2014年10月27日
10月27日 南三陸 福興市1
今朝は、宮城県南三陸町から、震災を経ていまも続く「福興市」のレポートです。
きのう10月26日も、南三陸の役場前で開かれた福興市。震災直後・2011年4月の第一回以降、ほぼ休むことなく、 毎月最後の週末に開かれ賑わいを見せています。きのうでなんと通算40回目!

その福興市の実行委員長が、山内正史さん。南三陸で60年続く、鮮魚店・水産加工会社の3代目です。まず、津波が町を襲った日から、福興市に至るまでを振り返って頂きました。
◆いとも簡単に家を破壊していった。
うちのお店は役場の庁舎と、八幡川(志津川)を挟んでのちょうど向かい側にあって、本当に川のふちに建っていたんだね。海岸の別のお店も港から30mくらいのところに建っていたし、工場も同じ並びに建っていて、事務所も川のふちにあったので4カ所が全部に津波ですっぽり流されてしまった。
私は海岸のお店の2階で地震に遭い、みんなと逃げようと従業員に避難命令を出して、自転車で工場へ行った。そこにまだ2人残っていたから。うちは3階建で屋上から津波が見えるのは知っていたんだけど、そこにたまたま工場長と若い男の子が残っていて「ダメだから逃げろ」と言って戸締まりして、誰もいないのを確かめて工場を閉めて、またお店に戻って誰もいないのを確認して、役場の向かいにクルマで行った。女房と長男がたまたま私を心配して戻って来たので合流したのだが、女房が海岸のお店に財布や印鑑を忘れたというので戻ってしまった。なぜ戻れたかというと川が見れたから。チリ地震の津波を経験していたので、津波は川から来ることを知っていた。川を見ながらまだ大丈夫だと判断して戻り、金庫の鍵なども持って志津川中学校へ上がった。
高台から津波を目の当たりにしたけど、あんな地震は経験したことがないし、もうビックリしてしまって、ああ簡単に壊れるものだなと思った。うちは立派な家で(笑)耐震もしっかりしていて地震では崩れなかったのに津波は簡単に家を破壊していった。一瞬でなくなるのだなと思ったよね・・・。
山内さんが、お店や工場をなんども行き来して、避難するまでの時間はたった20分。その直後に津波が襲ったそうです。
そして山内さんは、代々ご商売をして来た自分の町が破壊される様子を、ただ呆然と見ていたわけではありませんでした。
◆商人の使命
津波を見ながら、町は全滅したと思い、でも再起しなければと思った。不思議なもので、これは全滅だけどなんとかして町を戻さなければいけないと思っちゃったのね、なんだか分からないけど。そのためには、自分一人では町なんて良くならない。たまたま私は商人だから復興市をやりましょうと。元々全国に商店街の仲間がいっぱいいて、震災前からつながりがあった。各地で商店街は昔のような勢いがなくなってしまったけど、商店の大事さはみんな分かっている。特にこういう小さな町では商店が頑張らないと。商業主が頑張らないと。だって全ての行事は商業主が中心になってやってきているんだもん。お祭りだって町の美化だってご近所の掃除だって、なんでもかんでも商店の人がやってきているんだから、その商店が頑張らないとどうしようもないからね。一人で儲けようったってしょうがないし、一人じゃ儲けられないんだよね、なかなか。田舎の町では。だからみんなでやらないと。
明日も、南三陸の福興市について、インタビューの続きをお伝えします。

南三陸福興市の情報はこちら
山内鮮魚店
きのう10月26日も、南三陸の役場前で開かれた福興市。震災直後・2011年4月の第一回以降、ほぼ休むことなく、 毎月最後の週末に開かれ賑わいを見せています。きのうでなんと通算40回目!

その福興市の実行委員長が、山内正史さん。南三陸で60年続く、鮮魚店・水産加工会社の3代目です。まず、津波が町を襲った日から、福興市に至るまでを振り返って頂きました。
◆いとも簡単に家を破壊していった。
うちのお店は役場の庁舎と、八幡川(志津川)を挟んでのちょうど向かい側にあって、本当に川のふちに建っていたんだね。海岸の別のお店も港から30mくらいのところに建っていたし、工場も同じ並びに建っていて、事務所も川のふちにあったので4カ所が全部に津波ですっぽり流されてしまった。
私は海岸のお店の2階で地震に遭い、みんなと逃げようと従業員に避難命令を出して、自転車で工場へ行った。そこにまだ2人残っていたから。うちは3階建で屋上から津波が見えるのは知っていたんだけど、そこにたまたま工場長と若い男の子が残っていて「ダメだから逃げろ」と言って戸締まりして、誰もいないのを確かめて工場を閉めて、またお店に戻って誰もいないのを確認して、役場の向かいにクルマで行った。女房と長男がたまたま私を心配して戻って来たので合流したのだが、女房が海岸のお店に財布や印鑑を忘れたというので戻ってしまった。なぜ戻れたかというと川が見れたから。チリ地震の津波を経験していたので、津波は川から来ることを知っていた。川を見ながらまだ大丈夫だと判断して戻り、金庫の鍵なども持って志津川中学校へ上がった。
高台から津波を目の当たりにしたけど、あんな地震は経験したことがないし、もうビックリしてしまって、ああ簡単に壊れるものだなと思った。うちは立派な家で(笑)耐震もしっかりしていて地震では崩れなかったのに津波は簡単に家を破壊していった。一瞬でなくなるのだなと思ったよね・・・。
山内さんが、お店や工場をなんども行き来して、避難するまでの時間はたった20分。その直後に津波が襲ったそうです。
そして山内さんは、代々ご商売をして来た自分の町が破壊される様子を、ただ呆然と見ていたわけではありませんでした。
◆商人の使命
津波を見ながら、町は全滅したと思い、でも再起しなければと思った。不思議なもので、これは全滅だけどなんとかして町を戻さなければいけないと思っちゃったのね、なんだか分からないけど。そのためには、自分一人では町なんて良くならない。たまたま私は商人だから復興市をやりましょうと。元々全国に商店街の仲間がいっぱいいて、震災前からつながりがあった。各地で商店街は昔のような勢いがなくなってしまったけど、商店の大事さはみんな分かっている。特にこういう小さな町では商店が頑張らないと。商業主が頑張らないと。だって全ての行事は商業主が中心になってやってきているんだもん。お祭りだって町の美化だってご近所の掃除だって、なんでもかんでも商店の人がやってきているんだから、その商店が頑張らないとどうしようもないからね。一人で儲けようったってしょうがないし、一人じゃ儲けられないんだよね、なかなか。田舎の町では。だからみんなでやらないと。
明日も、南三陸の福興市について、インタビューの続きをお伝えします。

南三陸福興市の情報はこちら
山内鮮魚店