2014年10月29日

10月29日 南三陸 福興市3

引き続き、南三陸 山内鮮魚店 代表、山内正文さんのインタビューです。


2011年4月の第1回以降、南三陸町では、毎月・最後の週末に『福興市』が、町の人々の力で続けられています。先週末、その回数は40回を数えました。「南三陸に、福を興す市。」 町の再建をめざし、実行委員長の山内さんは、これからも福興市を続けていくと言います。

◆必ず元に戻せる
生まれ育ったところだから、やっぱりこの町が好きなのね。自然も町並みも。だから必ず元に戻せると思っているの。何年かかるって、そんなに何十年もかかる話じゃないと思ってる。意外と本当に明日にも戻るなんて感じで(笑)頑張ってる。だから全然苦にならない。ああ、こんな町ができればいいな、あんな町ができればいいなと思っていてその通りにやろうよと、みんなで思うから。それが原動力なのかな・・・。



そして、いまちょうど南三陸町は、秋鮭の季節です。この鮭をめぐり、山内さんは震災前から思い描いていたことがあるんです。

◆大事にしたいものがあるから
鮭が遡上するのよ、ここは。昔は川が真っ黒になるくらい。うちは川のすぐ脇だから、座敷からアユ釣りとかハゼ釣りができた。お風呂に入ったり寝ていると鮭が遡上する「バシャバシャ」っという音が聞こえるぐらい。橋の上から鮭が来るのを見て、ヤスでズドン!と頭を突いていたの。震災後も鮭は来ているね。あのガレキの中を帰ってくるのだから対したもんだね。今年もやっとアユ釣りやハゼ釣りをする人が出て来たので安心かなと。今年は震災から4年目、鮭は4年で戻ってくる習性があるから、今年は全然だめかなと思ってたんだけど、意外と獲れている。今年は少ない予想なんだけど今のところ意外と戻って来てるのかな。市場にもいっぱい上がっているよ。ここは宮城県で一番鮭があがる土地。鮭はこの土地の自慢。だから鮭で町おこしをしたいなと昔から色々やっていてね。だってなかなか町の真ん中の川に鮭が上るなんてないでしょ!それをみんなで大事にして、自慢にしたいよね。

だから本当は震災が来る前は、橋を造ってそこを歩きながら鮭をみられるようにしたいなと思っていたの。ここはかがり火祭りといって、役場の前で川の中にかがり火を炊くというお祭りもやっていたの。最後の土曜日に、あまり盛大にしないで町民だけが集まって寝そべって夕涼みするお祭りを作っていた。木の橋もあってそこを舞台に郷土芸能もやって。私は本当はそこの上に能舞台を作りたかった。川の上に薪能(たきぎのう)の舞台を作って楽しむ会をしたいと密かな計画をみんなで話していて、あと何年後にはやるぞと言っていたんだけど、その前に津波が来ちゃった。たったこれだけの町だからね。でもここにみんな仲良く暮らしていたからね。街は10年で見違えるように変わると思う。10年で変えたいよね。75歳になっちゃうから(笑) ちょっと体がヨボヨボになっちゃったらうまくないから、その前に見たいよね。ばんばん動き回れるようならいいけど(笑)


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山内鮮魚店

2014年10月28日

10月28日 南三陸 福興市2

引き続き、南三陸 山内鮮魚店 代表、山内正文さんのインタビューです。

津波の危機が迫る中、ご家族や従業員を避難させ、志津川中学校の高台に避難した山内さん。その日から始まった避難所生活についても、振り返って頂きました。



◆避難所は全然苦じゃなかった
たまたま私は避難所の自治会のリーダーをしていました。津波の次の日に校長と相談しながらどう避難所を、子どもたち含めて600人いる中でまとめるかという話をした。そういう体制ができたのはいちばん早かったのかな。食料も、志津川は魚を東京や名古屋に出荷しているから、それを分けて食べようと。15日分くらいの魚を持ってきた。それもたまたま私が仲買人の親分だったから(笑) 荷主もあきらめてるからみんなで食べようと。側溝のふたを全部外させて、木は全部裏山で薪を取ってきてバーベキュー。家庭科(の教室)があるから鍋も釜もいっぱいあるし包丁もある(笑) 本当にびっくりした。全然苦にならなかった。私はこの辺のガキ大将だったからこのあたりのどこの水が飲めるかも全部わかっちゃうの。この辺は縄張りで遊んでたんだもん。軽トラックにペットボトルで水も一日何回も運んでもらってね。どこに何があるのか、山いちごはどこにあるのかもみんな分かる。6月になればこのすぐ下にはイチゴができる。桃も昔はなっていたし、柿も栗もあったし・・・。


そんな山内さんは、津波で破壊される町を見ながら、すぐに「町を元に戻さなければいけないと考えた」とおっしゃっています。その第一歩が、今も続く南三陸の『福興市』でした。


◆力をくれたからできた
本当に全国の商店街がつながっていたことが力になったんだよね。10日後に「山内さんどうするの」と聞かれて、みんなで集まって話し合いをする中で私は闇市をしたいと言ったんだけどみんなはそんな気持ちになっていんだよね、まだ10日後だからね。5月の連休を提案したが「連休にはできねえ、そういう気持ちになれない」と言ったんだけど、全国の商店街のみんなが、「とにかく早い方がいい」ということで色々応援してくれて、4月29日と30日にこの場所で1回目を(開催)。震災後の初めての人がたくさん集まる機会で、いっぱい来たのよ。1日目は4000人くらいかなその次の日は8000人。その時に地域通貨を配ったの。一人300円ずつ。100円の3枚つづり「地域通貨300タコ」ということで。名産がタコだから(笑)それを避難所に1万人分配ったの。「そのお金はどうするんだ」と言われたが、無くてもいいから配れと。そしたら結果的に全国の商店街の人たちが、販売したお金を全部置いて行ってくれたの。兵庫県の佐用町とか諏訪とかね。売り上げを置いて「また来るからね」と。そして、それが安否確認の場所にもなった。本当は1回でやめようと思ったんだけど、こんなに喜ばれるならやった方がいいということで、毎月最終日曜日に決めて始めたのがきっかけ。



福興市の第1回が行われたのは、2011年4月29日。地元の方は、すべてを失い「売るものが無い」状態でした。それでも、全国から支援にやってきた商店街の方を「手伝う」ことで、店の再開をあきらめず、再起する気持ちを持つことができた、、、ということです。

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山内鮮魚店
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パーソナリティ 鈴村健一

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