2014年12月17日

12月16日 今も続いている、津波と捜索と、原発事故(2)

先日行われた対談「3.11は続いている・津波と捜索と原発事故」。
対談のスピーカーは、福島県大熊町出身の木村紀夫さんと、 南相馬市の上野敬幸さん。お二人はともに、東日本大震災の津波で行方不明となったご家族を、いまも探し続けています。

上野さんの自宅は、南相馬市の「萱浜(かいはま)」という地区にあります。福島第一原発からは22キロ。海沿いの地区です。

◆自分の手で探す
3月11日は仕事をしていたが、どうしても家が心配だったので、一度自宅に戻った。親父とおふくろと長男が家にいて、学校に避難すると。お姉ちゃんが通っていた学校が避難所になるということで、地元の消防の活動で避難などしているうちに、津波が来た。
他に流されている人達がいたので、その人達を助けていた。夕方になり、状況があまりにもひどかったので、子どもたちの顔を見て安心したいなと思い、避難所になっている学校にいったら、いないと。
当時嫁さんが病院で仕事をしていたので嫁さんを迎えに病院に行って、嫁さんを避難所に置いて、懐中電灯を持って海辺を捜索した。暗闇の中、発見はできなかったが、次の日からは地元の人と、行方不明の人がたくさんいたので、捜索にあたった。原発の爆発で皆が避難することになって、僕たちも萱浜には僕ひとりになったこともある。自分ひとりで歩いていて、それでも若い子たちが僕が残っているので、避難先から戻ってくる。10人くらい戻ってきて、地区での僕等だけの捜索というのが続いて、自分たちだけで40人くらいは見つけたと思う。
そんな中で3月終わりごろ、初めて海を見に行った。それまで陸地の捜索で精一杯で、海にまで目がいかなかった。初めて萱浜の海に行って(行方不明者を)7人見つけた。それは僕らのところは自分たちの目でみることができたので、7人発見できたと思う。木村さんのところもそう。原発から半径20〜40キロにも同じようにたくさんの人が揚げられていたのではと思う。
自衛隊が僕らのところに捜索に来たのは4月20日ぐらい。自衛隊が来て捜索は終わるんだ、これでみんな見つかるんだと思った。(行方不明の)親父と長男もみつかる、地区の人達もみんな見つかると思ったが、自衛隊の捜索で見つかったのは2名だけだった。GWには自衛隊もいなくなって、また自分達だけの捜索となった。重機も自分達で買って、それがいまも続いている状態。



上野さんは、ご両親と当時小学校2年生だった長女の永吏可(えりか)ちゃん、そして幼稚園入園を控えていた、長男の倖太郎君を津波で亡くしました。お父さんと倖太郎くんはいまだに行方がわからないまま。地元の団体「福興浜団」のメンバーやボランティアの皆さんと一緒に、いまも捜索活動を続けています。

「福興浜団」フェイスブックページ

2014年12月17日

12月15日 今も続いている、津波と捜索と、原発事故(1)

先日行われた対談、「3.11は続いている 津波と捜索と、原発事故」。
この対談のスピーカーは、福島県大熊町出身の木村紀夫さんと、南相馬市の上野敬幸さん。ともに、津波で行方不明のご家族を探し続けています。

木村さんの自宅は福島第一原発から3キロ地点。震災当時、木村さんは大熊町の隣町、富岡の養豚場で仕事をしていました。大きな揺れに襲われ、家族のことが頭にありましたが、夕方までは職場で仕事を続けたといいます。

◆あの時入っていれば
ラジオから3メートルの津波がくるという知らせがあった。3メートルなら、自分の自宅は海岸から100メートルぐらいで、海抜5〜6メートルぐらいだから、自宅は大丈夫だろうと後回しにしてしまった。残念ならが津波は3メートルどころではなく、自宅は全く流されてしまって、帰ったときにはなにもない、という状態だった。
それでも、家は流されたけど、家族が無事ならいいと、あまり暗い気持ちではなかった。とこが避難所に行って母から、父親と妻と次女が見当たらないということを聞いて、そこで焦って、最初は避難所とか病院とかを探して回ったが、結局いなくて、暗い中自宅周辺の海岸などを探して歩いたが、結局見つからず。次の日の朝7時ごろ、原発の様子がおかしい、避難しろ、生きているもののほうが大事と言われ、本当に後ろ髪をひかれる思いだったが、長女と母を連れて、妻の実家の岡山に向かった。どうしても心にひっかかっている。あのとき(地震の直後に捜索に)入っていればと。
その後ずっと安置所などを回った。父親が4月29日無人のヘリコプターで発見された。自宅の前100メートルぐらいの田んぼの中で倒れているのが見つかった。服も脱げず、非常にきれいな状態で横たわっていた。妻は4月10日に自宅から40キロぐらい南のいわき市の海上でみつかった。DNA判定で、6月1日に妻だと判定された。
次女の夕凪(ゆうな)は全く手がかりがなく、5月19日から自衛隊がわたしの部落の捜索に入ってくれたが、見つからなかった。自衛隊が捜索してくれたとはいえ、どうしても納得できず、なんとか自分で探すことはできないか町と話をして、ときどき一時帰宅をしながら、自分で探し続けてきた。
長女と長野県白馬で暮らしつつなので、福島に足を運ぶ機会も月に1〜2回ぐらいで、なかなか十分な捜索ができないでいる。


木村さんは津波で父・王太朗さんと妻の深雪さんを亡くし、次女の汐凪(ゆうな)ちゃんは、いまだに行方がわからないまま。震災直後、原発事故からの避難で十分な捜索ができなかったのが本当に悔しいと話しています。
現在は、長女と二人、長野県白馬村に移り住み、いまも月1〜2回、大熊町に足を運んで次女汐凪ちゃんの捜索を続けています。

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パーソナリティ 鈴村健一

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