴之(ドラム&コーラス)―以下、“梅田” 閃光のファイナルステージは、「ツアーの初日」 小野崎:「閃光ライオットに応募したのは、とりあえず好奇心だよね。バンドをやってるからには、でっかいステージでやってみたい、みたいな。」 梅 田:「オレ、2次審査、すげー覚えてるな。エライ人に囲まれて、何曲もやらされて…」 小野崎:「そうだ! そこで言ったんだ。『モテたくてバンドを始めました』って。アレ、本気で言った訳でもないのに、あとあと、スゲー持ち上げられたんだよね…。で、結局ファイナルでグランプリをもらった訳なんだけど。次の日起きたら何か変わってんのかなって思ったら、あんま変わってなかった。何にも変わってなくて、逆にびっくりしたな。でも、これから変わって行かなくちゃいけないなっていうのはあった。」 梅 田:「ライブ頑張んなきゃ、みたいなのはすぐに出てきたよね。実は、閃光が終わってすぐにツアーだったから、グランプリを獲ったからどうのこうの考える暇もなかった。もう、次の日は水戸でLIVEだったから。だから、閃光のファイナルがツアーの初日みたいな感じ。」 小野崎:「そっか、あれが初日だったのか。劇的な初日だね。ツアーは、水戸に行って、後は東京八王子、山梨、長野、群馬… で? 下北沢に戻って、次に新潟行って… みたいな感じだったよね。そういえば、もうその時あたりから、『Over』やってたね。」 梅 田:「そうだね、ツアーしながら曲も作って。でも、閃光がきっかけというより、同じタイミングでいろいろやり始めた時期だった。ただ、閃光で優勝してから、やっぱりお客さんは変わったよね。」 小野崎:「いろんな人が知ってくれるきっかけになったね。オレらはいつも通りLIVEやってるんだけど、なんかやっぱ、みんなからの見られ方は変わったんだろうなって感じたり。」 梅 田:「一つのハードルが付いちゃったっていうか。でも、だからこそモチベーションを高め合って、LIVEの回数を増やしたんだよね。」 小野崎:「とりあえずLIVEやったよね。とにかくLIVEをやって、曲を書いて。その繰り返し。」 仲間との別れ。新たな出逢いと決意。 「閃光は、メインの出場アーティストをイライラさせてやろうって。」 小野崎:「で、そのツアーのファイナルを地元でやったんだけど、そこで、ベースのトメ (バンドのオリジナルメンバー、五月女聡) が抜けるってなって…」 梅 田:「うん、それがでかかったよね。それからすぐの期間は、もうどうしようかって感じで。でも、成り行きで、現・ベースの今瀬が入ることになって… オレ的には、今瀬が入ってやっと、『もっと上目指すか』みたいな気持ちが強くなった気がする。本格始動っていうのかな。もちろんその前から本気でやってたんだけど…」 小野崎:「改めて帯を締め直す、みたいな。」 梅 田:「うん。しかもその時から、去年出た自主製作のミニアルバムのレコーディングも始まってたしね。」 小野崎:「そっか。アルバムを作りながら、LIVEをやりながら… の、閃光ライオット2010だ (2009年のグランプリバンドとして、オープニングアクトに登場)。あの時は、メインで出る人をイライラさせるぐらいアオってやろうって。オレたちも、前の年に優勝したガリレオのオープニングアクトを見て、『これに負けないくらい頑張ろう、爪あとを残してやろう』っていうのがあったじゃん? だから、オレたちも散々アオってやろうって気持ちはあったな。」 梅 田:「爪あとはいつも、残したくて仕方ないよね。」 小野崎:「ギャッ! とね。2010年のバンドも観てて面白かったなー。本当にバラエティー豊かで、『この人、普段どんな音楽聴いてるんだろ?』みたいな人がたくさんいたり。」 梅 田:「あと、オレたちは、いくら去年グランプリを取った人って言っても、普段はまだ、“駆け出しのバンド”みたいな扱いをされることも多いじゃん? そう考えると、出場アーティストのみんなに対しては、“でっかいステージで対バンできる仲間”って意識はあったけどね。」 小野崎:「そうだね。