2015年3月2日
3月2日 震災からまる4年・福興浜団のいま(1)
震災から、まる4年。高速道路が復旧し、それぞれの町で、生活再建も徐々に進んでいます。
その一方、いまも、津波による行方不明者を捜索する人々がいます。
今朝は、福島県南相馬市から、福興浜団の活動レポートです。
![](/cms/thumbnails/b9/b900c453172c485d0b5b81ef32d68755.jpg)
![](/cms/thumbnails/47/4763b43e97952c4e08793cd3388d2d1c.jpg)
![](/cms/thumbnails/7a/7a5bfeccad54c1e7e5064fef44053211.jpg)
![](/cms/thumbnails/b2/b2334a921145a3a0c7be0976d6ba52b1.jpg)
福興浜団は毎週 土日に、南相馬市をはじめ福島県の海岸沿いで捜索活動を続けています。この日は、およそ1キロほどの海岸沿いを、テトラポッドをよじ登り、乗り越え、その隙間を覗き込むという捜索が行われました。参加者の数は現在10名程度。それぞれの想いで活動に参加しています。
◆打ち上げられるかも知れない遺留品
(福興浜団 メンバーの男性) ここの場所は南相場原町区の北泉海岸。上野さんのご自宅から数キロ。よく捜索にくるエリアです。今年は僕が来ただけで3回。波に打ち上げられたもので、遺骨がないか探したり、テトラポットの隙間にないか見たりとか。みんな思い思いにやっています。
◆「おかえりなさい」
(福興浜団 メンバーの女性) 私は福興浜団に震災の翌年5月から。やっと小高に入れるようになった頃から参加しています。その頃は側溝も流出物でいっぱいでしたし。側溝の泥上げをしながら行方不明の人たちを探したり、津波被害にあわれたお宅の床下を掃除しながら行方不明者の方を探したり、流出物の仕分けをしている時に帰って来た方の一部かな、というのもありました。今はもう「お帰りなさい」とだけ。本当はもっとたくさん帰ってきている人はいるはずなんですけど見つけられないのが悔しい。
番組が取材したこの日、捜索に参加していた女性は、今年の1月にも、遺留物の一部を見つけたそうです。ただ、それが人のものなのか、動物のものなのかは分からないと言います。女性は、「それでも 「おかえりなさい、ということに変わりはない」と話していました。
福興浜団は元々、南相馬市萱浜の上野敬幸さんの想いに賛同した人たちの集まりです。上野さんは震災当時、消防団として住民の避難誘導をしていて、混乱の中で、ご両親と、長男・倖太郎君、長女・永吏可ちゃんを津波で失いました。幼稚園入園を控えていた長男の倖太郎君と父親は、今も行方不明のままです。
震災から4年。あの日からずっと、上野さんはご家族や行方不明になった人たちを探し続けています。
![](/cms/thumbnails/ab/abf737c0d7344e7976bde54e38a87ba3.jpg)
◆可能性をゼロにしたくない
僕らはいけるところは行こうと思っていますし、いまは20キロ圏内で分別作業が進んできて、その中から見つかっている人がいるんです。発表はされないけど南相馬でもずいぶん見つかっているし、浪江でも(捜索が)はじまっている。まだまだ福島に関しては海だけでなく陸上でも、探せば見つかる人がまだまだいるはず。この場所から原発の反対側(南)の20キロ圏内の富岡であったり。行けるところはどこでも行きます。でも全然可能性はゼロではないなと感じています。テトラポッドが置かれ護岸工事が進んだとしても。探さなければ、誰もみなければ可能性はゼロになってしまう。可能性をゼロにしたくないという気持ちも自分の中にはある。当時、萱浜は20キロ圏内と一緒で、原発事故でみな避難してしまった場所。探す人が誰もいなくなり、永吏可とおふくろは見つかったが、親父と倖太郎は僕の中では行方不明。僕が残らなきゃ誰も見つからないという気持ちもあったと思う。誰もここを見なくなってしまったら、地区の人も誰も見つからなくなるというのが怖くて、可能性をゼロにするのが嫌なので。だから今でもやっています。
