ある夜、東の空に、大きな「月」が貼りついていた。
しばらく、どんより時雨の東京だった事もあって、
いつもより長めに立ち止まっては、再会の望遠。
どこかのエライ学者さんが言ってた事象が脳裏をかすめる。
「あの月は、時速3600キロってスピードで動いてる。」
音の速さの3倍ってスピード。
ゆっくり止まって見えるのは、この足元にある「地球」って天体も、
尋常じゃない速度で動いてるからだと。
僕らの立つこの星が歩く速度は、時速にして約1600キロ。
振り飛ばされないのも、月がどっかに吹っ飛んで行かないのも、
「万有引力」の成せる技。
そんな科学の摂理とは、まったく別次元のイメージ世界で、ふと思う。
僕らの「世界」はあまりに狭く、あまりに小さい。
いつも通りで、変わらず必死な日常は、
時速1600キロという猛スピードの乗客である事すら、忘却の彼方に追いやってしまう。
「知らない事」は、自分の「世界」の中では、ほぼ「無」に等しい。
「知らない人」が、その生涯に幕を落としても、その悲しみは「無」に等しい。
「無」は「関係しよう」という「心」を奪い、合わさって「無関心」という化け物を生む。
「無関心」は、いつしか、「愛」の反対語と呼ばれるようになった。
もちろん、こうしてる今も、飢餓、犯罪、事故、戦争その他多くの理由で、
瀕死の「世界」の全ての悲しみを想って生き抜く程、人の心はタフに出来ていない。
「無関心」でなければ、僕らの「小さな心」は生き抜けないと、
その覚悟と摂理を周知した上で、それでも人は「愛」を、叫ぶ。
その「人」の“矛盾”に拍車をかけるように、僕らの「母星」は、時につまづいて見せる。
時速1600キロのツマヅキだ。その“揺れ”の影響は、時に乗客に甚大な被害を及ぼす。
2010年、日本時間の1月13日に、遙か東方の空の下で、大規模な地震が起こった。
あの月の下で、1ヶ月以上経った今も、大勢の「知らない人達」が、
その生涯の灯を消して行く。その数、およそ20万人以上。
地球のツマヅキが、涙との代償で、「無関心」という化け物に、「愛」を投じる瞬間を生んだのなら、その瞬間を出来る限り逃さぬようにと、今、静かに、強く、祈る。
遙か彼方の被災地。「ハイチ」。
若き世代にとっては、名前さえ知るものの、もちろん遠くの「世界」。
遠くて遠くて、直接、手を差し伸べても届かないなら、声を出す。
1人の声で届かないのなら、数人で叫ぶ。
それでも届かないのなら、数百人、数千人が声を合わせる。
そのために「歌」が生まれ、そのための「音楽」が力を集める。
動かずとも「想う」だけでも、「知る」だけでもいい。
その小さな「世界」に、もし少しでも“何か”が生まれたのなら、
彼らのメッセージを受け止めて見て欲しい。