ただ、仲良くなる気でいたけど、結局誰にも近づけずに終わった (笑) 」 梅 田:「人見知りバンドだからね、オレら (笑) 。仲良くして下さい、っていう。」 小野崎:「オレらはいつでもオープンマインドなんだけどなー。」 梅 田:「でも、2010年の閃光ライオットも本当に、“LIVE”だったよね。オレたちもゲストみたいな扱いじゃなくて、一緒に作った感じだったから、すごく楽しかった。」 TOTALFAT、Northern19… 憧れのバンドが対バン相手。 「閃光ライオット? そんな時もあったかな、みたいな」 小野崎:「最近は、ガリレオとかねごととか、閃光に出てた人たちをテレビとかで観る機会が増えて来たけど… オレたちも相変わらず、LIVEをして、曲を書いての繰り返しだけど、それはそれは、充実した日々を送ってるよね。」 梅 田:「うん。閃光でグランプリを獲ると、“閃光でグランプリを獲った人”みたいなくくりにされちゃうじゃん? もちろん、それはすごい糧にもなったけどね。そういうのがあるからこそ、お客さんの期待を常に裏切らないで、それを上回るLIVEをしよう、って気持ちになった。だから、そういうのはすごく嬉しかったんだけど、今は… 何だろ? そんな時もあったかな、みたいな。高い目標ができた分、そういうのも、一つの思い出、みたいな感じで。」 小野崎:「そんなことも通り過ぎて、今、みたいなことでしょ? 今は今で、オレたちの目標に向かって頑張ってるってことだよね。」 梅 田:「とにかくオレらはLIVEバンドだよね。とにかく、どれだけカッコいいLIVEをやれるか。」 小野崎:「最近は、今までお客さんとして行ってたバンドと一緒にやらせてもらう機会も増えて来て… TOTALFATとかNorthern19とか。パンクの大御所っていうか横綱っていうか。それに立ち向かうオレたち、みたいな (笑) 。一緒にやらせてもらうと、勉強になるし、うわ、かっこいいなーって思うんだけど。負けたくないなって感じもあって。」 梅 田:「そりゃもちろん。負けないよ。」 小野崎:「憧れの好きなアーティストと一緒にやれてるっていうのは、本当に楽しくて。どう盗むか、どう倒すかってことをずっと考える毎日。日々刺激になりすぎて。それはそれは充実してますよ。」 梅 田:「勉強でしかないよね。ただ、勉強する中で、やっぱ俺らにしかできないこともあるから。『じゃあ、これは俺らがやっちゃおうよ、勝っちゃおうよ』みたいなのもあって。」 小野崎:「そういうのも分かって来るし、また、先輩たちもいい人なんだよね。いや、いい人っていうか、『好きなんだなー、音楽』っていうか。LIVE観ててもそういうのが伝わって来て、そういうところもすげーリスペクトしてるし。あと… そうそう! オレら、お酒飲めるようになったんですよ (笑) 。それで、最近は打ち上げとかガンガン出るようになって。それはそれは、ですよ (笑) 。ロックっていうか、パンクやってる人ってこんな感じなんだ! みたいな。詳しくは言えないけど、本当に壮絶な… (笑) 。あ、こうやって仲良くなっていくんだっていうのもあったり…」 梅 田:「まあね (笑) 。まあ、先輩とはお客さんの数も関わってる人の数も全然違うし、でもだからこそ、たとえば、LIVEだったら技術だけじゃなくて、精神的なところとか…」 小野崎:「そういうところが音に出てくるのかなって思うよね、打ち上げとか見てると。」 梅 田:「打ち上げのことばっか言ってるけど、ホント、LIVEにインパクトがある先輩は、打ち上げにもインパクトがあるんだよね、マジで。」 1stフルアルバム『THIS MEMORY TO ME ...』 「“今”っていうリアルを出せた」 小野崎:「そんなオレらも今度、フルアルバムが6月15日に出ることになりまして。タイトルは『THIS MEMORY TO ME ...』。今回のアルバムに入っているのは、今までオレらが、音楽をやってる時、バイトしている時、好きな人と一緒にいる時、友達といる時… そんな日常から、『こんなところ素晴らしいな』とか、『こんなとこマジムカつく』とか、そういう一瞬一瞬を、切り取ってきた曲。