2015年4月2日

4月2日 南相馬 命を守る森の防潮堤作り

福島県南相馬市から、命を守るための「植樹祭」のレポートです。

東日本大震災をきっかけに始まった森づくり運動『瓦礫を活かす 森の長城プロジェクト』。これは震災がれきを埋めた盛り土(つち)に樹木を植え、森を根付かせ津波から命を守る、「森の防潮堤」を作ろうという取り組みです。

すでに宮城県仙台市、岩沼市、そして南相馬市は、自治体ぐるみで取り組んでいます。3月29日(日)には南相馬市で2度目の植樹祭が行われました。

◆参加ボランティアの声
・仙台からです。十数年前にここで仕事をしていた時があって、復興の力添えができればいいのかなという感じですかね。
・相馬農業高校2年です。木を植えて防波堤になるように。藁を扱ったことが無いので置くのが大変でした。ここらへんも家がたくさんあったと聞いて、流されてしまったのでそのぶん木がたくさん増えたらいいなと思います。


今回の植樹祭の場所は福島県・南相馬市 原町区萱浜。全国から集まったボランティア2900人によって、2万本の苗木が植樹されました。

この植樹には、南相馬市・桜井市長も参加。市長の考えを伺いました。

◆一本一本積み重ねていく
松だけでは守れないのではという思いがあって。津波で松は流されちゃったんですよ。だから松だけじゃなく広葉樹も支えてくれるということで、あわせて一緒にやりましょうと。一昨年植えたのは根付いて育っています。松と広葉樹を合わせて植樹していくし、平成30年にはここで天皇陛下を招いての植樹祭も計画している。一歩一歩、準備を含め積み重ねていることが全国に伝わるとありがたい。亡くなった方が多いので、亡くなられた方々の気持ちをいつも忘れないで我々が生活していければいいなと思っています。


震災前にあった松の防風林は、津波ですべて流されてしまったそう。そのためこの植樹では、根っこを深く広げる常緑広葉樹による丈夫な森を目指しています。暮らしていた場所が、森に生まれ変わろうとすることについて、地元 萱浜の方の声です。

◆この場所に家があった
・すぐそば(から来た)もともと近くに家があったんですが全壊して義理の母が犠牲に。次の世代に残したいということで子どもたちと一緒に植樹に参加。たくさん全国の方がきて支援して下さって南相馬を思ってくれている人がたくさんいるんだなと嬉しく思いましたね。
・ここに家がありました。私らのところは65〜6軒があったけど全部無くなりました。津波から着の身着のままで逃げて後で見たら何もなくなっていました。1年くらいはみんなと会ったりするのもいやでした。思い出してしまう。みんなてんでんばらばらで。
・堤防、防風林も元々あったもの。それが必要だというのは当然。地元なので参加しようとは思っていました。同じような津波がまたきても、防ぐことはできないけど遅らせることができると思う。今までまっすぐ海が見えていたのが、防風林や堤防の建設が進んでいっているので、僕としては真っ直ぐ海が見えるのが気に入っていたんですよ。「(堤防が)無くて不安だ)」という人もいますけど、ずーっとこの海を見ていたしそれが普通だと思っていました。

      

この森づくり、同じ東北の森でのどんぐり拾い、苗木の育成まで、多くをボランティアの方の手で行わう活動です。
植樹された森には、震災で被害にあわれた方の「震災のモニュメント」としての意味もあるといいます。そして、これまでの植樹で、およそ13万本が植樹されているということです。

★瓦礫を活かす 森の長城プロジェクト

あしたは宮城県南三陸町から、ワカメ収穫体験の話題です。

2015年4月1日

4月1日 女川トレーラーハウス EL FARO(3)


宮城県女川町のトレーラーハウス型宿泊村『エルファロ』は、東日本大震災で被災した4軒の旅館経営者によって 共同運営されています。開業したのは2012年12月。以来ずっと復旧作業の方やボランティア、観光客の方を受け入れてきました。

そして今年3月。女川は、町のシンボル・女川駅が復活し復興へ大きな一歩を踏み出しました。エルファロ理事長の佐々木里子さんは、女川駅・復活の日を、どんな想いで迎えたのでしょうか。


◆復興の目撃者になって欲しい
つい先ほどいらっしゃったお客様も「女川に来たから寄ったよ」とおっしゃっていたんですけど、「震災1ヶ月前にちょうど女川を訪れて、あそこのホームに降りたんだよね。4年前からずっとこの日を待っていたんだ」って。だから町民だけでなくて全国の方がこの日を待っていたんだなと。涙がでた式典でした。いまはすごくレアな状態。ご覧頂いたとおりまだ何も無いじゃないですか。そこに駅がぽつんとあって、ゼロではなくマイナスからスタートして、ガレキがなくなって1進んで、これから2、3、4とページをめくるように町が作られて行くので、復興して行く町を見届けて頂いて、最終的には復興の目撃者に慣れるので、これからできる支援としては復興を目撃して頂きたいな。そうしたらできあがった時に、本当に心からみなさん喜んで頂けるのかなって。私は毎日ここに通うのに海岸を通るんですが、毎日毎日変化しています。ページをめくるように。当時ボランティアに来られなかった、募金はしたけどなかなか行けないとか、一度ボランティアに来て以来行っていないとか色んな方がいらっしゃる。自分たちは「出遅れ気味」だとおっしゃるんですが、そうではなくてこれからできる支援は、見届けて頂くこと。ともに復興を喜んで頂きたい。



女川駅を左手に、港を背にして、内陸へ1.5キロほど。山の麓に、カラフルなトレーラーハウスが40棟並んでいます。それがエルファロです。
共同経営者の一人佐々木さんは47歳。震災後の女川で「責任世代」と呼ばれる世代です。10年後を見据えて町を作る「責任世代」として、エルファロの、「これから」を伺いました。

◆責任世代が築く「土台」
この40棟の集合体が、復興して行く町の中でどう動くかは私たちにも分からない。5年後にどうなっているか。40棟で集合体のままなのか10棟ずつに分かれているのか、町にちりばめられているのか。でもうちに一度泊まりにきた方が、「あれ、ここにもエルファロあるね」とか「移動してない?」「このトレーラーの色は私が泊まった色だ」とか、そういったものが町にちりばめられているのも面白いかな。復興にあわせて動けるのがトレーラーの魅力なので、それは私たちにもはっきり分からない。不安よりも楽しみの方が多いけどうまく動ければなと思います。町長が「責任世代」とおっしゃって、責任世代がこの復興の町の今の土台作りだったのかなと。土代がしっかりしていないと次に次に行けないですよね。私たちの世代が基盤を作らないと、上に何を乗せてもダメ。人付き合いも町の形も、元々あった女川の魅力をさらにいいものにするという責任の世代なのかなって。今私たち40代・30代が女川では活発に動いていて、そのメンバーの一人として私が入っているのであれば、10年後20年後の子どもたちが、女川は住みよいという気持ちで住み続けられる土台作りをしなければならないなって。そのチームに入れているのなら頑張ります。うん。

         


エルファロは1名1室 6500円から。朝食が女川でとれた魚介! レストランもあり、屋外のウッドデッキでディナーも楽しめます。なにより、佐々木さんはじめ、女川の人たちと触れ合う機会をぜひ体験してください。

★EL FAROサイト
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パーソナリティ 鈴村健一

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