「福興浜団」は、毎週末、土・日と土日につながる祝日に捜索活動を行っています。福興浜団のフェイスブックページでは、活動情報が随時更新されていますので、関心のある方はこちらもご覧ください。
その一方、いまも、津波による行方不明者を捜索する人々がいます。
今朝は、福島県南相馬市から、福興浜団の活動レポートです。
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福興浜団は毎週 土日に、南相馬市をはじめ福島県の海岸沿いで捜索活動を続けています。この日は、およそ1キロほどの海岸沿いを、テトラポッドをよじ登り、乗り越え、その隙間を覗き込むという捜索が行われました。参加者の数は現在10名程度。それぞれの想いで活動に参加しています。
◆打ち上げられるかも知れない遺留品
(福興浜団 メンバーの男性) ここの場所は南相場原町区の北泉海岸。上野さんのご自宅から数キロ。よく捜索にくるエリアです。今年は僕が来ただけで3回。波に打ち上げられたもので、遺骨がないか探したり、テトラポットの隙間にないか見たりとか。みんな思い思いにやっています。
◆「おかえりなさい」
(福興浜団 メンバーの女性) 私は福興浜団に震災の翌年5月から。やっと小高に入れるようになった頃から参加しています。その頃は側溝も流出物でいっぱいでしたし。側溝の泥上げをしながら行方不明の人たちを探したり、津波被害にあわれたお宅の床下を掃除しながら行方不明者の方を探したり、流出物の仕分けをしている時に帰って来た方の一部かな、というのもありました。今はもう「お帰りなさい」とだけ。本当はもっとたくさん帰ってきている人はいるはずなんですけど見つけられないのが悔しい。
番組が取材したこの日、捜索に参加していた女性は、今年の1月にも、遺留物の一部を見つけたそうです。ただ、それが人のものなのか、動物のものなのかは分からないと言います。女性は、「それでも 「おかえりなさい、ということに変わりはない」と話していました。
福興浜団は元々、南相馬市萱浜の上野敬幸さんの想いに賛同した人たちの集まりです。上野さんは震災当時、消防団として住民の避難誘導をしていて、混乱の中で、ご両親と、長男・倖太郎君、長女・永吏可ちゃんを津波で失いました。幼稚園入園を控えていた長男の倖太郎君と父親は、今も行方不明のままです。
震災から4年。あの日からずっと、上野さんはご家族や行方不明になった人たちを探し続けています。
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◆可能性をゼロにしたくない
僕らはいけるところは行こうと思っていますし、いまは20キロ圏内で分別作業が進んできて、その中から見つかっている人がいるんです。発表はされないけど南相馬でもずいぶん見つかっているし、浪江でも(捜索が)はじまっている。まだまだ福島に関しては海だけでなく陸上でも、探せば見つかる人がまだまだいるはず。この場所から原発の反対側(南)の20キロ圏内の富岡であったり。行けるところはどこでも行きます。でも全然可能性はゼロではないなと感じています。テトラポッドが置かれ護岸工事が進んだとしても。探さなければ、誰もみなければ可能性はゼロになってしまう。可能性をゼロにしたくないという気持ちも自分の中にはある。当時、萱浜は20キロ圏内と一緒で、原発事故でみな避難してしまった場所。探す人が誰もいなくなり、永吏可とおふくろは見つかったが、親父と倖太郎は僕の中では行方不明。僕が残らなきゃ誰も見つからないという気持ちもあったと思う。誰もここを見なくなってしまったら、地区の人も誰も見つからなくなるというのが怖くて、可能性をゼロにするのが嫌なので。だから今でもやっています。
「福興浜団」は、毎週末、土・日と土日につながる祝日に捜索活動を行っています。福興浜団のフェイスブックページでは、活動情報が随時更新されていますので、関心のある方はこちらもご覧ください。