2014年10月23日

10月23日 住民が描く町のかたち〜女川町の町づくり4

来年春に完成するJR石巻線・女川駅を中心とした新しい町作りが進む、女川町。

「町づくり会議」では、住民の声が直接 行政に届き、様々なアイデアが形になろうとしています。
その一つが、子どもたちが通う学校の在り方です。

町づくり会議のメンバーで、地元・女川のかまぼこ店の四代目、高橋正樹さんに伺いました。

◆女川を担う子どもたちのために
民間と行政の思惑が合致した例の一つ。あそこが女川中学校でかまぼこ屋根の手前にあるのが女川小学校。僕の母校だがその時1学年5クラスあったが今は子どもが減って1クラス2クラスで間に合っちゃう。行政的には維持管理費がかかるということでいったん建物をなくし、小中一貫校のコンパクトなモノを作ることになった。どのみち爆発的に人口が増えることはこの町ではありえない。我々からすると子どもたちは宝物なので、つらい目にあったからこそ夢をかなえてほしい、震災があったからあきらめましたとは言ってほしくない。夢をかなえてほしいが、頭が良くなればなるほど東京へ出て行ってしまうのは事実。なので小中一貫校のカリキュラムの中に郷土愛の醸成がはいっている。一時的に離れていても戻ってこようかなという時に、女川の町に貢献する、頑張れる仲間として帰ってきた人材が女川の町を強く大きくしてくれる。そういう素地を小中学校の教育プログラムに取り入れようという前向きな意見が出ている。




元々減っていたという女川町の小中学生の数は、震災の影響もあり、現在およそ600人ほど。学校も廃校・合併で小中1校ずつです。ただ、この小さな町の子どもたちは、町の未来を、大人以上にしっかり見据えていると高橋さんは話します。

◆子どもたちの目線の先には・・・
女川の中学生が計画・実現した「いのちの石碑」。これは津波がここまで来たという目印として二十数基を設置して、1000年後に大津波が来ても一人でも多くの命が救われるようにというプロジェクト。すごいなと思う。中学校の彼らが、旧女川交番を震災遺構として残したいと意見も出してきている。震災を彼らなりに捉えて、こうあるべきだという考えは持っていては大人がビックリするようなこともやり遂げている。「このプロジェクトはいつまで続けるんですか」と石碑の除幕式で記者からマイクを向けられた女川の中学生が、「1000年後に誰か一人でも助かればその時に終わります」と言いましたからね。俺ら大人は20年後・30年後くらいしか考えられない。でも彼らは1000年後を考えていた。ゾワゾワっと来た。これは負けてらんねえなと。「子どものために」なんておこがましいんじゃないかなと思う。命の石碑プロジェクトでは、彼らは自分たちで1000万円を集めたんです。すげえなと思いましたね。

      

「いのちの石碑プロジェクト」は、震災当時小学校6年生だった子どもたちが中心となり、3年間考え、実行したプロジェクト。町にある21の浜に、石碑を建てる計画で、現在も進行中です。生徒たちは最初、地元で「100円募金」を呼びかけていましたがそれが、全国・海外からの支援につながったということです。

☆いのちの石碑プロジェクト


明日は、今回インタビューした、高橋正樹さんが四代目をつとめる、女川町の蒲鉾店と、東日本大震災についてお伝えします。

2014年10月22日

10月22日 住民が描く町のかたち〜女川町の町づくり3

宮城県・女川町の、復興・町づくりの「いま」をお伝えています。

2015年春に、JR石巻線・女川駅が完成。津波被害で運休している石巻線の浦宿〜女川間の運行も再開されます。


※建設中の女川駅舎

新しく生まれ変わる女川駅は、駅から海へまっすぐ向かうプロムナードがあり、その先には、水平線を登る朝日が臨めるようになるそうです。

この「海」という存在は、女川のこれからを考えるうえで欠かせない要素です。町づくり会議のメンバー、高橋正樹さんに伺いました。

◆海とともに生きる町に
スーパー堤防を作ろうと宮城県からお達しがあったが、いち早く「いりません」と女川は言った。漁業者は空を見て海を見て、船を出すか出さないか、どこに漁場があって魚がどこに移動しているか考えて漁へ出る。それが海に出ないと分からないのでは、海の町としてあり得ない。これだけの津波が来て思うのは、完全に防ぐことはできないということ。ならば命を守る、財産を守る、高台に町を作る済むところを作る。防災というより減災、免災という考え方でいつでも海を見て津波から逃げられるような体制にしたほうが大事なのではということを優先して女川はそういう方向で行くと町長がいち早く断った。女川の海の景観、リアス式海岸の風光明媚なところを生かした観光をするのに海が見えなかったらどうしようもないということで、明確だった。女川はシンプルな町で漁業しか産業がない。専業も兼業も農家もない。漁業さえなんとかなればこの町は復興するというシンプルな産業構造なので、我々も考えることを絞り込めるし、女川でよかったなと思う。間違いなく言えるのは女川の魚市場は入札価格が高い。良い魚が集まる。女川の魚市場に入札する人たちは目利き衆のかたまり。女川で漁業するということはある程度差別化ができている。儲かる漁業というのがこれからのテーマで、震災前から言われていたが漁業の在り方も考えなければいけない。町の在り方と同時進行で進めている。


そして今、女川では、震災後のボランティアをきっかけに、若い人たちの「移住」も増えていると言います。これはどうやら、女川で生まれ育った人たちの “キャラクター”が関係しているようです。

◆女川人は、ラテン!?
女川の人間って田舎の人間にあるまじきウエルカムさを持っている。なんだべな。人が好きなんでしょうね。漁業体験の交渉をしようとイカ釣り漁船のオーナーを訪ねると「いいよいいよ、100人?200人?」いやいや40人くらいで「じゃあ2隻で間に合うね。保険もかけとくしライフジャケットも用意しておくから」って。そのまま船の上で釣れたばかりのイカ刺食って沖漬つくって帰ってきて・・・というのを普通にやってくれる。女川はラテンだねと言われる。定住してボランティアをやっていて東京へ帰る人って結構多いが女川は人が増えている。女川の人と出会って住むことに決めましたとか。何度も通っているうちに好きになりましたとか。JR女川駅ができることで、こっちの方に移動したい、住みたいですという声がある。元々の女川の気質の良さ。ホスピタリティ精神や食べ物の美味しさをトータルで考えて、そうするという人がいる。責任とれないよと言うのだが「いや、絶対に住みたいんです」と。



お話を伺った高橋正樹さんも、取材中はまじめだけど、どこかラテンな印象のある方でした。。。ちなみに取材した日も、これから女川に移住するという神奈川からやって来た若い女性が挨拶に来ていました。

明日は、女川の将来を担う子どもたちのための町づくりの話です。
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パーソナリティ 鈴村健一

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