2015年5月4日

5月4日 マリンピア松島水族館 ラストウィーク!


日本三景のひとつ、宮城県松島町のランドマーク、「マリンピア松島水族館」。
5月10日日曜日、88年の歴史に幕を閉じます。

「初デートがこのマリンピア水族館。後ろで若干声が聞こえているが、アシカのアンディくんが全くゆうことを聞かない。最初のデートは緊張していたのが一気にげらげら笑って大成功に終わったうれしい思い出がある。ちょっと思い出の場所が減るなと寂しいなと思う。」(来館者の男性)

昭和2年に開業した「マリンピア松島水族館」。最盛期には80万人以上年間入館者を数え、松島の名所として親しまれてきました。建物の老朽化などの理由から、リニューアルや移転の計画がこれまで話し合われてきましたが、閉館が決定し、5月10日日曜日、ついに閉館の日を迎えます。

飼育動物たちは、仙台港に新設される水族館へ移されますが、経営母体が変わることも有り、いま従事しているスタッフの大部分は、失業、転職、或いは、跡地に計画されている、〔海をテーマにした社会教育施設〕の建設へむけて、関わっていく・・・という事ですが、まだその計画は決まっていません。

閉館まで1週間。いま「マリンピア松島水族館」では、どういった態勢で、来館者を迎えているんでしょうか?広報担当の、西條博也さんに伺いました。

「5月1日から10日までは営業時間を拡大して、8時半から19時まで。開館時間を30分早めて、閉館時間を2時間、後ろに延ばしました。なるべくたくさんのお客様をお迎えしたい、水族館を記憶に留めて欲しいと思っています。ファイナルイヤーグッズという最後の商品を作成して売店で販売しています。昔、スター動物というか目玉の動物、イルカとかラッコなどが入るたびに、ステッカーを作ってお客様に配っていたが、それの復刻版を作ったんです。6種類の動物が入ったステッカー。これがとくだん売れ行きがいいですね。メッセージを書いて頂くイベントも開催しました。“三世代、四世代で水族館に来ました”とか、“自分が子供の頃に来て、今度は子供を連れて来ました”とか、そういうメッセージを頂いて非常に感激しています。スタッフとしても、自分が子供の頃に松島水族館に来て、大人になって水族館に働いて、最後の時を迎えるということで、頑張ってくれています。私もその一人です・・・
個人としては生き物よりも、併設されている遊園地の方が魅力的に見えて、中でも40年くらい稼働しているモノレールがあって、それに乗るのが大好きでした。淋しいの一言に尽きますね。」


震災当時、津波で水族館も大きな被害を受けましたが、翌月4月23日には営業を再開。町の皆さんの大きな希望の象徴ともなりました。それだけに、跡地の計画に町民も注目していますが、現状について、西條さんはこうお話ししてくださいました。

「正直、まだ進展はしていません。案は作っているんですが、土地が公園の一部という事があり、しかも津波をかぶっているので、高くしたりだとか、全体的な公園の整備計画の一部という事で、すぐにはOK出せないというか、“はいどうぞ”とはいかないという風に聞いています。震災の時は高いところで1.8メートルくらいの津波の痕跡がありました。ビーバーが6頭いるうちの3頭が死んで、あと水槽の管理が出来なくなってしまって、マンボウとかコマッコウが死んでしまいました。で、そこから4月の23日に再開したんですが、当時は傷跡がたくさん残っていましたし、正直なところ、そういう状況下で水族館を再開していいんだろうか?という心配はあったんですけど、実際4月23日に再開したところ、たくさんのお客さんに来て頂いて、「水族館に来られて孫の笑顔が見られて嬉しかった」というおばあちゃんがいたり、そういう意味では非常に喜んで頂けたのかなと思っています。
88年の歴史に幕を閉じてしまう訳ですけれども、一人でも多くのお客様に、「松島水族館」を、記憶に留めて頂ければなと思っています。」


