2019年7月3日

愛媛県大洲市三善地区の自主防災の取り組みについて?

今朝は昨日に引き続き、1年前の西日本豪雨で被災しながら、一人も人的被害を出さなかった町、愛媛県大洲市三善地区の“自主防災の取り組み”について、お伝えします。



(平時の肱川)


(三善地区)


(西日本豪雨の時の三善地区)


去年7月の西日本豪雨、三善地区は、肱川とその支流の氾濫で、広い範囲が浸水、避難場所に指定されていた「公民館」も浸水しました。その時、住民の命を守ったのが、地域の住民が自分たちで考えて決めたという、“自主防災”による避難行動でした。

三善地区自主防災組織・本部長、祖母井玄さんによると、三善地区では全住民に“2枚のカード”を配布しているのだそうです。


◆「『災害避難カード』と『ハザードマップ』」

「これですね、一つは『災害避難カード』という、名前とか性別とか血液型、生年月日、住所、電話番号、持病があればどんな薬飲んでるかとか、そういうなことを書くような欄を作ったんですけど、それから『ハザードマップ』については、誰を気をつけるか、誰に声かけしていくかとか、どこに避難するかとか、どの時点で・・・ま、いま5段階になりましたけど・・・どの時点で逃げるかというのを皆で話し合って作り上げましたですね」



(ハザードマップ「わたしの避難行動」)


(災害避難カード)


地域独自で作った「ハザードマップ『わたしの避難行動』」。危険な場所だけでなく、避難行動を始めるタイミングや場所、さらに誰が誰をケアして避難するか?まで記しています。ほとんどの住民はこれを冷蔵庫などに貼っているとか。そして三善地区の住民は、いざ災害が起これば、自分のことを細かく記した「災害避難カード」を首から下げて避難をします。

“暴れ川”と呼ばれる肱川が流れる町とはいえ、ここまで自主防災が進化したのは、いつ、どんな経緯からなのでしょうか?


◆「地区の自主防災の取り組みが、国のモデル事業に」

「防災の規約、組織ができたのが平成18年。この頃は多分この地域というだけではなく色んな所で作ったと思うんですが、その後やはりそういった水の危機意識があったものですから、それじゃいかんというのことで、平成27年4月に「防災計画書」を作ったんですね。みんなで作りました。それは他の地区よりも早かったもんですから、県から“じゃあ国のモデル事業に応募しよう”ということで、全国で4箇所か5箇所ぐらいあったはずですけど、そこに応募しようかっていう話になりまして、まあ4箇所か5箇所ですから応募しても無理かもしれんなーとか言いよったんですけど、そしたらウチが指定されたもんですから、じゃあやりましょういうことでワークショップを開いて、最終的には避難カードを作りましょうということで、首からぶら下げて逃げ込みましょうというそれを作り上げたんです。何を持ってくとか、誰を気を使うとかですね、そういうのを全部入れて作り上げました。けれどまあそれが2年後にこんなことになるとは思わんかったですけど」





この自主防災の形を作った2年後に西日本豪雨が起き、肱川やその支流の氾濫で、避難場所に指定されていた公民館までが浸水する中、全住民60人が、より高台の四国電力の建物に避難。一人の犠牲者も出さず、命を守りました。

地域の災害リスクを皆で見直し、具体的に対策を考え、そして住民たちは、全員が躊躇せずに避難行動をとる。
この“自主防災”の取り組みと向き合い方こそ、いままさに全国各地で参考すべき時が来ています。

2019年7月2日

愛媛県大洲市三善地区の自主防災の取り組みについて?