LIVEやって、その中で曲作りをやって… っていう、この何年かの日々で思っていたことを日記みたいに書いた曲なんだけど…… どう?」 梅 田:「オレ的には、SHIT HAPPNINGの色を出しつつ、新しいことを始めるみたいな内容のアルバムにしたかったのね。でも、内容的には、今までのことを歌った曲が多いから、そのバランスを大切にして、結構工夫した気がするなー。例えばドラムのアレンジなんかは、レコーディングの日以外も頑張って一人で考えたり… って、こんな話、今初めてケンちゃんに言ったけど… (笑) 」 小野崎:「今それ聴いて、梅田君、やっぱ真面目なんだねって、改めて思ったよ。」 梅 田:「小学校からの同級生なのにね (笑) 」 小野崎:「でもオレ、梅田君のそういうところ、うすうす気が付いてるから大丈夫。」 梅 田:「あ、ありがとう。で、そんなわけで…」 2 人:「 (爆笑) 」 梅 田:「この流れで進められる訳ねーよ! (笑) 」 小野崎:「まあまあ (笑) 。とにかく、10年後に今回のアルバムを聴いたら、本当に、何とも言えない感覚になると思うんだよね。すげー恥ずかしかったり、泣きたくなるようなことがあったり… そういう一個一個を刻んでるっていうか、一歩一歩、歩いてきた中で、できたアルバムだね。」 梅 田:「ってことは、“今”っていうリアルを出せたってことじゃん、このアルバムで。それはすごくいいことだよね。ぜひ聴いて下さい、って感じだよね。うん、だって聴いてもらわないと、わかんないもん (笑) 。」
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泉 明宏 (ボーカル&ギター) ―以下、“泉” 新尾 恭弘 (ベース) ―以下、“新尾” 松野 詩織 (ドラム&コーラス) ―以下、“松野” 1年目は2次審査で惨敗。 2年目は「調子に乗って、痛い目を見た」 泉 :「僕らが閃光ライオットに応募したのは、閃光ライオット2008の決勝に、Brack Topっていう、大好きな地元の先輩バンドが出てて。それを観て、『あんなすごい場所でできるんや』って。で、『俺らもやったろか』ってことで、2009年の閃光ライオットに応募したんですけど…」 新 尾:「2次審査で惨敗 (笑) 」 泉 :「Brack Topには、2次審査で『お、いいね』みたいなことを言われたら行けるって言われてたんやけど… 行けなかった (笑) 。それから次の年、2010年の10月に、自主制作のアルバムを作ったんです。その収録曲の一つが、その頃から、周りのバンドマンとかライブハウスの人に評判がよくて。で、『これで行かれへんかったらもうアカンな』って言ってたんですけど… なんだかんだ、決勝まで行っちゃいましたね。その曲が、『桜色ノスタルジック』です。」 松 野:「まあ、さすがに今年は行けるんちゃうかって思ってたけど…… (笑) 」 泉 :「ぶっちゃけ、ちょっと調子には乗ってましたね (笑) 。でも、3次審査まで行って、初めてライブ審査に出てみると… やっぱりみんな、熱意とか、クオリティーとかもしっかりしてて。『あ、自分たちと同世代で、頑張ってる子らがこんなにもいっぱいおったんや』ってことに気づけたのが、すごく嬉しかったですね。それまでは、ライブハウスでやってても、先輩ばっかりで、横のつながりがあんまりなかったから、そうやってワイワイできるのが楽しくて。BURNOUT SYNDROMES (閃光ライオット2010ファイナルに出演。大阪出身の3ピースバンド) とは、閃光に出る前から仲がよくて、『一緒に決勝に行こうや』っていう話をしてて。結局、本当に一緒にファイナルまで行けたんで、すごく嬉しかったですね。ただ、何が悔しかったって言うと、何であいつらと同じ…」 新 尾:「同率で準グランプリやねんと (笑) 」 泉 :「そう! (笑) しかも、ファイナリスト発表の時にもカマかけられたんですよ。