2014年12月19日

12月18日 今も続いている、津波と捜索と、原発事故(4)

先日行われた対談「3.11は続いている・津波と捜索と原発事故」。
対談のスピーカーは、福島県大熊町出身の木村紀夫さんと、 南相馬市の上野敬幸さん。 木村さんは、避難先の長野県から月1〜2回、故郷に足を運んで、行方不明の次女、汐凪ちゃんを、一方上野さんは、父親と長男の倖太郎君を、いまも探し続けています。

震災からまもなく4年。2人はそれぞれ、新たな状況に直面しています。国は、木村さんの故郷大熊町に「中間貯蔵施設」を建設する方針を明らかにしました。今週、大熊町の渡辺利綱町長も、町として、施設の建設を容認する考えを表明しています。

◆唯一、家族と繋がれる場所
自分の自宅が国の買い取りの対象になっている。先日その説明会に行ってきた。わたし自身は売る気も貸す気もない。そこを人にやるということ自体、ちょっと考えられない。あそこが(震災で犠牲になった)3人の家族と繋がれる唯一の場所。説明会のときにそう宣言したら、環境庁の方が「ハンコをもらうまで通います」と言った。強制執行はしないと言っているが、半ば強制執行のようなもの。もうちょっと、それぞれの事情に配慮してほしいと思うが、非常に冷たく、そこには非常に憤りを感じる。


 一方、上野さんが住む南相馬市では、復興街づくりに向けた工事が進んでいます。

◆足の速いひとは、足のゆっくりな人を待ってあげることができれば。
復旧復興という名のもとにいろんな計画が進んでいる。防潮堤、防波堤、テトラポットなどの工事が進んでいるのは、僕も大事なことだと思っている。だが、今年の初め、テトラポットが震災による津波で全部流されてしまったところが、少しずつ置かれるようになったのを見たときに、長男はもう見つからないんじゃないか、という気持ちになった。テトラポットの間を歩いていても、動物の骨が見つかったりするので、行方不明者がいまでも見つかる可能性はゼロではないと思いながら、自分の中では探しつづけようと思っている。
ただ、なんでも急がされる。防波堤であったり、僕のところは農地の基盤整備が進むなかで、みんな立場が違う。家だけが流された人、家も家族も無事で農地だけ津波で被害を受けた人など。そういう人達をみんな一緒くたにやらなきゃいけない。
復興がすすむスピードは人それぞれ違う。足の速いひと、ゆっくりのひと。なんでも早く進めたがるのはわかるが、そこは優しくない。僕の近所でもなくなった人がたくさんいて、そんな中で全然前を向くことができない人もいる。そういう人を見ていると、足の速いひとは、足のゆっくりな人を待ってあげることができれば。自分ができることはなにかなと、最近考える。


2014年12月17日

12月17日 今も続いている、津波と捜索と、原発事故(3)

先日行われた対談「3.11は続いている・津波と捜索と原発事故」。
対談のスピーカーは、福島県大熊町出身の木村紀夫さんと、 南相馬市の上野敬幸さん。お二人はともに、東日本大震災の津波で行方不明となったご家族を、いまも探し続けています。

木村さんは、避難先の長野県から月1〜2回、故郷に足を運んで、行方不明の次女、汐凪(ゆうな)ちゃんを探しています。一方上野さんは、父親と長男の倖太郎(こうたろう)君を、いまも探し続けています。

木村さんの故郷大熊町は、原発から20キロ圏内。町の9割以上が「帰宅困難区域」に指定され、捜索もままなりません。放射性物質による汚染を防ぐため、捜索の際には防護服を着用。捜索ボランティアに負担をかけることを、木村さんは心苦しく思っているといいます。

そんな木村さんの捜索を支えているのが、上野さんら「福興浜団」の皆さんです。
   
◆自分の手で探すことができない
(木村さん)手伝ってほしいし、一緒に(捜索に)入りたい。いまもボランティアの方には本当に申し訳ないが、捜索に入って手作業で探すというのは、一生かかっても終わらない。そんな中で防護服を着て作業してもらっているのは、自分としては心苦しいんだけど、その都度見つかる流出物があるし、遺骨についても去年ほかの地区で見つかっている。
(上野さん)南相馬でも公表されていないが5体見つかった。ガレキ置き場じゃないところじゃないところで見つかった
(木村さん)一回自衛隊が全部見て、きれいに片づけてくれたわけだけど、やはりどこか見落としているところもあると思うので、それを思うとやっぱり捜索しないということは考えられない。それだけに、(中間貯蔵施設の建設で)捜索ができなくなるということは許せないこと。
(上野さん)僕は20キロ圏外ということで、自分の手で探すことができたので、永吏可(えりか)のことも抱きしめることができたし、お袋や永吏可の火葬に立ち会うこともできた。捜索に関して国の助けが遅れた地区ではあるが、自分の手で探すことができたというのは、すごく大きいと思う。
一方、20キロという線をひかれて、自分の手で探すことができなかった人がたくさんいる。うちの嫁さんも当時妊娠していたので、お袋や永吏可の顔をほとんど見ることなく避難してしまった。火葬にも立ち会うこともできずに。そういう人達の気持ちがすごくわかるので、自分は自分の手で探すことができたが幸せだと思っている。
その中で、ずっと待つ生活というのがどれだけつらいのか。家族が行方不明のまま、避難所でただ待つ生活。そういった部分で、木村さんに会ったときに、できる範囲でなんでもやろうというふうに思った。家族を探すことに対して、木村さんがそういう(ボランティアの人達にリスクを追わせて悪いなあというような)想いを持たなきゃいけないこと自体、世の中がおかしいと思う。初めて木村さんと捜索に入ったとき、すごく怒りを震えた記憶がある。
自分の娘を探したいなんて、親として当たり前のこと。僕も同じ。そういう人が、他の人に気を使ってしまう状態が本当に許せない。そういう世の中や国に怒りを覚えた。



大熊町の渡辺利綱町長は12月15日、町として「中間貯蔵施設」の建設を容認する考えを表明しました。これに対し、施設建設のために土地が国に買い上げれると、自由に立ち入ったり、捜索することができなくなると、木村さんは危惧しています。

「福興浜団」フェイスブックページ
木村さんが長野県で展開するワークショップ「深山の雪(みやまのゆき)」
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パーソナリティ 鈴村健一

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