2015年5月12日
5月12日 相馬市松川浦・漁業のいま?
引き続き、福島県相馬市から、漁業の現状をお伝えします。お話を伺ったのは、松川浦漁港の漁師、菊地基文さんです。
松川浦はじめ福島の漁業は、安全が確認された魚種に限り、小規模な「試験操業」として水揚げができる、という状況がいまも続いています。
少しずつ、水揚げ可能な魚は増えているとはいえ、菊地さんは、水揚げ金額は震災前の10分の1程度だと話します。
海に出られる回数も、震災前に比べごく限られる中、38歳・若き漁師 菊地さんは、どんな日々を送っているのでしょうか。
◆全てが無くなったからこそ
週1度の試験操業と、それとは別にサンプリング調査をして魚を獲り、網に入った魚をすべて放射線検査するために県に提出している。検査は毎週行われ数万検体に及ぶ。それでずっと放射線物質が出なければ漁獲対象になる。それ以外に漁獲調査というのがある。浮体式洋上風力の周りで環境に及ぼす影響を調べるため、魚を獲って調べるというのがたまにある。あとは原発20キロ圏内の魚を獲ってきて調べるというのがある。船が出るのは月当たり6〜7回。それ以外に毎週毎週、仲買さんと漁業者と組合で会議を重ねていて、福島第一原発の地下水やサブドレンの問題を受けて話し合いを続けている。商品開発も行っている。今漁協の青壮年部という若い組織があるが、その会長と言う立場にたって企画を立てている。漁師兼何でも屋さん。一度何もなくなったのが良かった。自分たちがやるしかないという状況に置かれたらやるしかない。それも若い人たちのやりたい、面白いやり方でやるのが一番だと思う。年輩の人たちが再び一から作り上げるのは難しい。若い人が前に立ってやっていく。それに外の人間がいっぱい入ってきて支援してくれるのを若い人たちが上手に掴んでいる。マーケティングが得意な人だったらそういう講座を開き、福島の特産品を作るためにマーケティング能力を伝えてくれたり、知的財産のような支援もある。そういうことを勉強する時間にも充てられるし、全てがマイナスではないなと思っている。それをどう生かすかは個人次第。流された分そういうので取り返せばいいし、それを一番重要視している。そうじゃないと続かないし。基本楽しいことしかしようと思わないので、何やっても楽しいですね(笑)
明日も、松川浦の漁師・菊地基文さんのインタビューをお伝えします。
松川浦はじめ福島の漁業は、安全が確認された魚種に限り、小規模な「試験操業」として水揚げができる、という状況がいまも続いています。
少しずつ、水揚げ可能な魚は増えているとはいえ、菊地さんは、水揚げ金額は震災前の10分の1程度だと話します。
海に出られる回数も、震災前に比べごく限られる中、38歳・若き漁師 菊地さんは、どんな日々を送っているのでしょうか。
◆全てが無くなったからこそ
週1度の試験操業と、それとは別にサンプリング調査をして魚を獲り、網に入った魚をすべて放射線検査するために県に提出している。検査は毎週行われ数万検体に及ぶ。それでずっと放射線物質が出なければ漁獲対象になる。それ以外に漁獲調査というのがある。浮体式洋上風力の周りで環境に及ぼす影響を調べるため、魚を獲って調べるというのがたまにある。あとは原発20キロ圏内の魚を獲ってきて調べるというのがある。船が出るのは月当たり6〜7回。それ以外に毎週毎週、仲買さんと漁業者と組合で会議を重ねていて、福島第一原発の地下水やサブドレンの問題を受けて話し合いを続けている。商品開発も行っている。今漁協の青壮年部という若い組織があるが、その会長と言う立場にたって企画を立てている。漁師兼何でも屋さん。一度何もなくなったのが良かった。自分たちがやるしかないという状況に置かれたらやるしかない。それも若い人たちのやりたい、面白いやり方でやるのが一番だと思う。年輩の人たちが再び一から作り上げるのは難しい。若い人が前に立ってやっていく。それに外の人間がいっぱい入ってきて支援してくれるのを若い人たちが上手に掴んでいる。マーケティングが得意な人だったらそういう講座を開き、福島の特産品を作るためにマーケティング能力を伝えてくれたり、知的財産のような支援もある。そういうことを勉強する時間にも充てられるし、全てがマイナスではないなと思っている。それをどう生かすかは個人次第。流された分そういうので取り返せばいいし、それを一番重要視している。そうじゃないと続かないし。基本楽しいことしかしようと思わないので、何やっても楽しいですね(笑)
明日も、松川浦の漁師・菊地基文さんのインタビューをお伝えします。