ファイナリストって、ラジオで、2日くらいかけて発表してたじゃないですか? で、先にあいつらが発表されてて。そしたらBURNOUT SYNDROMESのメンバーから『今年はもう、関西の枠はないらしいで』っていうメールが来て。それですっごい落ち込んでたら、ラジオで僕らの名前が呼ばれて… (笑) 。あの日の放送は録音してたんで、その後、何回も聴きました。聴いてるだけでテンション上がったんで。」 松 野:「ファイナル当日のことで覚えてるのは… 物販かなあ。ホント、めっちゃ並んでくれてたよね。開場した瞬間に、ダッシュで私たちの物販コーナーに並んでくれて。」 新 尾:「うん、ステージの前の方に行くとかじゃなくて、スグにこっちに来てくれて。」 泉 :「確かにこれ、めちゃくちゃうれしいことなんですけど、そうやって並んでくれたんで、実を言うと自分たちのLIVE以外、ほとんど見れてないんですよね。ずっと、CD買ってくれた人に『ありがとうございます!』って言い続けてて。」 新 尾:「他のアーティストが見られなかったのはもったいなかったけど、並んでくれるのは本当にありがたくて。」 泉 :「そうそう、あの日、初めて、サインというものを求められて。1日で多分、3〜400人くらい書いたんちゃうかな。うちわとかクリアファイルにも、サインをして下さいって頼まれて。1日でめっちゃ上達したよな、サイン書くの。」 松 野:「わかるわかる! サラサラかけるようになったよね (笑) 。あと、Tシャツに書いてくれってお願いしてくれる子もいて、自分で『なんかプロっぽい!』って思った (笑) 。嬉しかったな。」 泉 :「あ、この場を借りて、言わせて下さい。あの時は本当にみんな、ありがとうございました!」 松野&新尾:「ありがとうございました!」 泉 :「で、当日は……… 自分たち的には納得のいくLIVEができてなくて、すごく悔いが残った。野外でLIVEをやったのも初めての経験で、もうちょっと事前に対策を練っていろいろ準備をしとけばよかったなって。それこそホントに、余裕ぶっこきすぎて、痛い目をみたっていうか。ただ、1万2千人を前にして… あの景色はすごくよかったんですよね。だからこそ、めっちゃ悔しかった。あの景色を前にして、もっとできたはずやのに、ものすごいもったいないことをしてしまった。だから、出番の後はものすごいヘコんでたんですけど、それでも、『LIVEよかったです! CD下さい!』って声が途切れることがなくて。それを見ているうちに、落ち込んで、しょぼくれた顔をしている場合じゃないなって思いましたね。」 ファイナルステージでぶち当たった“壁”。 「頑張ってないのに、評価だけが上がっていってモヤモヤしてた」 泉 :「準グランプリをもらえたのは嬉しかったですけど、やっぱ悔しかったですね。グランプリじゃなかったから、っていうのもありますけど、何より、もっとできたはずだって思っちゃって。」 松 野「正直、賞をもらえる演奏じゃなかったと思ってる。でも、賞をもらうことで、いろんな人に知ってもらえたのは、本当によかった。」 泉:「“閃光ライオット2010準グランプリバンド”っていう肩書みたいなのがついてから、ホームページにも、それまででは考えられない量のメールや書き込みが届いたり。それも、『去年の閃光ライオットで聴きました!』『閃光ライオット2010観に行きました!』ってタイトルのものが本当に多くて。ライブでも、10代のお客さんが本当に増えたと思います。でも、それも悩みだったんですよね。閃光ライオットのファイナルでは自分たちの思う演奏ができなくて、自分たちの壁にぶち当たって。それなのに、応援してくれる人はたくさん増えて… 頑張った分だけその評価がもらえるのなら嬉しいんですけど、頑張ってないのに、評価だけが上がっていって… すごく、モヤモヤしてましたね。」 松野:「あったね、すごく。」 泉 :「閃光ライオットに出たことで、自分たちの甘さを本当に思い知らされて。そこからは意識を変えて、めちゃくちゃ練習するようになりましたね。