2014年12月23日
12月22日 今も続いている、津波と捜索と、原発事故(5)
福島県南相馬市の上野敬幸さんの自宅は、南相馬市の原町区萱浜という場所にあります。福島第一原発からは22キロ。海沿いの地区です。
上野さんは、震災の津波で、ご両親と長女の永吏可ちゃん、そして、長男の倖太郎君を津波で失いました。お父さんと倖太郎くんはいまだに行方がわからないまま。
地元の消防団や、ボランティアの皆さん「福興浜団」のメンバーと一緒に、自分たちの手で今も捜索活動を続けています。
南相馬市では、2015年度までに、11カ所350戸の「災害公営住宅」の建設を予定しています。上野さんの住む原町区にも220戸を建設予定です。
けれども上野さんは、海のすぐ目の前の、もとあった場所の隣に自宅を再建することを選択しました。
◆また一つ屋根の下に暮らしたかった
いま映っているのが僕の自宅。この隣に新しい家を建てた。ここを離れる気は全くなくて、家族で暮らし場所に帰るんだと思っていたので、自分のなかでは当たり前のことだった。だけど行政のほうではここは危険区域。津波でまわりが全部なくなって、僕の家は全壊扱いで、家は建ててはだめですよ、という地区に指定されていた。行政と半年ぐらい話をしているなかで、市のほうもいろいろ考えるようになって、建てていいよということになった。新しい家の引き渡しは去年の3月だったが、去年の3月は亡くなった家族の3回忌のタイミング。そのときは僕もまだ仮設だったので、親父と長男は見つかっていなかったが、お葬式をした。母と長女と4人のお葬式。それ(お骨など)を狭い仮設には持っていくことができなかったので、お寺さんに預かってもらっていたので、新しい家で一緒に生活したいという気持ちがあった。3回忌には家族が一つの屋根の下に戻るんだと思っていたので、3月には間に合わせてもらって、亡くなった家族4人と自分と嫁さんと新しく生まれた娘と家族みんなで、戻った。
亡くなった人達を安心させて、恥ずかしくないように、という気持ちがどちらかというと強いです。
上野さんを支えるボランティア団体「福興浜団」では、毎週末、土・日と土日につながる祝日に捜索活動を行っています。
南相馬の「道の駅」に9時に集合すれば、そのままメンバーとともに活動に参加できます。
「福興浜団」フェイスブックページ
上野さんは、震災の津波で、ご両親と長女の永吏可ちゃん、そして、長男の倖太郎君を津波で失いました。お父さんと倖太郎くんはいまだに行方がわからないまま。
地元の消防団や、ボランティアの皆さん「福興浜団」のメンバーと一緒に、自分たちの手で今も捜索活動を続けています。
南相馬市では、2015年度までに、11カ所350戸の「災害公営住宅」の建設を予定しています。上野さんの住む原町区にも220戸を建設予定です。
けれども上野さんは、海のすぐ目の前の、もとあった場所の隣に自宅を再建することを選択しました。
◆また一つ屋根の下に暮らしたかった
いま映っているのが僕の自宅。この隣に新しい家を建てた。ここを離れる気は全くなくて、家族で暮らし場所に帰るんだと思っていたので、自分のなかでは当たり前のことだった。だけど行政のほうではここは危険区域。津波でまわりが全部なくなって、僕の家は全壊扱いで、家は建ててはだめですよ、という地区に指定されていた。行政と半年ぐらい話をしているなかで、市のほうもいろいろ考えるようになって、建てていいよということになった。新しい家の引き渡しは去年の3月だったが、去年の3月は亡くなった家族の3回忌のタイミング。そのときは僕もまだ仮設だったので、親父と長男は見つかっていなかったが、お葬式をした。母と長女と4人のお葬式。それ(お骨など)を狭い仮設には持っていくことができなかったので、お寺さんに預かってもらっていたので、新しい家で一緒に生活したいという気持ちがあった。3回忌には家族が一つの屋根の下に戻るんだと思っていたので、3月には間に合わせてもらって、亡くなった家族4人と自分と嫁さんと新しく生まれた娘と家族みんなで、戻った。
亡くなった人達を安心させて、恥ずかしくないように、という気持ちがどちらかというと強いです。
上野さんを支えるボランティア団体「福興浜団」では、毎週末、土・日と土日につながる祝日に捜索活動を行っています。
南相馬の「道の駅」に9時に集合すれば、そのままメンバーとともに活動に参加できます。
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