来館者の男性がお話ししていた、「アンディくん」が登場する、マリンピア名物のアシカショーも、営業最終日まで行なわれます。松島の名所、「マリンピア松島水族館」の最後の1週間、よかったら訪ねて下さいね。

マリンピア松島水族館

2015年4月30日

5月3日 女川町・熊野神社例大祭


宮城県女川町から、ゴールデンウィークに行われるお祭についてお伝えします。
東北には様々な伝統芸能がありますが、女川では地域ごとにそれぞれ獅子舞が存在します。漁師町・女川では、こうした伝統芸能、季節や節目ごとの行事が暮らしに根付いていて、今度の週末・日曜日は、町の神社で恒例のお祭が開かれます。全国で女川の獅子舞を披露する団体『女川港まむし』のリーダー 岡裕彦さんに伺いました。

◆神輿の担ぎ手、全国から募集 その背景は・・・
熊野神社のお祭が5月3日にあるんですけど、これは全国からボランティアを募りまして神輿を担いで頂くという方針に震災後変えました。その結果、150名が集まり地元の役員を入れて200名の行列で神輿を2基かつぐことができているので、将来は女川の観光事業につなげたい。青森のねぶた祭りもそうだが一般の人が跳ねれる参加できる祭を、うちらも色んな人に女川を知ってもらって、女川の空気と光と人と美味しいものを感じて、お祭で神輿を担いでよかったなと思ってほしい。総勢200名くらいで女川の美味しいものを食べてみんなで歌ったりしながら交流会をしたい。ご当地のサンマのすり身汁を提供したりマグロの丼だったりいろいろあります。こういう風に方針を変えたが賛否両論、熊野神社のOBの人たちからあったが実際それをやらないと神輿は起動しないんですよ。震災前に神輿を担いでいた高校生中学生もみんな町から離れていっているので集めようとしても無理なんですよ。これから先もそれをやりながら地元の神社の育成もやっていく。今回新しくできた鷲ノ上区の行政区がある。自力再建で家を建てた人たちがたくさんいるんですよ。山を切って家を買った人たちがいる。それは熊野神社のお札を集めているので、その人たちのところもまわる。今の女川町の人たちの暮らしぶりも神輿を担ぎながら見てもらえればいいかなと思います。



岡さんは「高台移転した土地に、お神輿の新しい順路ができた。それはつまり、町が新しく生まれたということ」と前向きに話していました。そんな熊野神社の例大祭、今年のお神輿担ぎのボランティアは、すでに受け付けは終了していますが、もちろんお客として遊びに行くことはできます!祭りや獅子舞が果たす役割について、岡さんはこう話します。

◆祭りの持つ力
お年寄りから子供まで楽しめる演武。みんなで楽しめる祭なんですよね。祭りってみんなそうだと思うんですけどね、キラッと光る光をもっと確実な光にともしてあげた時、女川町が一つになった時にもっと良い光が輝く。それがコミュニティだと思っている。それには絶対に獅子舞や郷土芸能が必要。失われた光を今取り戻しつつあります。一番面白いのが、町づくりがそう。建物などハード面は自然とできるが人間形成、人づくりが大事。子どもがいて子どもをしかる大人がいて、子どもが甘えられるお年寄りという3つがいないと町は絶対に活性化しない。だから私にできるのは祭だったり文化事業や地域芸能。それで町に貢献できたらいいのかなと。やっと各行政区ごとに獅子舞ができるようになってきているので、昔のように、昔は大漁旗をいっぱいつけて海上獅子舞ということで真夏の盛りにやる。船が20艘くらい沖からやってくる。もうちょっとで港ができるからそれをみんなでやりたいですね。


女川町は、金華山や、アユ釣りやカヌー遊びのできる川、アウトドアレジャースポットがたくさんあって、そうした魅力も、震災後に外から来た人に教えられた、とも岡さんは話す。先日もお伝えした通り、JR石巻線が全線開通。女川駅も完成。ぜひ駅舎を抜けると真正面に広がる海の景色、見に行ってみてはいかがでしょうか!
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パーソナリティ 鈴村健一

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