2015年2月23日
2月23日 東北お遍路プロジェクト1
東北に巡礼の道・・・「お遍路」を作ろうという動きをお伝えします。
これは、宮城県仙台市の異業種交流会をはじめとした有志が数年前から準備を進めていたものです。 「お遍路」というと、四国のお遍路さんを意味する言葉ですが、東北の「お遍路」は、東日本大震災の慰霊と鎮魂、そして地域の活性化を目的としています。
このプロジェクトの共同代表、高橋雄志さんに伺いました。
◆1000年先に語り継ぐ巡礼の道を
『東北お遍路プロジェクト』という言い方をしている。311の被災後に青森県から福島県のNPO、異業種交流会のメンバーが集まって話し合った。当初はお遍路という呼び方はしていなかったのだが、物語で繋ぐ心の道を作りたいということを基本に、巡礼地を全て知っているわけではないのに公募をして、物語と巡礼地を提案してもらった。最初に提案してもらったのは105カ所。その提案の実態・内容が分からないので最初は調査した。条件としては1000年残したい物語性を有していること、震災にまつわるもの・震災遺構として残る可能性があるもの、地元の認知度が高いもの、命をつないだ場所であること(一時避難先など心の拠り所となった場所)、鎮魂の拠点となっている場所 ということを原則に、調査・選考を行った。
新聞やインターネットを通じて集まった候補地の中から、大学教授など選考委員が選定した巡礼地は、現在およそ50カ所。募集はいまも続いています。また、選考にあたっては、プロジェクトメンバーによる現地調査も行われています。
◆未来へ繋ぐ物語を持つ土地
私は岩手県の南側、宮城の北側を調査。気仙沼の唐桑という地域の早馬(はやま)神社の梶原宮司の話では、神社の裏側に集落があるが全て被災、家も工場もなくなってしまった。津波は神社の目の前まで来たという。気仙沼湾に面しているため津波から数ヶ月は海が汚れていたが、海が自然浄化されて小さな魚が泳ぎ始めたという。その姿を見た宮司は「これで復興できると、海から逆に勇気をもらった」と話した。この話を聞いた時に、物語を繋いでいけると感じた。大船渡市には津波記憶石というのがある。それは311の津波で「見られるようになった」。波で洗われて姿を現した。昭和の三陸大津波のあとに作られた石なのだが、それが忘れ去られ道路工事で埋まってしまい見えなくなっていた。それが今回の大震災の津波で押し流されて姿を現した。取材に行ったが場所が分からず、地元の人に聞いても分からない。ようやく見つけたのが道路工事の脇に埋もれた状態だった。2度忘れられた石。今回のプロジェクトでその歴史を改めて確認して伝えて行きたい。
このプロジェクトのホームページには、選定済みの巡礼地と、その物語が掲載されています。中にはこの番組でも取材した宮城県石巻市に展示されている 「サンファンバウティスタ号」もあります。
この船は江戸時代の大津波のあと、伊達政宗公が、
復興事業として建造したもの。海外との貿易で産業復興する意味もあったそう。東日本大震災のあとも、復興のシンボルになっているということで、東北お遍路の巡礼地に選ばれています。
これは、宮城県仙台市の異業種交流会をはじめとした有志が数年前から準備を進めていたものです。 「お遍路」というと、四国のお遍路さんを意味する言葉ですが、東北の「お遍路」は、東日本大震災の慰霊と鎮魂、そして地域の活性化を目的としています。
このプロジェクトの共同代表、高橋雄志さんに伺いました。
◆1000年先に語り継ぐ巡礼の道を
『東北お遍路プロジェクト』という言い方をしている。311の被災後に青森県から福島県のNPO、異業種交流会のメンバーが集まって話し合った。当初はお遍路という呼び方はしていなかったのだが、物語で繋ぐ心の道を作りたいということを基本に、巡礼地を全て知っているわけではないのに公募をして、物語と巡礼地を提案してもらった。最初に提案してもらったのは105カ所。その提案の実態・内容が分からないので最初は調査した。条件としては1000年残したい物語性を有していること、震災にまつわるもの・震災遺構として残る可能性があるもの、地元の認知度が高いもの、命をつないだ場所であること(一時避難先など心の拠り所となった場所)、鎮魂の拠点となっている場所 ということを原則に、調査・選考を行った。
新聞やインターネットを通じて集まった候補地の中から、大学教授など選考委員が選定した巡礼地は、現在およそ50カ所。募集はいまも続いています。また、選考にあたっては、プロジェクトメンバーによる現地調査も行われています。
◆未来へ繋ぐ物語を持つ土地
私は岩手県の南側、宮城の北側を調査。気仙沼の唐桑という地域の早馬(はやま)神社の梶原宮司の話では、神社の裏側に集落があるが全て被災、家も工場もなくなってしまった。津波は神社の目の前まで来たという。気仙沼湾に面しているため津波から数ヶ月は海が汚れていたが、海が自然浄化されて小さな魚が泳ぎ始めたという。その姿を見た宮司は「これで復興できると、海から逆に勇気をもらった」と話した。この話を聞いた時に、物語を繋いでいけると感じた。大船渡市には津波記憶石というのがある。それは311の津波で「見られるようになった」。波で洗われて姿を現した。昭和の三陸大津波のあとに作られた石なのだが、それが忘れ去られ道路工事で埋まってしまい見えなくなっていた。それが今回の大震災の津波で押し流されて姿を現した。取材に行ったが場所が分からず、地元の人に聞いても分からない。ようやく見つけたのが道路工事の脇に埋もれた状態だった。2度忘れられた石。今回のプロジェクトでその歴史を改めて確認して伝えて行きたい。
このプロジェクトのホームページには、選定済みの巡礼地と、その物語が掲載されています。中にはこの番組でも取材した宮城県石巻市に展示されている 「サンファンバウティスタ号」もあります。
この船は江戸時代の大津波のあと、伊達政宗公が、
復興事業として建造したもの。海外との貿易で産業復興する意味もあったそう。東日本大震災のあとも、復興のシンボルになっているということで、東北お遍路の巡礼地に選ばれています。