自分たちはそれまで、ぬるま湯につかってたんやなって。それから最初の一カ月くらい、とりあえず、練習だけを本気でやる期間を設けて、必死でやってました。めちゃくちゃしんどかったんですけど、慣れてくると、本当にちょっとずつですけど、上達して、自信がついてくる喜びを知ることができて。やっぱり、努力した分返ってくるじゃないですか。そうなると本当に…」 新 尾:「『なんで今までオレたちは、コレをやってこなかったんや?』って。」 泉 :「ホントにそう。じゃあ、もっとやっていこうやって。で、一個壁を超えると、また次の壁が見えてくる。それを繰り返していると、どんどん楽しくなってくるんですよね。次にはどんな壁があるんやろう、とか、それを壁を超えた時の自分はめっちゃカッコいいんじゃないか、とか。それをずっとやってきて… だから、これは自信を持って言える。オレたち、去年とは違いますよー (笑) 。」 松 野:「うん、全然かっこよくなったよ。ホンマに。」 2ndミニアルバム『Parallel』 「壁にぶち当たっている人に聴いてほしい」 泉 :「6月1日に、パラレルというミニアルバムを出させてもらったんですけど、本当に、1年前の自分たちとは違う、力強い作品になってて… 2曲目に『ありのままの青い星』っていう、バンド名(“Naked blue star”を直訳すると、“ありのままの青い星”)をそのまんま使った曲があって、冒頭に“1年前を思い出してみる”っていう歌詞があるんです。ホント、1年前って、それほど前の話ではないけど、それでもその時間の中で、僕らは確かに、壁を一つ一つ乗り越えてきてて。アルバムのタイトルは、“パラレルワールド”からとってるんですけど、並行する“もう一人の自分”に向けて、“大丈夫だよ”って背中を押してあげられる作品になってると思います。そういう意味では、自分たちに向けて書いた作品でもあるんですよね。まさに自分たちが壁にぶつかって、その中で見つけてきたものを音楽にしたというか。」 新 尾:「やらないで後悔するよりも、やって後悔しようって。」 泉 :「うん、やって後悔したら、そっから次が見えてくる。このアルバムは、壁にぶち当たった時に聴いてほしい。」 松 野:「そう、そんな時に、みんなの背中を押してあげられるようなアルバムやと思う。」 泉 :「特にその『ありのままの青い星』は、諦めないで、夢に向かって突き進む曲なので、僕ら世代には響くんじゃないかなって思います。」 松 野:「そういえば今年も、閃光ライオット2011が開催されるけど…」 泉 :「ホントに… もっかい出たい (笑) 。応募したかったなー。バンド名変えて。」 松 野:「覆面とかしてね (笑) 」 泉 :「僕らも先輩に憧れて出たんですけど、実は、地元で、僕たちに憧れて応募したっていう後輩がいて。嬉しいけど、照れくさいですね。でも、一応“先輩”として、これから参加するみんなに何か言ってあげられることがあるとすると… 自信を持つことですかね。僕らも普段はボケーっとしているんですけど、ステージに立ったら…」 新 尾:「スイッチを切り替えてね。」 泉 :「そう。ステージの上では、『オレはカッコいいんだぜ、お前らには負けないんだぜ!』っていうのを、第一に考えた方がいいと思います。たとえそれが間違っていたとしても、自信を持ってやっていれば、全てカッコいいと思うんで。もちろん、エラそうにしろって訳ではないから、努力は惜しまずに、精一杯頑張ってほしいですけど。あとは純粋に、音楽を楽しむことですかね。友達とスタジオに入って、音を一緒に鳴らした時の、あのなんとも言えない感じ。『すっげえ楽しい!』っていうあの…」 松 野:「ガーンとくる感じね。うん、そやね、楽しんでほしいね。楽しい! って思えば、輝ける!」 泉 :「うん、僕らが言うのもなんですけど、失敗とか気にしないで (笑) 。失敗しても、すぐに前に進むことが大事だと思います。自分に自信を、そして、純粋に音楽を楽しむことをモットーに、頑張って下さい! あと、僕らはまだ、兵庫県の尼崎に住んでいるんですけど、今は月一で東京にもLIVEしに来ているので、LIVEにも、ぜひ遊びに来て下さい!」