西日本豪雨から1年。いままたあの時と同じ気圧配置となり、西日本に大雨をもたらしています。今週は、去年の西日本豪雨で大きな浸水被害を受けながらも、人的な被害をまったく出さなかった、愛媛県大洲市三善地区の取り組みについてお伝えします。

三善地区を流れる1級河川、肱川とその支流が氾濫して、町は広い範囲が浸水。避難所に指定されていた「公民館」も浸水しましたが、地域の住民が自ら考えて決めたという“自主防災”の取り組みが、住民の命を守ったといいます。

お話を伺ったのは、三善地区自主防災組織の本部長、祖母井玄さん。まずは1年前、豪雨の時の三善地区について。

◆「湖みたいに白波を立てて押し寄せた」

「もうその時点で水かさが増えてましたし、これ以上降ったら堤防、越流するだろうなっていうのは危惧してたんですが、案の定6日7日と相当降りましたもんですから、それと内水の関係ですね。樋門を閉めましたので。肱川はけっこう支流が多いんですね。540とか全国でも相当多い部類ですから、その分、肱川がある程度のところに来たら、樋門=水門を閉めてしまうわけですね。肱川本流の川が逆流してこないように閉めてしまうんですけど、閉めてしまうと今度は支流の川の水がどんどんどんどん増えてきて逆流する。越流もとうぜんしましたけど、9時半ぐらいだったですかね、堤防を越えてしまって流れてきた。ですからこの避難所、公民館の避難所のところは、湖みたいに白波が立って、ここらの田舎ですから、畑に例えば野菜とかスイカとか植えてあるんですが、もうスイカが浮くような状態な感じで、住んでる方は気になって家に出たり入ったりしてですね、“危ないよっ”て言うんですけど。水も濁ってますからね。行ったらいかんと言うんですけど、やっぱ気になるようで行ったり来たりしよりまして、もう水かさはやはりどんどんどんどん増えてきました。そういう状態やったですね」



(ふだんの三善地区。田んぼは水没し、湖のようになったといいます)


1級河川の大河「肱川」の水が、支流に逆流してこないよう、樋門=水門を締めたことで、支流の水が溢れ、最終的には肱川の水も堤防を越えてくるという最悪の状況。田んぼは水没し、1メートル以上浸水した家もあるほど。さらには指定の避難場所になっていた「公民館」も浸水して孤立するという、危険な状況に陥った三善地区。

1年前に住民の皆さんがとった“避難行動”とは、どのようなものだったのでしょうか。


「4時半にここ(公民館)の所長とか来まして、私たちも隣に流れてる和田川の方を見たりとかですね、で、“これはいかんな”と思って、ここに最短コースで来ようと思ったんですけど、もう浸かってしまって行かれないんで、ちょっと山の方に上がってここまで出てきた。で、ここ避難する指定場所ってのは小学校と公民館と2箇所あったんですけど、小学校は絶対浸かるからダメだと。地震なんかだったら体育館があるからそっちがいいんでしょうけど、水の場合は駄目だということで、ここの公民館の2階を、指定の避難場所にして、上がってもらったという。で、これを呼びかけたのはですね、こちらには独自の有線放送ってのがあるんです。市の防災無線とは別にですね、この地区で「避難場所こちらです」とか「公民館の2階に集まってください」、で、全戸に「避難カード」と「ハザードマップ」作って配布してましたので、「避難カード」は首から吊るすようになっているんですが、それを着けて、こちらに避難してください、逃げてください、という形で何度も呼びかけました。それから、“孤立するのが危ないんじゃないか”ということで、ま、いろんな情報が入ってますから。道の駅の車が流されたとかですね、そういう情報ですね。これは“ここも孤立してしまうだろう”ということで、この奥にちょっと高台の四国電力の変電所がありまして、で、移動しようということで、健常な人は歩いて行ける。ちょっと足が、とか高齢者の方は、車に積んで移動させたということです。60名ぐらいが避難したですね、そこに」


(平時の肱川)


(避難場所に指定されていた公民館)


(公民館から100mほど向こうに見える四国電力の建物)


これまでも氾濫を繰り返してきた肱川。水が堤防を越えるた時、どこが危ないか、どこへ逃げたらいいか、いちばんよくわかっている地域住民が、マップを作り、避難の周知、ケースによる避難パターン、人の導線など、いざという時の避難行動を、日ごろから話し合っていたからこそ、全住民がともに避難行動を行なうことが出来たのではないでしょうか。

近年、日本では毎年のように豪雨被害が起こります。こうした“自主防災”の取り組みは、今後、全国に広げていくべき取り組みなのかもしれません。
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パーソナリティ 鈴村健一

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