2015年2月25日

2月25日 東北食べる通信 編集長・高橋博之さん −四国、東松島、そして全国へ広がる“食べる通信”

今朝は、東北食べる通信の新たな動き、お伝えします。

東北の生産者を取材した記事とともに、その「生産物」が、付録でついてくる史上初の“食べる情報誌” 東北食べる通信。食べる人と、作る人を繋ぐ新たなメディアとして注目を集め、各地で『ご当地食べる通信」が生まれ始めています。

先日は、宮城県東松島市で創刊した『東松島食べる通信』を紹介しましたが、それに先駆けて、このムーブメントに加わったのが、東北から遠く離れた土地、四国です。東北食べる通信 編集長の高橋博之さんに伺いました。

◆各地で「味をしめた」人たち!
東北食べる通信を立ち上げて3か月くらいで、四国のポン真鍋くんに出会った。四国も生産現場の高齢化、疲弊が続いていおり、しっかり価値を認めた都市の人に食べ物の裏側をちゃんと見せたいという欲求に飢えている人たちがいたんだなと感じた。ぜひやろうということで3か月後に創刊になった。そこで確信したのは、四国にあるということは全国各地に都市と地方の分断があること。食べる人から作る人が全く見えていないこと。東北は震災があったので気づいたが、これはどこも同じ。だから1000人、500人規模の食べる通信が全国に広がっていけば日本の一次産業の社会的地位は上がっていくのではないかと思った。だからコンビニのようなフランチャイズ方式を押し付けるのではなく、Jリーグのようなリーグ制にしてそこに参入してもらいルールを決め、ビジョンを広げていこうとスタートした。今一番手を挙げているのは東北だが、嬉しいのは、僕ら(東北食べる通信)が特集したところが手を挙げてくれていること。会津、山形、下北半島、福島の相馬。なぜこういうことになるかというと、言葉は悪いが「味をしめちゃう」から。食べる人とつながるのはいいもんだな、と。東北食べる通信で取材すると、「他にも良い農家がいるから、来月もう1回来て取り上げてよ」という。僕は10年後しか来られませんよという。そうすると待っていられないから「じぶんたちでやる」と動き出す。観客席にいるのをやめて待ちきれなくてグラウンドに降りてくる。それがすごくうれしい。


実はこの動きの中で、「食べる通信リーグ」という団体も立ち上がり、参加団体が集って、ルールや運営方針をみんなで決める枠組みもできています。そして現在、四国、東松島のほか、神奈川食べる通信、新潟食べる通信が創刊。山形、下北半島、兵庫、加賀能登、十勝が創刊予定なんですが、さらにこんな食べる通信も、まもなく誕生します!

◆高校生が作る福島食べる通信
高校生が手をあげてくれた。しかも最も深刻な被害を受けた福島県の一次産業を憂いて、風評被害を何とかしたいと女子高生が立ち上がった。福島の高校生が考える食べる通信というのを創刊準備に入り、取材も始めている。郡山の女子高生が、自分の周りに農家の同級生もいて、福島の食べ物が全く売れないという現状に心を痛めて、なんとかできることはないかと考え続けて来たみたい。彼女が食べる通信のイベントに参加したいと東京へやってきて、読者と議論する場があり、そこで彼女は気持ちを固めたようだ。高校生4〜5人で編集部を作っている。世の中の欺瞞や理不尽、不公平が溢れていてきれいごとでは行かないが、高校生ってそういう社会との接点ってほぼ無い。僕もなかったし普通は無い。でも福島の高校生たちが他と違うのは、社会に出る前に矛盾にあふれた社会と原発事故で繋がってしまった。自分の周りには発電所で働いていた方もいると思うし、自分の周りの農家の作物が売れなかったり、電力を供給する先はびくともしていないとか、高校生ながら、大人にならないと持てない接点を持ってしまった。だから彼女の場合は、なんとかその社会を変えたいと行動し始めている。3月には創刊するはずです。

 
この「高校生による、福島食べる通信」、高橋さんによれば、「葉書つき」になっているそうです。これはFacebookなどのコメントだけでなく、読者が生産者に、葉書で、食べた感想や感謝のごちそうさまを送るためのアイデア。これまでの ご当地食べる通信では、出てこなかった発想が、福島の高校生が作る食べる通信には、新たに盛り込まれることになりそうです。

★食べる通信リーグ

2015年2月24日

2月24日 東北お遍路プロジェクト2

昨日に引き続き、『東北お遍路プロジェクト』についてお伝えします。

1000年残したい物語性をもち、震災後に鎮魂の拠点となった、など条件を満たす土地を「巡礼地」に選定。東日本大震災の慰霊と鎮魂を目的とした
東北版「お遍路」を繋ごうという企画が、東北お遍路プロジェクトです。

現在ホームページには53の巡礼地が掲載されていますが、中には、あの福島第一原発の文字もあります。その意図について、プロジェクトの共同代表、高橋雄志さんはこう説明します。

◆原発は巡礼地か
福島第一原発については、当初から色々議論はしていた。本当に(巡礼地に)入れていいのかと。今回の発表でも色々な苦情もある。福島県民の感情としては、「福島第一原発は巡礼地ではない」、祈る場所ではない。それは分かります。それを超えて、我々としては原発は今は近づくことはできないが、後世に子の話を残すべき話ではないかなと。最終的に巡礼として行けるようになるのはいつになるか分からないが、巡礼地として残させて頂いて、遠くから見てください、と。そしてみなさんに、福島県の方々、亡くなられた方々への祈りをささげてほしいという意味で入れさせていただいているところ。南三陸町の防災庁舎についても議論はあったが、地元の住民の方々の取り壊したいというお話があるのであれば、その感情がある程度収まるまでは巡礼地としての選定や発表はできないのかなと考え保留になっている。大川小学校も同じような話かも知れない。巡礼地として発表できるタイミングというのは、被災された人たちの気持ちが一つ変わった時点になろうかと思う。それがいつかは分からない。それで最終的に残ったものが本当の巡礼地になるのだろうと思う。


ホームページを通じた、一般の方からの巡礼地の募集、そして調査や選考は、今後も引き続き継続していくと高橋さん。

住民の方の気持ちに配慮しながら、時間をかけて、次の世代へ、プロジェクトを繋いでいきたいと話します。

◆新しい物語へ
私の出身が気仙沼。おばあちゃんに言われたのは明治の津波の話だったが、その話を超える津波があった。おばあちゃんの話はたかだか100年くらいまえの話。記録ではなく記憶として物語を継承していけば、後世に、200年後に起きる大津波、国内で今後起きる津波への警鐘になればよいのかなと思う。学生や若い人なら、色んな物語があることを自分の足で歩いて回ってもらえると良い。全国や世界から来ていただけるのであれば、交通機関を使って色々巡って頂きたい。そして物語のあった場所や巡礼地で泊まって美味しいものを食べてお土産を買って頂きたい。地元が潤うことにもつながるし、それ以上に、地元の人たちが産業再生に向けて頑張っている、ボランティアの話をしてもらい、語り継いでいってほしい。被災を契機にはしているが、未来へ向けて新しい物語が生まれるような流れができたらいいと考えている。


ちなみに、日本サッカーの聖地で、現在は原発事故の対応拠点となっている福島県双葉郡の『Jビレッジ』。こちらもいま巡礼地として選考が始まっています。これはJビレッジ側から打診があったものだそう。

基本的に、東北お遍路プロジェクトはすべてボランティアの方によって運営されているため、高橋さんは「時間はかかるが、少しずつ長く継続してやっていきたい」と話しています。

★東北お遍路プロジェクト
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パーソナリティ 鈴村健一

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