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石田愛美 (ギター&ボーカル) ―以下、“石田” 坂本タイキ (ドラム) ―以下、“坂本” 沖田笙子 (ベース) ―以下、“沖田” 「どんな演奏をしたか、全く覚えていない」 100万円は「遊んで消えました」 石 田:「閃光ライオットに応募したきっかけは、バンドを結成して2年くらい経った高3の夏に、仲のいいライブハウスのPAさんから、『“閃光ライオット”、出てみませんか?』って言われて。」 沖 田:「で、気が付いたら、ビッグサイトのステージに立ってた。」 石 田:「うん、日本一になろうとも思ってなかったし、なれるとも思ってなかった。」 坂 本:「応募したのはあと、タダだったしね。タダで東京に行けるって、スゲーいいことだよ。」 石 田:「うん、ウチら、田舎もんだしね (笑) 。で、それくらいの気持ちで応募したら、トントン拍子で… ファイナルの本番はどうだった?」 坂 本:「野外でドラムを叩いたの初めてだったから、すごく気持ちよかった。解放感があって。」 石 田:「音が遠くに飛んで行ってたよね。」 沖 田:「そしたら、目の前にあるビルからすぐに跳ね返ってくる。」 石 田:「天然の“ディレイ”がね。当日、どういう演奏をしたかは全く覚えて無くて。“1万人がこっちを見てる!”ってことばかりに頭がいっちゃって、自分の演奏に全く集中できなかった。あと、暑すぎて、必死だった。グランプリ発表の時は、まさか、自分たちが選ばれるとは思ってなかったよね。どうせ何もないと思って、ステージの後ろの方に立ってたし。ただ、とーやま校長に『THE★米騒動!』って呼ばれた時にパッと浮かんだのは、やっぱり100万円のことだよね。」 坂 本:「ソッコー、金のことが頭にポーンと。『いっぱい遊べるー!』って。『3人で割ったら33万かー』とか、冷静に計算してたよ。」 沖 田:「ヤな計算するよね (笑) 。だってそれまで、楽器屋さんで2万円のエフェクターを買っても、『高いなー』って思ってたけど、そんなの楽勝で買えちゃう値段だからね。」 石 田:「2万円のエフェクターだったら、15個買えるよ (笑) 。で、100万円は結局3等分して振り込まれた訳なんですけど、ウチはパソコンを買って、機材を買って、あとは………雑費。」 沖 田:「雑費、デカいよね。」 坂 本:「デカい。オレは結局、遊んで、全部消えました。」 石田&沖田「 (笑) 」 “解散”を越えて。 「クソみたいなライブばっかりしてた」 石 田:「閃光ライオットに出た後は、本気で解散するつもりだったんですけどね。そもそも、ウチらは高校の軽音楽部で結成されたバンドで、その部活を引退した後だったんですよね、閃光ライオットのファイナルがあったのは。部活が終わって、その後はみんな違う進路を考えていたから、解散は自然な流れで。私も、東京の大学に行こうと思ってたし。でも、閃光ライオットでグランプリを獲った後は、自分たちのバンドを続ける理由が、前と全然違っちゃったんじゃないかって。それを3人で相談して、結局『バンドは楽しいし、もうちょっと続けてみようか』って。…うん、特に熱い話があるわけではなく、ヌルたい感じで『じゃあ、もうちょっとやろっか』って (笑) 。」 沖 田「その後は、月イチくらいのペースで東京にライブをしに来るようになったんだけど…」 石 田:「ホントに、クソみたいなライブを何回もしちゃって。」 坂 本:「最初の方はね。」 石 田:「東京に来るっていうことに対して、テンションが上がっちゃって、クソみたいなライブばっかりしてた。」 坂 本:「気合は入ってたんだけど、完全に空回りしているライブを何回もやって… 順風満帆ではなかったよね。何回も挫折したし。」 石 田:「うん。それを繰り返しているうちにライブへの意識も変わってきて、ちょっとずつよくなってるかなって思ってたんだけど… そんな中、いきなり『大阪でくるりとツーマンやりませんか』って話が来て。あれも超テンパっちゃって。もちろん、話を聴いたときはその場で叫んだくらい嬉しかったんだけど… だって当日、くるりのメンバー全員が私たちのリハをずっと見てるんだよね。イスに座ってじっとこっちを見てて。」 沖 田:「視線がすごく痛かった (笑) 」 石 田:「ホント、死ぬかと思ったよね。人生で最大に緊張したリハだった。」 坂 本:「間違いないね。で、その日のライブも… あんまりだったよね。」 石 田:「中途半端だったね。ファンダンゴ (※当日のLIVEハウス。大阪・十三FANDANGO) ってハコにも最後まで慣れなくて… ハコにも順応できず、大阪のくるりのファンの皆様にも順応できず…(苦笑) 」 坂 本:「あの日もやっぱ、から回った感じはあったなー。」 沖田:「気合だけで行っちゃった感じがね。」 坂 本:「今、あの日に戻ってもう一回やりたいよね (笑) 。じゃあ、もっといいLIVEができるのに、って。…まあ、そんな後悔ばっかり、挫折ばっかりだけど。それが成長に繋がってるんじゃないかって思います。」 石 田:「なんか、湿っぽいコメントになっちゃったね (笑) 。」 6月15日リリース『どうでもいい芸術』 「満足のいくものができた。とにかく聴いてほしい。」 石 田:「CDをつくろうっていう話になったのは、12月くらいだっけ? そこから、みんなでいろんな相談をして。とりあえず、私たちにとって初めての全国流通のアルバムだから、名刺的なアルバムを作れればいいなって。それで、『じゃあ、LIVE感を出したいね』って話に。だから今回、書き下ろしは全くしないで、LIVEでやり慣れている7曲を、LIVEのセットリストに沿って入れ込んだんだよね。レコーディングも全部、一気に一発録り。…実は、当初は違う方法で収録してたんだけど、全然うまくいかなかったんだよね (笑) 」 沖 田:「全然勢いが出なかった (笑) 。」 石 田:「で、最初に録ってもらった素材は結局、全部録り直し。スタッフの人にも迷惑をかけたんだけど、完成した音を聴いたときに、結果オーライだったんじゃないかって。ウチらが言ってた“LIVE感”をすごくうまく出せてて。他にも、いろいろ工夫したよね。ウチらは変な曲が多くて、メンバー同士でアイコンタクトをしながら演奏しないとタイミングが合わないから、それぞれのパートを別個に収録できないんだよね。だから、収録の方法もその場その場で考えて。…でも、最終的に完成した作品は、満足いくものになったと思います。」 坂 本:「すごいいいです。ぜひ聴いてほしいなと。閃光ライオットでボクらのことを知ってくれた人も、まだボクらのことをよく知らない人もいると思うんですけど、あれからだいぶ成長してるし、このアルバムには、閃光でやってない曲もいっぱい入っているから… もう、今の“米騒動”を知るのにもってこいの一枚だと思いますね。今の我々の音楽を体感してほしいと思います。」 沖 田:「ホント、できるだけのことは、全部やったよね。ジャケットの仕様とかもすごくこだわったんで、そういうとことも、見ていただければと。」 坂 本:「うん、ボクらの一個したの高校3年生の男の子が描いた絵なんですけど、コレもぜひともチェックしてほしいです。」 石 田:「あと、CDの帯から、ケースの中のいろんなところまでこだわったんで…」 坂 本:「とにかく、こだわりぬいたボクたちの1枚を (笑) 、楽しんでください。」 とんでもない速度の中で。 「毎日、本当に楽しい」 石 田:「ここまで来るのが、本当に早くて。半年前までは、解散するとか本気で言ってたのに。でも、それからは、自分たちが考える暇もなく物事が転がっていくし、技術よりも、知名度の方がパパパーッと上がって行っちゃって。」 坂 本:「戸惑ったよね。」 沖 田:「ついていくだけで必死で。本当にずっとバタバタしてて、気が付いたらこうなってましたって感じだったね。」 坂 本:「でも、毎日本当に楽しい。周りのスタッフの方も、みんな親身になって、俺らの、“米騒動”ってバンドのことを考えてくれてる。日々感謝。自分たちのやりたいことだけやらせてもらえるって環境は本当に… 本当にありがたいって、最近よく思いますね。」 石 田:「うん。これからは、とりあえずLIVEを重ねることしかないと思うんですけど… このリリースが通過点でありたいしね。今回リリースしたアルバムを聴いた人に、ぜひともLIVEに足を運んでほしいと思います。」 坂 本:「日々進化し続けるボクたちの姿を観に。」 石 田:「いいこと言うね (笑) 。」 坂 本:「CD、売りたいからさ。音源を手に取って、聴いて、覚えてもらって。で、音源とLIVEは全く別のものなので、LIVEで東京に行った時とかは、ぜひ足を運んでいただいて。LIVEにはあんまり行かないって人もいると思うんですけど、この機会に、聴きに来てみるのもいいんじゃないかと。」 沖 田:「LIVEでしか伝えられないことって、本当にたくさんあるからね。」
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閃光ライオット 最初は、ギターのとみなはん (トミナカナミ) が応募しようって話を持ってきてくれて。ドラムのともさん (イワタトモミ) とうちは、あんまりそういうのにもともと興味なかったんですけど、お金がもらえるって言われたから、「あ、お金ほしいー」って言って出てみたら、気づけばすごいところまで行ってしまって (笑) 。そこからいろんなつながりもできたし、自分にとって、すごく大きなきっかけになりました。最近は、閃光出身で活躍している人たちがたくさんいて。ウチよりも年下が多くて、すごいなーって思ってみてます。いずれは、つながりのある人たちとで、一緒に何かがやれたらいいなーって。 そらに 映画「ソラニン」のコンピレーションアルバムに、「そらに」を大抜擢していただいたんですよね。すごいのに参加させていただいて、感謝してます。正式なお話をいただく前にメンバーの3人で、「『ソラニン』の主題歌が『そらに』やったらおもろいなー」みたいなことを言ってたんですけど、そしたらある日、本当に電話がかかってきて、びっくりしました。まさかと思って (笑) 。このつながりで、アジカンのゴッチさんとかが、YeYeのほうも応援して下さって。閃光に応募した頃からは想像できないですね。閃光の3次の時なんか、まだあの曲、2回くらいしか練習してなかったし (笑) 。 YeYe 去年から活動を初めて、今は、京都、大阪… たまに関東でも、ライブをしてます。concentrate on poppingは、ギターはギターが考えて、ドラムはドラムが考えて… という感じでつくっていて、それもすごく楽しいんですけど、自分一人で表現したいこともあって。YeYeの場合は、CDの音源は全部一人でいろんな楽器を演奏してます。 ソロに関しては、1年目は、“橋口なつこ”って本名でやってたんですけど、やっぱり、concentrate on poppingのソロではなく、全くの別プロジェクトでやっているということが表現できるように、新しく名前をつけようと。それでいろいろ案が出たんですけど、私は、AKB48が好き! みたいなのと同じレベルで、“おじいちゃん萌え”なので (笑) 、中国語で“おじいちゃん”という意味のYeYeという名前をつけました。 YeYeはまだ始まったばかりなんですけど、いろんな楽器を使ったり、いろんなジャンルの人たちと一緒にやったりしながら、一つのプロジェクトとして、いろんなものを表現していきたいなと思います。 みんなへ YeYeの名刺代わりに、音源をつくりました。3曲入り。このCDは、ライブハウス会場限定で売ってます。ちなみに、バッジもあります (笑) 。よかったら、よろしくお願いします。 あと、これから、梅雨入りですので、風邪を引かないようにお気を付け下さい。
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